金美齢先生のご提言は他を引き離し、圧巻でした。

 内容は奇抜といふ訳ではないのに、なぜかくも胸を打つのか。それは、先生のお言葉が、日本が万世一系の天皇を失い、日本でありつづけることを失へば、台湾を護ることが出来ない、といふ思ひを基底にしてゐたからであり、先生の悲鳴にも似た訴へは、祖国愛の叫びであつたからでした。

 祖国敗れてなるものか。その叫びはかくも悲痛なるものであると知らされ、皇室典範を語るこれまでの自分の姿勢を、深く顧みさせられる思ひが致しました。

 その痛切な思ひは、どうしたら持つことができるのか。確かに一瞬の劇的体験により、それを持つといふこともありえると思ふ。      しかし、基本的にはそれは(真の)学問によつて祖国への信を育てることであり、その学問の核心に据えられるべきことが、祈りであると思はれた。

 夜、特に私の為にといふことで、慰労会が持たれた。祈りのこころで、期待に少しでもお答へできるやう努力したい。 

 明後日が大会当日となる。この四十日間、手伝はせて頂いて、今だういふ思ひか自分に問うてみるに、まず思はれたのは「光栄」の一言であつた。次に思はれたのは、共に戦つた方々の自分へのもつたいない親切、まごころであつた。

 成し得たことは極めて少なく、自分に甘く、申し訳ない日々であつた。自分が気が付いた中にも、また知らぬうちにも多くの迷惑もかけたに違ひなく、恐縮する。

 緊張感のある日々であつた。自分を最も支へたのは、家族や、周りの人々以外では、前回の記事に書いた、「内なる戦後」を打倒したいといふ思ひであつたと思ふ。活動は選択の対象なのではなく、「生きる」といふことであると知つた故に、苦労も、苦痛に耐へるといふ思ひとはなりえなかつた。

 また毎日の祭りが、大きな支へであり喜びであつた。


 今上の帝祭りて一日をはじみてゆかむことのうれしさ

 たのしみは朝のはじめに今上の帝仰ぎて祭りするとき


 これから学ばせて頂きたい先生との出会ひもあつた。交遊を深めたい人との出会ひもあつた。

 

万世一系の天皇は、音楽を建築を詩歌を守つてこられた。何より、国の頂上にあって、日本精神を厳格に体現なさることで、日本の心は、今日に至るまで二六六六年変わることなく続いてきた。度重なる危機に遭いながらも、遂に、変質し太古のものが失われることはなかった。その意味で歴代天皇は、文明の中心に立たれ続けてこられたと言へる。

その奇跡は、万世一系によつて成し遂げられた。ありえない長い時間を越へ、古代精神が遂に今日へ生き延びた。それは万世一系によって達成された。日本のこころを護らねばならない。日本の文明を、「心の文明」を護らねばならない。それには、万世一系の天皇を護ることである。

吾らは、失はれた日本の心、大和魂を奪還せむがために闘争を展開する者である。この闘争は内なるアンチ大和魂であるところの、戦後精神=奴隷根性を打倒するものである。


大和魂は万世一系によつて護られたのであり、吾等は、内なる戦後を打倒し、大和魂の復興の戦ひに立つものである。ここに、吾等の皇室典範を巡つての、万世一系を護る戦ひは、「生きることである」と知られるのである。


万世一系の天皇陛下万歳!


