熊の異常出没が示すもの
〜里の“恐れ”が消えた日本と、私たちの還る場所 〜
昨今、熊の人里への出没が急増し、痛ましい被害も起きています。猪や鹿も同様です。
農家や山里の暮らしにとって死活問題であります。
しかし私は「獣害」という言葉を安易に使いたくはありません。
自然界はいつも、在るべき姿、進むべき方向を様々な現象を通して教えてくれます。
例えば、土砂崩れ。
過剰なソーラーパネルによる開発や、擁壁工事による水脈の滞りを伝えてくれています。
猪、アナグマ、モグラが掘っている場所も水脈が滞っているのを教えています。
時期外れに現れる動物や鳥、いつもと違うタイミングで咲く花、カマキリの卵位置、言い出せばキリが無いほど、自然界はメッセージを伝え、
先住民はそれを羅針盤に生活してきました。
ひと昔前の日本人も同じです。
みんな自然界と共に生きていたし、ゆえに自然界の微妙な変化やメッセージを常に受け取り生きてきました。
これは何も超能力などではなく、観察と体感と経験の積み重ねで誰にでも身に付く力。
私もまだまだとはいえ、少なからずわかるようになってきましたを
では話しは冒頭に戻りますが、
熊の異常な出没。
これは何を伝え、何を意味するのでしょうか。
一言でいえば、
里山の恐れの消失。
=里の安全化
さらにその原因は
里山の異常な過疎化。
言い換えれば
都市生活化した日本列島。
先日、非常に的を得たわかりやすい記事がFacebookで流れてきたので、そちらを参考に私見も交え、お伝えしたいと思います。
※原文は最後に載せております。
まず今の日本の現状として、
日本の都市人口率(10万人以上の都市に暮らす人の割合)は脅威の約93%。
さらに、ここ日田市は約6万人の市ですが、市内には多くの都市型の暮らしをしている方が住んでおります。
※都市型の暮らしを否定している訳ではございません。
つまり10万人以下の町でも多くは、都市型の暮らしをしている。
さらには、里山の地理に住んでいても、生活様式がすでに都市と一体化している。
例えば、
食:スーパー・コンビニ依存、冷凍食品中心。
燃料:プロパン・電気・灯油。焚き火や薪風呂は消滅。
水:上水道・浄化槽。井戸や湧水利用は少数。
経済:現金収入中心。自給的循環はほぼない。
時間:朝出勤、夜帰宅。地域共同作業はほぼ年数回。
つまり、住む場所は里山でも、意識とライフスタイルは完全に都市圏型になっていることが多数です。
昔に近い、動物にとって恐れの含まれたほんらいの里山の生活をしている人は1%にもまったく及ばないと感じられます。
消滅寸前の層であり、ある意味絶滅危惧種です。
火を焚き、水を汲み、畑を耕し、山で木を伐り、薪(柴)を集め、祈りを日常に持つ暮らし。
おもしろいことに動物にとって恐れのある暮らしをしていると、自然界に畏れを抱くようになります。
逆も然りで、
自然界に畏れ(おそれ)を抱く暮らしは、動物にとって恐れ(おそれ)を感じさせる暮らしということです。
畏れと恐れは表裏一体。
「自然への畏れと敬意の共存」こそ今必要なこと。
この“恐れ”は、本来の意味では「恐怖」ではなく「畏敬」です。
つまり、命の循環を理解して生きる態度。
現代の“安全で便利な暮らし”は、この畏敬の感覚を根こそぎ奪ってしまいました。
結果、里山は人にも動物にも“安全な住宅地”にはなった。
同時にそれは、生態系と祈りの循環から切り離された“抜け殻”のようになっているのです。
繰り返しになりますが、それが熊の異常出没原因ということです。
逆を言えば、自然界はそのような暮らしに戻る時だと伝えくれています。
これは前記事でお伝えした、ホピの予言の岩絵、アナスタシアの叡智の真髄ともピタリと符合します。
シベリアの奥地で自然の中で生きる女性アナスタシアに、ひとつの大きな大きな問いが投げかけられます。
「どうしたら世界は平和になる?」
人類永遠の問いに、アナスタシアは、
たった一言かつ明確にこう答えました。
『人々よ、一族の土地を取り戻して。』
この一言に、魂の成長も、地球の癒しも、宇宙の希求も、未来への希望も、
すべてが内包されていました。
熊に対する問いも
これこそが答えです。

※一族の土地を細胞レベルで感じれるリトリートまだ空きあります!
