ここ数日の中で姿あるモノとしての
大勢の人達を目の当たりにする仕事をしている
その中で湧いてくる感情を感じながら
これはそもそもそこにあるのだろうか?!とまた離れてみる
ニキビだらけの女子や無骨な男子
アスリートばりの逆三角形体系だったり・・・
ヒョロッとした男子だったり
思春期真っ盛りのエネルギー溢れる若い人達
昭和 平成と子育て世代 働き盛り 年金世代
同年代の方で杖や車椅子の身体不自由な方
大正生まれでも矍鑠とした老婦人
それぞれの人生模様なのかな
若くても老いて見えても私は今あるままに見ていない
聖霊の眼差しでそれらを見るとどうなるか
その全ては何にも存在すらしていないのか~
「私はもうすぐ死ぬんだと思うとなんだか切ない。
人は生まれると祝福をもって迎え入れるけれど
誰しもこうして死んでいく。 人生ってどうなんでしょうね」
私もこの世界では先はそう長くはない設定になっている
病や身体的不自由としての兄弟を見ると不安や恐れが湧いてくる
ACIM的には死は全ての幻想を派生させる中心的な夢として
とらえていてそれをそのまま誰かに伝えるのは難解で誤解を招く
肉体としての身体とゆう確証をまだ握っているのなら
どうしてもこの分離感は続くだろうし
死ぬことや病や老いを幻想だと受け入れるまでにはなっていないのだろうなと
目の前を過る大勢の兄弟姉妹によって思い知らされるのです
死の終わり
神の子は永遠に無辜である それを受け入れるまでまだ私の学びは続きそうです
桜🌸まだ咲き始めです 今年は寒くて蕾のままですから~
寒暖差にやられて風邪気味です(;´Д`)
皆様お身体ご自愛くださいね♡