準備の残り一日を、そして大会当日を精一杯務めさせていただきます。

ありがとうございます。

外なる悲劇に対して、人は、畢竟無関心でいやうとすれば、無限に無関心でいられるのかもしれない。だが、内なる弱さに対してはどうか。一般的に言つて、吾々はそれに対してけして無関心ではゐられない。それを容認する自己を、激しく憎んでゐる。吾々は日々、間断なくそれと戦ふ。少なくとも戦ひ抜いてゐない自分に、物足りなさと苛立ちを覚へてゐる。

『自分の中に、弱さ、逃避、自己保身が頭を擡げ、それに身を任せたとき、それはそのまま戦後への屈服となる。』(民族派学生運動手記より)



 吾々が日々切実なる関心を持つて付き合つてゐる「内なる弱さ」の名が、「戦後」であると知ったとき、吾々は、今迄所詮「外なる悲劇の改善活動」に過ぎなかつた戦後体制打破の活動が、全く違ふものとして意識されることに気が付くのである。 


 「生きなむ」と思ふ意思が、「己の弱さとの戦ひは保留する」といふ発想と両立することはありえない。それは端的に国語上の矛盾である。しからば、その「弱さ」が「戦後」であるならば、その戦後の具象化世界において、「生きなむ」とする意思を持つたとき、もはやその世界は、純然たる外なるものとは言へない。生きる、といふことと、戦後体制打破闘争を保留するといふことが論理上、両立しなくなるのである。


民族派学生達はなぜ、鉄パイプに立向かつていけたのか、なぜ、文字通りに「命をかける」ことができたのか。それは我々、日本の歴史と伝統と文化に立たむとする戦後日本人にとつて、生きることが、戦後体制との戦ひだからである。我々は己の弱さと戦ふことを選択することはできない。それは生そのものだからである。それと同じように、我々は維新の道を選択することはできないのである。


『天皇敬慕の心こそそれら(ブログ注・・戦後的人生観)を完全に粉砕する爆弾であると知ったのだ。陛下の誠実さ真剣さ、陛下の孤高な生き方、陛下の威厳に満ちた権威、それらはすべて戦後を粉砕する爆弾である。そう確信するにいたった。』(同)

なぜ外なることにかくも真剣になれるのか。なぜ『爆弾』などといふ表現が使はれるのか。それは、けして不思議なことではない。なんとなれば、外なる、学友の人生観、大学の学風を打ち破ること、それは作者にとって、即ち己の中の弱さを撃つことだからである。己の中にあり、己を精神的弱者へと仕立て上げ、「日本人としての生」を奪つたもの。それを爆破することであり、歴史を継承することを阻む岩壁を、『粉砕』することだからである。

手記集にはさらに、殺す、殺される、死といふ言葉が繰り返し現れる。しかしそれは、戦後思想を殺すことであり、精神の死の話である。

彼等の激越な姿に思ひ起こされるのは、維新の志士である。志士達のことば、戦ひがかくも激しいものであつたのは何故か。彼等は己の精神の汚れを、徹底して払ひのけるといふ意味で正統の日本人であつたのであり、神州を夷狄の侵入から守り抜くことが、清く生きなむとする願ひの発露だつたからである。


ただ、「生きなむ」と思ふこと。余人にとつてそれは、己の弱さを克服してゆかむとすることである。そして、その弱さとは内なる戦後であると知ってゐる吾等にとつては、それは必然的に外なる戦後体制の打破を求めさせずにはゐない。
 戦後体制との戦ひ、日本国憲法・教育基本法を解体する戦ひとは、ただ、「生きる」といふことであり、大祓ひの戦ひである。かく自覚した時初めて、吾等の「戦後への反乱」は、躊躇なく、容赦なく、撃ちてし止まないものとなるのである。


 本日、世界の高校生の意識調査が新聞に掲載された。日本の学生は将来に對する希望がなく、最も関心があるのは、「ドラマ・漫画」。

 これに對し父は、『この国は何かがおかしくなつてしまつたな。』と言つたが、私はその言葉に違和感を覚へた。以前はしかと掴めなかつたその違和感の正体が、今はハッキリとわかる。もとより私が父を批判できる何事かを持ち合はせるわけもないが、この言葉には、自己もまた『この国』の一つの形であるといふ認識が抜け落ちてゐるのである。