Facebookの投稿の記事に戻ります。
主張の核は、
熊の出没増加は「山の餌不足」が主因ではなく、
人間側の環境変化(里の“安全化”)が決定的ということ。
里での人の活動が減り、熊はじめ、猪や鹿にとって
怖くない場所になった。
では人側の大きな変化はというと、
・里山の過疎化・高齢化・里山利用の衰退
薪炭・茅・柴刈り・祭り・日常の山仕事が消え、人的プレッシャーの低下。
・犬の消失
1970年代の野良犬駆除で、獣を日常的に追い払う力がなくなった(大転換点①)。
・野焼きの禁止(1997年)
煙・火の匂いによる忌避が消滅(大転換点②)。

・ヘリ等の騒音
生息地ヘリの爆音の音慣れ
・罠の餌付け
檻捕獲で“里の匂い=美味い”を学習し、里山は美味しい場所だと認識が変化。
マタギは絶対に里の匂いを山へ持ち込まなかった。
・燃料革命と森林放置
薪炭林の更新停止でミズナラ大径木化→ナラ枯れ助長。
食料の激減
・経済構造の転換
プラザ合意後の安価輸入拡大で農山村が衰退、里の管理機能が低下。
・GHQ以降の都市集中
土地・共同体からの乖離が進み、現代生活化、里山においても都市化した生活が進みという抑止力が失われた。
【結論・処方箋】
熊の異常な出没の原因の結論は、冒頭に述べた、
・里山の恐れの消失=里の安全化
・都市生活化した日本列島ということになる。
1. 農山村で人が暮らせる条件を戻す(国内産の適正価格購入・地域経済の再生)。
2. 犬・火・人の営みを含む伝統的抑止機能の回復(適切なルールの下で)。
3. 誤った対策の見直し(不用意なフェロモン剤・餌付け的捕獲など)
正直、この数十年の売国政策による、一次産業の破壊に対する、打つべき政策はいくらでもありますが、
いずれにしろ、まずは自分たちの認識を変え、意識を変え、行動を変えるところからしか始まらないと思います。
こんな陰陽が極まってきた大変稀な時代に生を受けた奇跡、味わいつくして、楽しんで、やれることやっていきましょう!!
