私は、男のようにふるまって、男のように生きたくて、男のように単純になりたくて、男のように甘えたくて、男のように母を守らないといけないと思ってて、それが本当の私だと思ってた。
小学校低学年の時だったと思う。
仲良しだった大好きな従兄弟のお兄ちゃんと一緒に夜寝てた時、男性器を握らされ、身体を勝手に使われて、、、
最初は何が起こってるのかわからなかった。
ただただ、気持ち悪かった。
子供ながらに道具にされてショックを感じてた。
親にも言えない。
叔母さんにも言えない。
言ったら壊れるような気がして。
思春期にさしかかり、その行為がどう言ったものなのか理解した。
吐いた。泣きながら吐いた。
吐いても吐いても汚い感じが取れなくて。
弟、父親、男全てに嫌悪と憎しみが湧き上がった。
男になれば道具にならなくて済むと思って強くなりたいとひたすら頑張った、女を守った、男らしくなろうとした。
男らしくなろうとすればするほど、痴漢、強姦、暴力がふりかかり、女はただの便器扱いだと、男の道具だと、思い知らされる現実ばかりが突きつけられた。
女と付き合えば強くなれると思ってた。
女を好きになればこんな現実がなくなると思ってた。
だから全力で自分を変えたかったから走った。演じた。
自分が嫌だった。
自分以外はもっと嫌だった。
相手を傷つけて自分も傷ついて。
受け取ってあげれなくて。
そんな自分が嫌で。
見える景色が何もなくて、どうしたいのかすらもわからなくなって、あがいて、もがいて、何かを憎まないと立てなくて、やればやるほど闇しかなくて。
壊れた。
壊れて初めてわかったこと。
壊れた世界は真っ白だと言うこと。
何もない世界に、景色をつくるとこからはじめた。
まずは自分の部屋、玄関、お風呂、トイレ、台所、、、
自分の心の家を作った。
家具をつくり、机を作り、家の周りに木を植えたり、公園を作ったりして街ができた。
景色ができてくると、色がつきはじめた。
自分が感じた色になり、光が差し込み、匂いが現れた。
長いようで短いこの3年の間に私の世界ができてきた。
まだまだ創りたい。
創れる。
楽しい。ポジティブもネガティヴも。
そうなったら、女の自分を受け止めないといけない気がしてならなくなった。
情報をかき集め、見て、感じて、
女の自分は便器だと思った。
器なのだと思った。
男というものを認めた。
男には器がないから不安定なんだろう。
その不安定を納めるのが器だから。
男は女で安心したいんだと思った。
そう腑に落ちた。
私はまだわかってないかもしれないけど。
人を好きになるということは、その相手と生きていく為のキッカケなのかもしれないと思う。
私の身体がどうされても、どうなろうとも、私の心は何の影響を受けない。
受けるとしたら、私が私を傷つけたり、裏切ったりした時だ。
そう思うようになってきて、そう思う今がある。
まだ疑問はある。
なぜ人はパートナーをつくるのか。
人と生きていくという中で更に近しい関係が必要なのか。
私に誰が出会うのか、男なのか?女なのか?
このまま独りなのか?
独りで満足してる私にパートナーは現れるのか。
独りでいい、独りがいい。
でも、パートナーがいる事で経験したことのない経験ができるのは独りよりも豊かだと思う。
そう思えるようになった自分が愛しく感じる。
この先、どんな人が私の世界に入ってくるのか興味がわいた。
男でも女でもいいよ。
私の中には、男も女もいるから。
受け取りたい、与えたい、満たしたい、満たされたい。
どうせ生きるならもっと面白い人生にしたい。生きてやったぞ!って!(笑)
便器であり
男であり
女であり
全部ひっくるめて
私で在る。
ということが私だから。
私にとって人生ってのは一発勝負の大博打!
人生は暇つぶし、どう暇を潰すかは私次第!