 現在の帝国政府の對支外交、對韓外交、對米外交を、吾々は受け入れることは出来ない。それは、その外交姿勢が国家としての体をなしていないから、ではない。その主体性のない、覚悟のない、道義のない姿を、吾々自身の生きなむとする意思が、受け入れないのである。戦後外交を容認する者は、その時点で己に汚れの侵入を許した者であり、歴史と繋がってはいない。その者が歴史を愛してゐるとしても、その者は単に日本人たらむ、とお星様に願ふ、「夢想家」以上の者ではない。


 旧宮家の竹田恒泰様は、女系天皇について、「駄目なものは駄目」と発言されてゐる。これは重要な発言だと思ふのである。

何故、女系ではいけないのか。それは、女系容認がもたらす、実際上の不利益から説明をつけることもできる。しかし、そんなことは生活習慣に哲学的解説を付けるやうなもので、本来は哲学者以外に必要なことではない。

では何故いけないのか。それは、「吾々が生きることは、万世一系の天皇を戴きて、生きること」だからである。それが吾々の人生であり、他にはない。

 つまり皇室典範問題もまた、国家の話ではなく、己の話なのである。しかならば、「何故女系ではいけないか」との問ひに對しては、自ずからに「駄目なものは駄目」となるのであり、竹田様のそのお答へにより、竹田様が国家論としてではなく、己の生き方の問題として、この答へを言はれたのではないか、と思はれた、と読むのは勝手に過ぎるだらうか。


 日の本の益荒男は戦後へと反乱おこせ根絶やしにせよ

 朝露のこのいのちかなこの時を君の御為尽くすうれしさ

 露の身のいのちの甲斐は大君にさぶらふ他に何かあるべし


  万世(よろずよ)に一つ系(つな)ぎよあまてらす神より今のすめらみことへ



  日の本の男といふは一筋に万世一系の君に仕ふる

 東宮殿下御誕生日奉祝歌

日の本の皇祖の祈り継ぎゆかむ日嗣の皇子の二なきかしこさ



B兄よりうたを頂く

『日のもとのいのちを生みなす皇統をただ護らんとともは馳せ来る』

『一日の業務の寸暇も惜しむごと本を手に取る姿ならはむ』


吾が返しに詠めるうた 三首

うた詠みてうたを返さるこの道にあくがれてけふうたをもらひぬ

愚かなる吾にならふと言ひくれし先輩(とも)のありしに力湧きたる

『いのちささげて』を読みて 

ほとばしる思ひ止まずと語りたる先輩の心を少し知りたる



『戦後への反乱』より

自らに敗れしときにその者は戦後に敗れる者となるかな

弱さへと妥協せしときたたかひの道は潰へぬ何を為すとも

柔らかき毛布かぶりて死の道を歩み来ましぬ己悲しき

変革は魂(たま)の叫びを死ぬるまで叫び続けるものなりと知れ 

勝たざればあるは死ばかりたヽかひのにはに立つきみなどか装はむ

たのしみは己に克ちて戦場(いくさば)に敵を打ちたる心地せしとき

 

第三十回首都圏学生ゼミナール慰霊祭、懇親会 

その眉宇に凛々しさ湛へ吾を迎ふ後輩(とも)等の姿を頼もしと思ふ

心にて繋がる姿その上(かみ)の吾等の姿と重なりて見ゆ

その言葉つたなかれども決意せし心に示(しる)き貴さのあり

後輩学生の主催慰霊祭、『関東地区出陣学徒慰霊祭』に参加のため靖国へ。この四十日間の戦ひが始まつてから初めての参拝であつた。

 参道を歩くと、松陰先生が傍らを走つて行かれる。久坂玄随が高尚な論理を唱へてゐる。高杉晋作が、号令を下してゐる。来島又兵衛は、槍を掲げて最後のときを迎へやうとしてゐる。。姿は違へど、共通してゐることは、皆、魂を炎の如く燃へあがらせてゐることだつた。 参道を進むほど、申し訳なく、肩身の狭い思ひが募る。自分はいかに卑小なのかと。