以下原文ーーーーーーーー
小林正秀さんの投稿
熊による人身被害が拡大しています。秋田県知事は防衛省に自衛隊派遣を要請すると正式に表明しました。
連日、オールドメディアが専門家の意見を報道しています。総じて「森にある餌が減ったので、里に出てきている」という意見です。
確かに、京都丹波地方では、今年は栗が大豊作で(昨年の1.5倍の収量)、熊の餌である ナラ類のドングリも豊作ですから、熊の出没は少ないようです。
栗が豊作だったのは適度に雨が降り、夜の気温が低かったためだと思います。夜に気温が低いと、朝に晴れていても、栗園に行くにはカッパが必要です。朝露がすごいのです。こういうことは都会に暮らしていては気付きません。獣害についても、都会にいたのでは 真実は見えません。
30年以上獣害と向き合ってきた私から見ると「山の餌が減ったので里に出てくる」との説は、あまりにも短絡的です。
私にもいくつか取材が入っていますが、オールドメディアが期待する回答はしません。私に期待されている回答とは「ナラ枯れによってドングリが減って熊が出没しやすくなった」という説の補強です。間違った説には賛同できません。
以下に、熊が里に出没するようになった要因について書いてみます。都会で暮らす方には理解できないことなので、読む必要ありません。農山村で暮らしてきた方には是非読んで欲しい。
まず、私の書き込みを理解するために必要な基礎知識です。
植物は止まっていても光合成で栄養が取れます。動物は動くのですが、動機を大きく分けると「食うため」「繁殖するため」「危険から逃げるため」になります。「ドングリが減ったからクマが里に出てくる」との説は「食うため」だけを意識した意見です。野生動物は餌が豊富なところに向かうわけではありません。むしろ安全なところに向かうと考えた方が、熊の出没は分かりやすいです。
ホモサピエンスが日本列島にやってきたのは4万年ぐらい前です。大型野生動物は森ではなくむしろ草原で暮らす生き物です。森は 動物の餌となる葉っぱや木の実が高いところにあります。アフリカでもサバンナ(草原)に大型哺乳類が暮らしています。ホモサピエンスがやってくる前、日本には象もいたし、大型の鹿もたくさんいました。バッファローもいたそうです。牛の原種であるオーロックスもいたのです。それを食う虎や狼もたくさんいました。我々人類がそうした大型動物を絶滅させたのです。縄文時代にはホモサピエンスは10万人ぐらいになっていたので、鹿や兎、猪、魚だけでは暮らしていけません。だから、1万6千年前には栗を栽培し始めたのでしょう。これは人類最初の農業と言えます。欧米人はメソポタミア辺りで麦を栽培したのが農業の最初と言いたいので、縄文人の栗栽培は半農業と言っています。土器で栗を煮炊きし、乾燥させて保存食としたため縄文時代は定住生活をしていたのです。世界で初めて定住生活をしたのも縄文人かもしれません。
長く続いた氷河時代が終わり、黒潮に囲まれた日本列島がいち早く温暖化し、栗、栃の実、ドングリに恵まれたから、定住生活ができたのです(アフリカで誕生したホモサピエンスは、三大宗教の聖地あたりでネアンデルタール人と交配し、東を目指します。ホモサピエンスにとって最も重要なのが太陽です。太陽が昇る東を目指したのです。それを達成したのが日本に暮らすホモサピエンスです。だから世界で初めて農業を始めたのだと私は考えています。大谷翔平など日本選手の活躍も、優れたDNAのせいだと私は思っている。自信を持って日本人)。
奈良時代になって、中央集権国家を目指した為政者は、獣を獲って食うことを極度に嫌がりました。一般人が武器を持つことは、税を取る上で障害になるのです。どんだけ訓練した兵士でも、ランボーには勝てません。森はゲリラ参戦を戦う猟師にとってあまりにも有利です。天武天皇は仏教(十戒の最初は殺すなかれ)を奨励し、命を奪うことを禁止しました。獣肉を食うことを禁止したのです。
猪はボタン
馬はサクラ
鹿はモミジ
鶏はカシワ