いろんな景色をいろんな角度でいろんな視点で経験したい。
走る日も、休む日も、歩くしかできない日も、座り込む日も、下を向く日も色んな日があることも楽しんでいいから。
自分を許してあげたかった私への言葉。
小学校低学年の時だったと思う。
仲良しだった大好きな従兄弟のお兄ちゃんと一緒に夜寝てた時、男性器を握らされ、身体を勝手に使われて、、、
最初は何が起こってるのかわからなかった。
ただただ、気持ち悪かった。
子供ながらに道具にされてショックを感じてた。
親にも言えない。
叔母さんにも言えない。
言ったら壊れるような気がして。
思春期にさしかかり、その行為がどう言ったものなのか理解した。
吐いた。泣きながら吐いた。
吐いても吐いても汚い感じが取れなくて。
弟、父親、男全てに嫌悪と憎しみが湧き上がった。
男になれば道具にならなくて済むと思って強くなりたいとひたすら頑張った、女を守った、男らしくなろうとした。
男らしくなろうとすればするほど、痴漢、強姦、暴力がふりかかり、女はただの便器扱いだと、男の道具だと、思い知らされる現実ばかりが突きつけられた。
女と付き合えば強くなれると思ってた。
女を好きになればこんな現実がなくなると思ってた。
だから全力で自分を変えたかったから走った。演じた。
自分が嫌だった。
自分以外はもっと嫌だった。
相手を傷つけて自分も傷ついて。
受け取ってあげれなくて。
そんな自分が嫌で。
見える景色が何もなくて、どうしたいのかすらもわからなくなって、あがいて、もがいて、何かを憎まないと立てなくて、やればやるほど闇しかなくて。
壊れた。
壊れて初めてわかったこと。
壊れた世界は真っ白だと言うこと。
何もない世界に、景色をつくるとこからはじめた。
まずは自分の部屋、玄関、お風呂、トイレ、台所、、、
自分の心の家を作った。
家具をつくり、机を作り、家の周りに木を植えたり、公園を作ったりして街ができた。
景色ができてくると、色がつきはじめた。
自分が感じた色になり、光が差し込み、匂いが現れた。
長いようで短いこの3年の間に私の世界ができてきた。
まだまだ創りたい。
創れる。
楽しい。ポジティブもネガティヴも。
そうなったら、女の自分を受け止めないといけない気がしてならなくなった。
情報をかき集め、見て、感じて、
女の自分は便器だと思った。
器なのだと思った。
男というものを認めた。
男には器がないから不安定なんだろう。
その不安定を納めるのが器だから。
男は女で安心したいんだと思った。
そう腑に落ちた。
私はまだわかってないかもしれないけど。
人を好きになるということは、その相手と生きていく為のキッカケなのかもしれないと思う。
私の身体がどうされても、どうなろうとも、私の心は何の影響を受けない。
受けるとしたら、私が私を傷つけたり、裏切ったりした時だ。
そう思うようになってきて、そう思う今がある。
まだ疑問はある。
なぜ人はパートナーをつくるのか。
人と生きていくという中で更に近しい関係が必要なのか。
私に誰が出会うのか、男なのか?女なのか?
このまま独りなのか?
独りで満足してる私にパートナーは現れるのか。
独りでいい、独りがいい。
でも、パートナーがいる事で経験したことのない経験ができるのは独りよりも豊かだと思う。
そう思えるようになった自分が愛しく感じる。
この先、どんな人が私の世界に入ってくるのか興味がわいた。
男でも女でもいいよ。
私の中には、男も女もいるから。
受け取りたい、与えたい、満たしたい、満たされたい。
どうせ生きるならもっと面白い人生にしたい。生きてやったぞ!って!(笑)
便器であり
男であり
女であり
全部ひっくるめて
私で在る。
ということが私だから。
私にとって人生ってのは一発勝負の大博打!
人生は暇つぶし、どう暇を潰すかは私次第!
いろんな景色をいろんな角度でいろんな視点で経験したい。
走る日も、休む日も、歩くしかできない日も、座り込む日も、下を向く日も色んな日があることも楽しんでいいから。
自分を許してあげたかった私への言葉。