 拝殿の前に立つ。圧倒的なる二百五十万英霊の御存在を前にして、決意や抱負などたてることは出来なかつた。ただ感謝のこころを捧げまつるばかりであった。

 なぜこのやう気持ちになったのか。後で思へば、参拝する心構へが足りなかつた。確固たる心定めをせず、安易に参道に足を踏み入れるべきではなかつた。靖国は、好きに立ち寄れる公共の憩いの場ではない。神域に足を踏み入れ、神の御前に立つといふ自覚が全くかけてゐた。靖国参拝とは、もっと覚悟を要する、もっとひたむきな、いはば真剣勝負なのだ。「国家の為に」、さう人生の決意を立てた自分が、どうしてかくも気安く英霊の前に立てたのか。今までも、もちろん英霊は私にとつて絶対の鑑であつた。

しかし、けふ参拝して、生活の全てを維新へ投じた今、英霊は私にって以前とは違ふ意味を持ってゐることに気が付いた。私、一人の日本人が進まむとする道、その道を窮め尽くして、霊の中でも別格の「英霊」となられた方々。そのそれぞれ各個の人格と人生を背負はれた英霊の御一人御一人の御存在が、私の追い求める姿の究極の存在として、私の人生に突きつけられてゐる。

 維新闘士に出家も在野もないのであるから、本来今までもさうであらなければいけなかったのだ。しかし、維新活動に全身を投じた今、初めて英霊の御存在が、私が求める道の直接的先輩として意識され、英霊の御姿が、等身大で自分に引き寄せられ、吾が戦ひの姿と内容をもつてして以外、呼びかけることは出来ない御存在となつた。語弊のある言葉で言へば、英霊は今や私のライバルとなつた。「英霊のまごころにお應へする。」その一貫した私の決意は、これよりは、双方の生き方の對決としてといふ形をもつて表現される。その對決に勝ち目のないことを思い知つた時、私の信仰心は一層深まるのではないかと思ふ。


 拝殿にて参拝の後、おのおの眉に凛々しさを湛へた学生達が、参集殿に私を迎へた。昇殿参拝。英霊を前に決意を述べる学生の姿に、心が震へた。その後懇親の場へ。思想よりも、もしろ人情で繋がる学生の姿が、自分のころの組織の姿と重なつて見へた。

 学生と共に、こヽでも生き方の対決をなしつヽ、こころと力を合わせて戦つてゆきたい。



 毎朝の祭りがありがたい。人は己の弱さを知る故にこそ、祭りを尊び、また富士を仰ぐのだらう。


 天照大御神を仰ぎ奉る歴代天皇御製を読んでいくと、天皇の必要性などといふことを政治的見地などから述べていくことが無意味に感じられてくる。明治天皇の明治時代に果たされたお役割の大きさをあれこれ説明することが不必要に感じられてくる。

 元来弱いものである人間であられながら、神としての生を送ってくださる方。しかも一代ではなく、世襲によって2666年間。その言葉に出来                                       ないおごそかな事実。

 そして、心の清さを人生の最大の課題とする世界最高峰の国民。それがゆえに国民は、皇室を仰ぐ。

 奇跡の一族である皇室と、最高峰の国民。

 それがこの神州の実態だ。



 「田尾先生の学習会(二回目)でのお話しを筆録で読みて」

冬なれば祀りの庭の大君の玉の御体いかにとぞもふ


 おほみうた感想述ぶに絶叫す学徒の姿胸迫り来る

 なんという熱き道かな大君のおほみうたをば仰ぐその道

 人言を気にかけるならかく熱き道には遂に入れず死にゆく



・紀元節における小堀先生の御講演

『帝国憲法は、日本人にとつて初めての法作りではなかった。御成敗式目・武家諸法度等、既に歴史から導き出した法体系の立法経験を持つてゐた。つまり立法の「内的体験」「国民的経験」があつた。帝国憲法制定に当たつて、プロイセンのグナイストやシュタインに「古典を参照せよ。」との忠告を受けたが、受けるまでもなく、立憲の基準に悩むことはなかつた。歴史の前例に学べばよかった。