と呼ぶのは食ってはいけないものを隠語で表現したわけです。山鳩は食ってよかったので、兎は山鳩と偽るために一羽、二羽と数えるのです。
私は、丹波栗だけでなく、竹の拡大、松枯れについても研究してきました。丹波栗が減産したのは「農山村から人が減って森を利用しなくなった」ためです。竹林の拡大も「竹を利用しなくなった」ことが原因です。松枯れも「人が松林を利用せず、広葉樹が侵入し、土壌が落ち葉によって富栄養価した」ことが遠因です。昔、松葉は肥料だったので、掻き取っていたのですす。だから、他の菌類との競争に弱い松茸が大発生していたのです。
1985年のプラザ合意が大きく影響しています。海外で栗1kgが1ドルで売ってあったとします。日本では180円で売ってあったとします。1ドルが 360円だと海外の方が倍の値段になるので輸入はできません。プラザ合意は故意に円高にして、1ドルを90円にしました。海外の栗が日本の栗に比べて半値になったのです。アダムスミスは富国論で「見えざる手」に任せることで社会が豊かになると説きました。しかし、為政者は「はっきりと見える手」、つまり市場原理を無視して故意に円高にしたのです。この強引な政策によって安い農林水産物が大量に輸入されるようになり、農山村が崩壊したのです。第二次産業、第三次産業を守るため、第一次産業を犠牲にしたのです。
人間の幸せとは、本来、生き物と交わることです。花をいけ、家畜やペットと戯れ、愛する人と暮らし、子や孫と過ごす。これが本来の人間の幸せです。
四苦八苦という言葉があります。生病老死の4苦はあらゆる動物に共通した苦しみです。生まれる時に苦しみ、病気で苦しみ、老いることで苦しみ、最後は死ぬ時に苦しみます。人間は修行をするため、他に4つの苦しみがあります。
愛別離苦=愛する人と別れる。
怨憎会苦=嫌な人と一緒にいる
求不得苦=欲しいもの 欲しい 1位が手に入らない
五蘊盛苦=自分の肉体や心が思い通りにならない
日本人は幸せを追求してきたので、土地を大切にしてきました。土地がないと生き物と接することができません。近所付き合いも大切にしてきました。ですから、戦場では、やたらと強かったのです。ご先祖様が守ってきた土地を兄も守ってくれている。弟である私は、今日、戦場で命を張って外敵の侵入を防いでみせる。戦場で 「怖気づく」のと「勇み立つ」のとでは結果は大きく異なります。この滅私奉公が日本人の特徴だと気づいたGHQ は、日本人を土地から引き離しました。都会にある大学に行って都会でサラリーマンになる。これを理想としたため、農山村から人がどんどんいなくなりました。農山村に残った人も、車やテレビ、冷蔵庫が必需品になり、化学肥料や農薬を使うようになりました。できるだけ高級な車を買うためにアクセクと働くようになり、自由な時間は奪われ、共助が崩壊しました。「自分さえよければ」という人が多くなったのです。災害時 や野球では、日本人の DNA が滅私奉公をさせますが。
私が暮らす集落では、結(ゆい)という共同作業がありました。デンゴリと呼んでいました。お祭りもあったし、盆踊りもあったですが、今はなくなっています。かつては歌会もやっていましたし、花見もやっていました。今はそんな余裕がありません。物に囲まれている方が幸せだと勘違いし、家族を持たない人も増えました。
日本の都市人口率(10万人以上の都市に暮らす人の割合)は93%近くになっていますが、大きな国土を持つ国で、これほど都市人口率が高い国は他にはありません。GHQの作戦は大成功したわけです。ウクライナのようにロシアから攻められても戦場に行く日本人はほとんどいないでしょう。いくら軍備を増強しても、日本人の多くには守るべき土地や文化がないので戦う人はいません。
こういう状態になったことが熊の出没の要因なのです。
25年ほど前、全国的に熊の出没が大問題になったことがあります。私は専門家の話を聞くために、近所のマタギ(熊猟を仕事にする人)に会いました。磯部氏は、京都府猟友会の会長もしておられました。生涯に300頭以上の熊を捕獲しておられるので「日本一のマタギ」と言える方です。
