新曲について、色眼鏡なしにまずは楽しみたい、と書いた。

それは本当のこと。

発表から1週間以上が経って、さまざまなメディア露出が出て、コメントから気になるところがたくさん出てきている。

 

そこを私なりに拾って、考えてみたいと思う。

「黄色人種」

「この曲に大袈裟な意味はない」

「大衆音楽」

について。

 

ナムジュンがVライブで衣装や髪色について

「僕たちはButterだから黄色いんだよ。僕たちは黄色人種じゃないですか」

と言ったことに衝撃を受けてしまった。

Vライブ以外でも、同じようなことを匂わせている。

 

そもそもサマーソングにButterって?と多くの人が思ったと思う。

文面通りに、夏に世界中の人の心に入り込んで溶かすのならば、バターじゃなくたっていい。

夏を思えばアイスクリームあたりが、滑らかさを強調するのならばクリームあたりが妥当ではないか。

 

バターね。。。確かに黄色い。

ナムジュンがこんなことを敢えていうのだから意味があるし、その意味はダイレクトに言ったことそのものなんだろう。

それとは逆に「大袈裟なメッセージはない、シンプルな曲」と口々に他のメンバーが言う。

まるで真逆のことに聞こえる。

「黄色人種」も敢えて言うことないと思うけれど、「大袈裟なメッセージがない」なんてこちらも敢えて言うことじゃないと思う。

 

黄色人種を指しているということをベースにButterをみてしまうと、大袈裟なメッセージしか残らない。

MVの舞台装置もライトやカラー演出も全て繋がっているように見える。

 

でも、しきりにメンバーが「シンプルでメッセージ性はない」と言い張るのは、ユンギが言う「大衆音楽」を目指しているからなのだろうか。

ユンギの言うこの「大衆音楽」には正直違和感がある。

BTSはジャンルを問わず様々な音楽を作って来たとは思っていたけれど、大衆音楽を目指してきたという認識が私にはあまりなかったからだ。

しかも、それがユンギの口から出たこと。

 

「大衆音楽」とは何か?恐らくポピュラーミュージックのことを指しているのだと思うし、DynamiteもButterも見事なポップスだ。

ユンギがこのコロナ禍を経て、音楽へ対する気持ちや向き合い方の観点が変わったと記者会見で言っている。

きっとメンバー全員が同じ気持ちを経験したことと思う。

音楽は聴いてくれるファンのために作ってきた、といつも言っているユンギだけれど、その対象が自分を好きになってくれた人だけではなく、自分を知らない人にまで広がったと言うことなのだろうか。

売れる曲と歌いたい曲の狭間において悩みがないわけはなくて、その中ででも大衆音楽を目指しているとはっきりユンギが言ったことには大きな決意があるように思える。

でも、どうしてもそこに迷いがないとは見えなくて。勝手に苦しく思えてしまう。

Dynamiteの大ヒットでBTSは完全に世界のBTSになって。

BTS-POPなんて言われて、ポップスターとして認知された。

 

ポップスが悪いと言っているわけではない。路線の変更が悪いと思っているわけではない。

ただ、そこに本当に気持ちがあって、そしてそこに苦しさがなければいいと思っているだけ。

 

Butterは本当に良い曲で毎日聴いている。ついつい口ずさんでついついステップを踏んでしまう。

 

でも。

「大袈裟なメッセージなんてない、ただただ楽しい曲」だなんて発言は正直あまり聞きたくなかったなぁ、と思ってしまう。
 

Butterがスペシャルなサマーソングなことは間違いない。

アメリカではラジオ媒体でのオンエアが重要だと言われている。

そのラジオから流れてくると想像したとき、誰が歌っているか分からなくても、勝手に身体がリズムを刻んでしまうような、歌詞の意味なんて分からなくても、歌詞の意味なんてほとんどなくても、耳に残るサウンドで聴いた人みんながハイになれる、そんな曲。

大袈裟なメッセージなんてない、ただただ楽しい曲、ってそういうことですよね。

うん、合ってる、その通りだ。

 