 戦後、占領地の国内法に変更を加えてはいけない、といふハーグ陸戦条約の規定に違反し、憲法が改定される。国体が法の上で、一応形だけでも守られたのは、マッカーサーの、占領を成功させて大統領選に立候補したい、との野心によつた。しかし、ほとんどの皇族の廃止といふ皇室解体の爆弾を仕掛けられ、それがついに爆発せむとしてゐるのが、今の状況だ。』


・頭山満百五十年祭に出席する。

大盛況。開演前に既に千三百名が押しかけ、会場から溢れる。そのせいか開演の時は既に人は減つてゐた。

 圧巻の六メートルの日の丸。会場に霊性を行き渡せてゐる。


『左翼論文には「皇室廃止の最大の障害は万世一系である」と書かれてゐる。』

『二六六六年とは、国民が皇室によって守られた二六六六年であつた。明治天皇が軍服を着られたことしかり、昭和天皇様の御聖断しかり。』

『頭山翁の一生は、全部、皇室にどう報いるかといふ一生。天朝に忠なるといふことを忘れた武士道は全きを得ない。天朝に忠なるとは即ち世界に対しても忠なのであり、翁はその信で動いた。神道は、己一人祓えばそれで良いといふものではない。神道精神に従順たらむとしたとき、祓えを徹底して追求したとき、翁の目は自ずからにくびきに苦しむアジアへ向いたのである。』

『葦津先生は戦中に東條の経済政策を批判し、にらまれる。頭山伝を執筆中であつた先生は、翁に累が及ぶの恐れ、翁に執筆中断を申し入れる。翁は「自分は親(しん)を持つて人と付き合つたことは多かったが、相手に敬を持つことは少なかったようである。その少ない中の一人がお前の父である。だから自分はお前に對しても、同じ気持で接している。自分が正しいと信じるならば、あいてが首相であらうと、大将であらうと、向かっていったらいい。俺は一人でも命がけでお前を守る。」と言はれる。』

『「王道」と「覇道」と申します。しかし私は日本にはそのどちらでもない道があると確信しています。それは「神道」であります。』

次々に登壇し、最後に段上に呼ばれたのは盤南研究会であつた。広い演壇から溢れるほどの学生達。四〇人はゐるだらうか。さらにはなんと、その代表の挨拶の、「御皇室はいかに心を痛めておられるか。」といふ内容によつて、その後の「日本万歳」の予定が、聖寿万歳に改められる。

 「天皇」が吾々のアイデンティティーの全てであつた。三島先生の全学連への、「君達の論文に天皇の一文字があれば。」の言葉の通りである。それが他の学生から主張されるならば、日本会議の学生の存在意義とは何か。(まして彼らは慰霊祭をも祭行する。)

 一瞬動揺したが、政治的主張は似てゐるとしても、運動を否定し、「知の力によって。」と主張する彼等とは、異なる不可欠の使命が、やはり後輩達にはあるのだと思ふ。



・ 靑協首都圏では今年和歌のブログを作つた。しかし、やはり軌道に乗らないので、吾等が歌ふ意義を改めて考へ、ブログへ投稿した。

「かヾりびあかし」


・ 明日は、広島で皇室典範改悪反対の集会がある。


その運営のI先輩へ贈つた歌

号砲を轟かしませ広島ゆ國に示せよ大和魂


返しに頂いた歌

敷島の道を求めて連絡をくれし友はも頼もしきかな

勤皇の先駆けたらん安芸の地ゆ挙ぐる雄叫び心して聞け


この四十日間の戦ひの中で、歌に歌で応へて頂いたのは始めてであつた。

 丸三日間(と言つても計十四、五時間であるが)テープ起こしをする。非常によかつた。経験としてではなく、あくまで観察者として、と前置きしなければいけないが、国民運動という生き方、それが少しだけ実感できた氣がする。「万世一系の天皇」へのゆるぎなき信と、それをお守るするといふ決意が、満場によつて共感、共有され、その中で、前進止まざる覚悟が、登壇者たちによつて、胸から溢れ出すままに、発表された。 日本への信仰の全き共有と、進軍への顧みざる決意表明という、学生協会の精神、その継承者としての、日本会議の青年達の姿が浮かび上がつて來た。