磯部氏は「里から人が減って、里が安全になったから熊が出てくるようになった」と、私が思っていることと同じことを言いました。
磯部氏は「犬の嗅覚は人間の数千倍だが、熊の嗅覚は犬の数倍。聴覚も鋭い。捕獲した熊を神戸の六甲山に逃したが、すぐに芦生に戻ってきた。そのぐらいの能力がある。熊が出るようになったのは、松枯れなどでヘリコプターを熊の生息地で飛ばしたことが大きい。あんな爆音を聞いたら少々の音では驚かなくなってしまう」と言われました。
磯部氏は「学者や役人がマタギのルールに反してネズミ捕りのような檻で熊を捕獲するようになったことも大きい。マタギは里の匂いを山に持ち込まぬようにしていた。しかし 学者や役人は、そんなことを気にすることもなく、檻で捕獲するためにリンゴ、米ヌカ、蜂蜜を使うようになった。里の匂いが、美味しい食べ物を連想させた。だから熊は里に来やすくなった」と言いました。
磯部氏は「熊が増えてるといと皆は考えているが、里に出てくる熊が増えているだけ。俺がマタギをやめたのは、個体数が減ったからだ。個体数が減ると、兄妹同士で交尾するから、近交弱勢によって陰部に異常をきたす熊が増えた」と言われました。
こうした説を熊の研究者(東大教授)に話したところ、納得されて「私もマタギの話を聞きに行く」と言われました。
その後、獣害にも関心を持ち研究することにしました。
東北では熊の秋の主食はブナの実です。ブナの実が不作の年に熊が出没しやすいことを解明した人がいます。その方の助言を得て、京都で、ミズナラのドングリの豊凶と熊の出没との関係を見てみました。予想通り、ドングリが不作の年に熊が出没しやすい傾向がありました。しかし、不思議なことに、秋に出没が多い年は、その前の春から出没が多いのです。熊が花を見てドングリの不作を予想しているのでしょうか。とにかく餌だけでは説明がつかないと考えるようになりました。しかし、京都府組織は、何の役にも立たないドングリの豊凶調査を今も続けています。
丹波栗の減産、松枯れ、ナラ枯れ、竹の拡大、獣害、温暖化、少子高齢化、子供のいじめ、子供の自殺率が世界一、全て原因が同じであることに気付きました。多くの分野を研究してきたから気付いたのです。この基本を説明しても理解できない人ばかりです。 理解できない方は、里山という言葉の意味を理解せず、やたらと「里山」を使う 傾向があります。
四手井氏が言った里山とは、農用林とか戸山のことです。奥山の対義語です。
薪は家の近くでも作ったでしょうが、究極に軽くした炭素だけの炭は奥山で作っていたのです。軽くしたのは遠くまで運ぶためです。
柴刈り、というのは焚き付けの木(美山ではオドロと呼ぶ)の採取のことです。薪や炭だけでは火はつきません。割り箸のような細い枝が必要です。桃太郎の出だし「おじいさんは山で柴刈り、 おばあさんは川で洗濯」とは、この老夫婦が家の周辺(里山)で働いていたことを示しています。柴刈りと新薪炭林施行は同じだと考え、薪炭林と里山を同じだと思っている人が大半です。
私は 「薪炭林の放置によるナラ樹の大径木化がナラ枯れの要因である」ことを多くの論文によって証明しました。しかし、無知な人たちは「里山の放置がナラ枯れの要因だ」と言い始めました。これでは熊の出没の原因が分からないのは当然です。
ナラ枯れで、NHKの取材を受けた時、「たまには京大の先生を テレビに出さないとまずい」と考え、私は喋らないようにしていました。芦生という典型的な奥山でインタビューを受けた際、NHKのディレクターは「ナラ枯れは里山で起こるんじゃないんですか。ここは奥山ですよ。ここは薪炭林だったんですか」というトンチンカンな質問をしました。京大の先生は答えられませんでした。仕方がないから私が答えました。「ここにあるミズナラを見てください。ミズナラは基本的に単幹ですが、ここのミズナラは全てボウガ(株立ち)しています。所々に炭窯の跡があります。こういう奥山で炭を焼いていたんです。20年サイクルで幹を切っていたのです。ナラ類は切株からボウガするから、植林しなくてよい。しかし、ここ数十年、幹を切らなくなった。燃料革命によって木を使わず、化石燃料や原発を使うようになって、放置された樹木が巨大化して、ナラ枯れが起こりやすくなった」と説明しました。