Dynamiteもライトな歌詞だった。でもそこには世界中を明るくしたい、という大きなメッセージがあったように思う。

だから全世界があの曲に救われたのだ。

その後の「BE」に収録された曲も全てそのコンセプトで制作された曲だった。

その制作時にメンバーが悩んでいたのは、どのようにこの辛い状況を表現するか?力づけたいう気持ちを表現するにあたって、方法を間違えては傷つけてしまうかもしれないし、かといって暗い気持ちのまま悲しい曲を作っても仕方がない、置かれている状況がそれぞれ違う今、どのような選択をすべきなのか、ということだったと思う。

 

Butterはどうか?普通に聴いたらこれといったメッセージは何も伝わってこない。

では、バターは黄色人種を踏まえてしまうとどうか?
一気にメッセージ性が強くなる。
黄色人種である僕たちが世界中の人々の心の中に滑らかに入り込んでいくよ。
すっかり光り輝くスターになった僕たち。
そして巨大なファンダムであるアミを後ろ盾に、差別社会に対してガンガンいくぜ、って?
 
これを素敵だと思う人もいるだろう。
よく言ってくれた!と思う人もいるだろう。
私も混じりっけ無しの黄色人種だ。
でも、なんとも言いようのない気持ちになる。
そんなに世界にアピールしたいのか?
人種差別はよくない、絶対によくない。
自分のアイデンティティに誇りを持つことはとても良いことだ。
でも、なんだろうなぁ、この気持ち。
 
「大袈裟なメッセージなんてない」と言われれば言われるほど、こっちが際立ってしまうのは私の受け取り側の問題なのかな。
 
もうひとつ気になっているのが、メインの作詞作曲がBTSではないこと。
Love Your Selfあたりから、欧米人の制作者やDJなどがチームに加わって、明らかに音楽が変わって、今の地位がある。
だから、それがだめなわけじゃないし、今回が特別なわけじゃない。
 
コンペでブラインドで選ばれたこの曲はほぼ完成形に近くて、ラップ部分のみ手を入れた、とナムジュンが発言している。
だとしたら、このメッセージは彼らにとっての外国人が書いたと言うことになる。
そしてそこに超大物プロデューサーも参加している。
もちろんそこに事務所の意向が濃く入っていることは間違いない。
単なるメッセージならいい、でも人種についてのメッセージ。
誰に何を歌わせられてるんだ?って思ってしまう。
 

本当に大袈裟なメッセージなど何もないただ楽しいだけの曲、だったとしても、黄色に込められた人種差別への思いだったとしても、彼らの本意ならいい、しょうがない。

いや、どちらが本意だったとしても私的にはちょっと残念だけど、しょうがない。

 

わかってやっている、と思う。

全てを受け入れて、グラミーに向かって作った曲なんだと思う。

賞が欲しくないなんて絶対に言わないと思う。

 

ナムジュンが「Butterが現段階での僕らのベスト」だと言った。

ただそれは「現段階の」限定であって、この次に出てくる答え(つまりは次回作)が今の悩みへの次なる答えだと言っている。

つまりは、その時その時の答えが次の悩みへとなり、その悩みへの答えがまた次の悩みを生み出していて、BTSというグループはまだ現在進行形で形を変えながら走り続けている、ということなんだろうと思う。

形を変えながら、価値観を探しながら、苦しみながらも今も。

だから私は応援するしかない。

 

私が色眼鏡なしに楽しみたい、と言ったのは、どうしてもこうして考えてしまうと、こうなってしまうからなのだが、BTSサイドのついつい考えさせられるようなコンテンツ作りの罠にハマっているのだと思う。

悔しいけれど、今回もこうして見事にハマって、自分の気持ちを整理するのにとても時間がかかってしまった。

実はまだ全然整理し切れていないのだけど、ここで一旦おしまいにする。

 

なぜなら、今日は6/1。

FESTAが始まろうとしている時に、何やってんだ!

1年で1番忙しくて幸せなこの時期に勝手に1人で考え込んでいるなんて바보でしかない。

 

みなさん、楽しみましょう!