 愛国者年の、国民運動家としての生き方のリアルなモデルを得ることができた思ひがする。

 理事長は次のように語つた。

『皆さんの話を聞いていて、「風蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し。壮士一度去りて復た帰らず。」(風はヒューヒューと吹いて易水は本当に寒い。男たるもの一度決意して起ちたらば、また帰って来ようなど思うか。) という、秦の時代の、荊軻(けいか)という男を思ひ出しました。

そして、

天皇陛下御製

   サイパン島訪問 二首
 サイパンに戦ひし人その様を浜辺に伏して我らに語りき

 あまたなる命の失せし崖の下海深くして青く澄みたり

皇后陛下御歌 

   サイパン島
 いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏(あうら)思へばかなし


天皇陛下の御製は、堂々として、大らかである、皇后陛下の御歌は、繊細である。

私たちは、皇后様に天皇様になつてほしいとは思はない。天皇陛下と、皇后陛下、どちらもおられての日本である。』


そして最後に、橘曙覧の歌を紹介された。


大君のしこの御楯といふものはかかるものぞと進めま先に


皇室典範改悪は、運動によつて、国と政界に動揺が起きていたところへ、紀子様ご懐妊といふ神風が吹き、三月始めの国会提出はなくなつたらしい。しかし、時期は変はれど、女性天皇女系天皇容認の改定案を出さむとする政府の意思に変はりはないらしいので、引き続き運動が展開される。その中で、宮家の存続と女系宮家の創設阻止も重要な一点であり、その為には、旧宮家の復活か旧宮家からの養子招聘以外の手はないのであり、旧宮家に関する情報収集と、理論構築が非常に重要となる。



神風の伊勢に集いし同志らと共に進まむ数ならぬ身も

 朝、紀元節祭に参列。

 先輩が林房雄の『西郷隆盛』全十二巻を下さる。深謝。

 明治神宮の建国記念日を祝う會で、駐車場の誘導をする。

 その後M氏とYとSで喫茶へ。M氏は皇室典範改悪問題について要点を資料を示しつヽ一気に話し、それで解散した。



愚かなる吾も祭りのにわに立つかたじけなさよ務め励まむ

「明治神宮」

大君の大き御威津のそのまヽに鎮まりましぬ代々木の森は


平成の民の誇りを示さなむ皇室典範改正を成し


君と臣一体となり平成の文化の花を史に留めむ


話したきことは尽きずに一寸と席立つ友もヽどかしきかな


己がこと何も語らぬ友ありぬさびしからずや思ひ語らず


「駅を行く人の群れ見て」

人民はいくら残れど国民は死に果つるこそ国の滅びよ


学徒らの歌読みゆけば吾もまた詠まずにをれずペンを取りしか


紀元節祭 献歌

吾が国の基定まるけふの日の朝の御光なおぞまばゆき

新宿西口で情宣。

 こんな話をした。

『新宿駅西口をご通行中の皆さま。こんにちは。お勤めお疲れ様です。お急ぎのところ大變恐縮ですが、しばらく私共の話をお聞きいただければ恐縮に存じます。

 現在、御皇室のお世継ぎについて、テレビ等で盛んに論じられてゐます。皇太子ご夫妻には男のお子様がいらっしゃらない、皇太子様の次の天皇はどうするのか、ということです。