獣害も同じです。人が減り、里が、獣にとって安全になったから、獣が里に出てくるようになったのです。
獣害でも、ナラ枯れでも、私の2時間の講演を聞いた人は、しばらくは席を立ちません。目から鱗が落ちた状態になります。
養老孟司は、頭がいいんでしょうね。私の講演を聞いた方が「あなたは養老孟司と同じことを言っている」と指摘したことがありました。気になって、養老氏の講演動画を見てびっくり。養老氏は「ブータンでは今も犬と人間の関係が続いている。野良犬でさえ大事にするので、犬は獣を追い払っている。日本で獣害が深刻になったのは、犬を縛るようになったからではないか」と言っていました。実はこれ、大正解です。
1950年頃から狂犬病の関係での野良犬を駆除し始めました。1975年頃、野良犬は完全に駆逐されました。あの頃から劇的に獣害(とくに鹿害)が増えました。
ホモサピエンスが犬を利用するようになったのは約2万年前です。これ以降、ホモサピエンスは、鹿、猪、熊に対して優位に立つことができました。日本人は、そうした犬との関係を突然に断ち切ったのです。飼い犬まで縛ったり、家の中で飼うようになりました。
養老氏は気付いていないようですが、1997年にダイオキシの関係で野焼きが禁止になったことも、獣害を助長させました。
1980年代中頃、私は大学生になって、初めて数ヶ月間も家を離れ、京都市内で暮らしました。ゴールデンウィークに家に戻ってびっくり。集落が、こんなにも焦げ臭かったのかと驚きました。「焦げ臭い」と言うと聞こえが悪いですが、私にとってとても良い香りで、久しぶりに爆睡できたのです。ちなみに、我々人類が最も深く眠れるのは、真っ暗闇ではなく、かがり火程度の明るさだと言われています。これは狩猟採集を行っていた頃、かがり火を焚いて獣を追い払って寝ていたからでしょう。
1980年代の頃、まだ、五右衛門風呂もあったし、おくどさんで米を炊いていたし、毎日のように野焼きをしていました。だから集落が焦げ臭かったのです。
ホモサピエンスの前にいたホモ エレクトス(北京原人)が50万年前に焚き火を始めたそうですが、これはホモ属にとって大発明でした。全ての動物にとって火は最も危険な存在です。煙の匂いは恐怖でしかないのです。それをホモ属は、操るようになったのです。
集落が煙の匂いで充満していれば、熊も近づけないはず。熊が里に近づき、里の餌を食うようになると、母から仔へとその食文化は受け継がれます。火を燃やされなくなったことは獣害を一気に深刻化させました。
そもそも、お盆の終わりの「火送り」や、お正月の終わりの「トンド焼き」は農作業を2週間しないことで、里に近づいた獣を追い払うための行事だったのかもしれません。
縄文時代に定住生活を始めたご先祖様は、弥生時代になると各地に環濠集落を形成します。この環濠は集落を外敵から守るためのものとされています。
都会で暮らしている人は何とおバカなことを言うのでしょう。
私は限界集落の区長をしていた時、そういう説を唱える考古学者と会いました。その人に「今でも集落で起こっては困ることは弥生時代と一緒。何だと思いますか?」と質問しました。もちろん、答えは返ってきません。私が「火災だ」と言うと、とても納得されてました。
弥生時代の環濠は防火帯です。山に行って獣や山菜など食べ物を取ってくるにあたって、必ず、焚き火をします。その焚き火が拡大して集落まで焼けたら、貯蔵している食料も失うことになり、一気に飢えることになります。逆に、集落内では煮炊きには火を使います。集落での火災が森に拡大したら、生活の糧を失います。