 そこで、愛子様が天皇になったらいい、と多くの人が言います。

 しかし、本當にそれでいいのでせうか。

 天皇陛下となれば、男性であっても「激務」と言われるほど様々の御公務をお勤めになる他、宮中のお祭りをして頂く事となります。必ずご本人でお勤めいただかなければいけないお祭りだけでも、年間三〇以上にもなりますが、もしご懐妊されることがあっても、今のように冬には寒風に吹かれながら、身重のお体でお勤めしていただかなければいけないこととなります。

もし愛子樣が天皇陛下となれば、天皇としてのお姿が期待されるほか、女性であられますから、自然に国の母としてのお姿も求められます。

 国の母であることがどれだけ重いことであるかは、ご結婚されてから、失礼ながらあんなにやせられてしまった今の皇后陛下や、また現在の雅子さまのお姿からも想像されるかと思いますが、女性天皇であれば、その上更に天皇としてのお役割を求められるわけです。

 そのやうな過酷なお立場に愛子様に立っていただくことが、本当に私達の望みでせうか。

 また、愛子様が天皇となられた場合、その御結婚相手はどのように選ばれるべきでせうか。

過去八人の女性天皇がおられましたが、その全員が未亡人か、天皇の位にある間は未婚であられました。つまり皇室は二千年以上の歴史の間、一般の男性を皇族として迎えることは、一度もなかったということです。現代にあって、愛子様に生涯独身で居ていただくことを求めることは出来ません。愛子樣が、天皇となられれば、一般男性からその御結婚相手を求めるしかありませんが、女性天皇の夫として、つまり新しい皇族として相応しいような、一般男性が果たしているのでせうか。

 また、現在の宮様もその全てが女の子のお子様しかおられませんから、女性でも宮家を創設できるやうにしやうと言われています。それも認めれば、皇室に次々に一般男性が入る事となります。素直な感情として、私たちはそれを受け入れられるでせうか。私たちは一般女性であられた美智子様や、雅子様や、また紀子様がご皇室に入られることを大きな喜びとして、お祝いしました。しかし逆に一般男性が次々に皇室に入ることを、素直に受け入れられるでせうか。私たちはさういふ皇室を求めるでせうか。

 

 愛子様や雅子様は、私たち一般の国民と違い、あらゆる自由が制限される御存在です。選挙権はない、職業選択の自由はない、住所選択の自由もない、ご結婚の自由もない。国民からのあらゆる訴えをお聞きにはなりますが、ご自分のご希望を訴えられることはできない。また、その御生活は決して贅沢などではなく、イギリス王室の予算などは御皇室の予算の千倍にもなります。さういふ御環境を全て受け入れられて、ただ、国民に尽くして下さる御存在が、皇室です。ですから、私たちがご皇室の存続を願うとすれば、せめて国民としては、安易に女性天皇という新しい制度を押し付けるのではなく、雅子様や、愛子様に今以上のご負担をお掛けしない為にはどうしたらよいか、真剣に考えることが道にかなったことではないでせうか。


 さて、さうはいいましても、現実に皇太子様の次の世代の後継者は居られないのであります。紀子様がご懐妊されまして、もちろんお生まれになるのが親王様であれ内親王樣であれ、心から喜ばしいことですが、やはり内親王樣であられれば、後継者は居られないこととなる。

 愛子様に天皇になって頂かないのであれば、どうしたらよいか。

 

 皆様は旧宮家のことをご存知でせうか。先の大戦の後、日本が占領されました時、十四の宮家があつたのですが、占領軍はその十四の内、十一の宮家の財産を丸ごと没収しまた。資産が全くない状態では、宮家として存続することは不可能ですから、その十一の宮家は全て、やむなく皇室を離れざるを得ませんでした。

 その旧宮家には、現在十数名の男系男子がおられます。

 もしいよいよ本当に、後継者がをられない、という事態になれば、この旧宮家の御復活といふ手段があるのです。或いは、現在の皇室に養子としてお迎えするということも考へられます。

 つまり、愛子様と同じ年代の方も三方おられるのですが、それらの方の中から、愛子様のご結婚相手となって頂き、皇太子樣の後を継いで頂くのです。その場合愛子様は、皇后陛下となられるわけです。