環濠は大型野生動物を捕獲するための装置だったと私は考えています。猪や鹿を弓矢だけで仕留めるのは至難の技です。環濠に追い込んで仕留めた方が手っ取り早いのです。
実は、この環濠は、ほんの50年前まで、かろうじて確認できました。
徳川綱吉が生類憐れみの令を発したのは全集落に、再び環濠を設けるためでしょう。生類憐れみの令は、犬だけでなく、獣やカラスまで殺してはダメだったのです。これは経済を発展させるためのニューディール政策だったと思われます。シシ垣と呼ばれる環濠(高さ2mの石垣または深さ2mの掘)の土木量は私の計算によると万里の長城を上回ります。
このニューディール 政策は農民から鉄砲を奪うためのものでもあったのでしょう。獣害が激しかったので、江戸時代前期には、一部の農民は鉄砲を持っていたのです。環濠のことや鉄砲のことは知井村史に書いてあります。
今では想像ができませんが、役人が不条理なことをすると、農民は武器を持って戦ったのです。百姓一揆です。今は、農民は百姓一揆をしないといけないぐらい虐げられています。でも、今の農民は武器を持っていません。役人には絶対に勝てません。仕方ないから訴訟をするしかありませんが、裁判官も都会で暮らしていますので、私の主張が理解できません。最近は理解する裁判官が増えてきました。コメが高騰したおかげで。
全集落が環濠で守られるようになって獣害は減ったのです。そして獣はずいぶん増えました。鹿は、今の個体数の3倍はいたことでしょう。
明治に入って日清戦争や日露戦争で使われた鉄砲が農民に配られました。徐々に獣肉を食うことも普及していきました。
明治初期の頃、政府は獣肉を食うことを奨励しました。しかし、長く続いた食文化のせいで(穢多という身分の人たちに、獣を扱う仕事をさせて、獣は卑しいものという印象を与えたせいで)、獣は卑しいものという考えが定着していました。そこで、福沢諭吉が新聞で「千数百年にわたって獣肉を卑しいとしてきたが、欧米列強は獣肉を食っている。滋養もあるので日本人も食うべき」と宣伝したのです。
すき焼きという言葉がありますが、あれは 、獣肉を隠れて食うため、農具の鋤で食ったのが語源です。これを学生に話しても、鋤を知らないので理解してくれませんが。
とにかく、明治になって、獣を獲りまくったんです。鹿は今の個体数の1/10以下になったのです。私が子供の頃には鹿の姿なんか見たことがなかったし、声を聞くだけで驚きました。今は美山町の住人よりも鹿の方がはるかに多いです。今、獣の研究をする人が増えていますが、ほんの50年前に、鹿害がなかったことすら知らずに、獣を研究している状態です。
鉄砲の普及によって環濠は不要になりました。物質文明が行き渡り、大勢が集落から都会に流れました。私が生まれた頃には、 再び獣が増え始め、私が10歳の頃に犬を駆逐し、私が30歳の頃に焚き火が禁止になり、獣たちが雪崩をうって 里に進出しました。そして、とうとう熊が頻繁に出没するようになったのです。結局、人里が熊にとって安全な場所になったということです。人側の大きな変化(人口減少、森での活動の減少、高齢化、犬の減少、焚き火の減少)が熊の行動に変化を与えたわけです。
「100年前から撮影したビデオが私の蔵から発見された」というのを上記を説明するのに使います。都会で過ごしている方も、このビデオ映像の説明をすると、理解される場合があります。
100年間の映像をそのまま再生したら100年かかるので、1日を1秒に短縮して早送りします。1年は365日なので365秒です。1年が6分ですから100年は600分、10時間の映像です。これは実に面白い映像になります。
100年前には周りの山はほとんど禿山で、残された薪炭林も20年 (2時間ごとに)サイクルで禿山になります。樹木はニョキニョキニョキと勢いよく成長します。子供も100人以上いて、テレビゲームもないですから里山で遊びます。全ての家の屋根が40年サイクル(4時間ごとに)で葺き替えられます。熊や鹿はほとんど登場しません。猪はたまに姿を見せます。栗園や茅場での作業、刈敷(山の草を刈って肥料にする作業)、柴刈りなど、里山では激しい人の動きが見られます。森も農地も家も激しく変化します。
ところが、後半5時間になると動きが一気に止まります。まず、現金収入になる杉を家の近くにも植えます。プラザ合意によって栗栽培が大打撃を受けた我が家では、全て杉林に変えました。薪炭林施行はせず、木はある程度大きくなって動きを止めます。松は松枯れ、ナラ樹はナラ枯れで枯れ、杉は雪害や風害で倒れたりします。車や農機具が出てきますが、人の姿はほとんど見えません。人は物質文明に支配されて生き物との関わりを断ちます。野山に行って花を摘んだりしないし、屋根もトタンを被せ、茅場に行くこともなくなります。お祭りもなくなります。人がいても、車に乗って朝に出かけます。日中は、週末以外は人の動きのない集落になります。獣が集落に侵入しても追い払う人がいないのです。40年ほど前から、犬や家畜が姿を消します。30年ほど前から、集落から煙が消えます。20年ほど前から、鹿や熊が集落内をうろつきます。行き着く先は奈良公園のようになることです。奈良公園の鹿も実は野生です。日中に鹿がウロウロすることが、すでにいくつかの集落で起こっています。京都市内の宝ヶ池公園では野生の鹿に触ることができました。
人口減少による大変化は都会で暮らしてる人には想像すらできないのでしょう。獣害のシンポジウムに行くとストレスがたまります。都会で暮らしている研究者が、トンチンカンなことを言うからです。
別に放っておいても構わないわけですが、ナラ枯れでも獣害でも人命が奪われる事態になっています。
ちなみに、北海道では ナラ枯れが深刻な状態になっています。専門家である私が「無被害地ではフェロモン剤を使うな。虫を呼び込んでしまうぞ」と警告したのに、まだフェロン 剤を使っています。フェロモン剤は私がいなければ開発できなかった発明品ですが、その発明品によってナラ枯れを人為的に拡大させているのです。
ナラ枯れの専門家と呼ばれる人物は「里山」という用語を多用した本を書きます。内容は私の研究結果を採用したものですが、そもそも理解していないので とんちんかんな内容です。あんな本を読んでナラ枯れ対策したのでは、逆に被害が拡大します。
「専門家と呼ばれる人物の無知が、熊やナラ枯れによる人身被害を増やしている」と言っても過言ではありません。それでもあなたは、森に餌がなくなったことが、熊の人里への出没の原因だと考えますか?
やらねばならぬことは、森にドングリの木を植えることではありません。世界中の農林産物を買い漁るのではなく、国内で生産された農林産物を、ちゃんとした価格で買うことが、熊の出没を止める唯一の方法です。つまり、農山村で人が暮らせるようにすることが唯一の解決策です。
そういう政治をやってみてください。日本の経済は一気に発展します。日本は再び海外から尊敬される国になります。子供も増え、いじめはなくなり、自殺する子供も皆無になります。おかしいでしょう。あの悲惨な ガザ地区でも、自殺するような子供はいないはずです。今の日本は、戦場よりも悲惨です。
農山村に元気がなくなって、日本が悲惨なことになっている。熊も 人を襲うようになった。なんでこんな簡単なことが都会で暮らしてる人にはわからないんだ💢
昔から、為政者は、森に暮らす民から知恵を得ています。役行者(えんのぎょうじゃ)、空海などから学んできたのです。
岡目八目。都会にいたのでは、さっぱりわからないことが、山村にいて江戸時代の家で暮らす私にははっきりと見えています。
都会にいる方でも、頻繁に森と接する方の中には、分かってる人もおられます。
一つ資料をつけておきます。こうなることを予想して10年前以上前に作った図です。
赤い棒グラフは、京都府における鹿の捕獲数です。これは鹿による被害量と相関しています。変曲点(急に降り始めた時期)が2箇所あります。1つ目が犬の駆逐、2つ目が野焼きの禁止です。
本来の日本とは?はこちら。