 旧宮家といいましても、御皇室を離れる経緯が、このやうに占領軍による強制といふ経緯でありましたから、当時の宮内府次官は、皇室を離れられる宮家の方々に対し「皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎しみになっていただきたい」と申し上げてゐます。また現在も御皇室との関係は深く、先日の紀宮様の結婚式へも、旧宮家の方が多数出席なされました。

  過去の歴史にも、一度皇族の身分を離れなれて、その後皇族に復活し天皇として即位された方は実際におられます。


 現段階では、皇太子様もまた秋篠宮様もおられるわけですから、ことは急を要することではありません。これから長い時間をかけて、過去の二千年の皇室の歴史を振り返りつつ、歴代の天皇皇后両陛下が、国の父として母として果たされてきたお役割を改めて学びつつ、御皇室の存続の為の、最も理想的な手段を考えてゆくべきだと思います。

 この急ぐべきことはないことに関して、大變急いでいる方々がをられます。この問題に関して話し合はせる為に「有識者会議」というものが、小泉総理の私的機関として創設されました。それはいいのですが、この重大な問題に関してこの會はたつた三十時間の審議で結論を出しました。一企業の一プロジェクトでさえ三十時間程度の話し合いで、どれほどのものが作られるでせうか。まして、一つの国の二千年の伝統をいかに守るかを話し合ふのに、これは足りるやうな時間でせうか。

 案の定、出された結論は見るに耐えないものでありました。

女性天皇容認と言ふ。しかし、女性天皇が追わなければならない重圧については考慮された形跡がありません。

 旧宮家復活は国民感情が受け入れないと言ふ。では歴史上一度もなかった一般男性の皇室入りは受け入れられるのでせうか。

「歴史や伝統については、考えませんでした」と言ひ、さらに「私たちが歴史を作る」と言いました。

 小泉総理は、この報告書通りに法律を制定したいと言っています。私はそのことに反対です。どうすれば理想的な形で、雅子さまや愛子様に過酷な負担をお掛けしない形で、また国民が納得する形で、皇位の継承が成しえるのか、もっと時間をかけて、政府と国民で考えて行くべきであると思います。』

(情宣用に分かりやすくする為に、一部厳密な事実とは異なることを言つてゐます。) 

 心にあつたのは、真理を知つたとき辻に立たずにいられなかつた日蓮の姿である。

 しかし、情宣は語る内容を用意することへ追い込まれるのがよいが、(日蓮ほど聴衆から反発されても困るが、)やはり反応がほとんどないのが正直空しい。愛子様のことを中心にして、なるべく平易な説明を心がけたが・・。ごく一部の関心層ではなく、全体の無関心無感動の新宿通行者に、真に届く言葉はあるのだらうか。

 違ふ話。

 占領軍は、沖縄戦、硫黄島戦、特攻隊を恐れた。それを生んだものを解体したいと考へた。それは天皇であると見ていた。しかし、天皇の廃止は国民感情に鑑みてあり得ないことを知り、逆に秩序ある占領の為に天皇を利用することを決めた。

 だが、同時に、時間と共に皇室が消滅することを仕組んだ。それが11宮家の臣籍降下と華族廃止である。これによつて、皇室はその藩屏を失ひ、天皇陛下は、周りの木を刈られ直接雨風にさらされる一本の巨木となつたのである。

 秋篠宮御一家の御写真が事務所に飾られた。真子様佳子様の立ち姿のなんとお美しいことだらう。14歳と9歳の姉妹は日本に何千何万組みもあらうが、そのどれも、かく姿にはなり得ない。この「文明の末期」と評される吾が国の世情において、まさに孤高である。御皇室は、国民の品格を代表してくださつてゐる。唯一御皇室において、日本は品格を完全喪失するのを免れてゐる。御写真を見て、その御皇室が負つてくださつてをられるご負担に對し、ありがたく申し訳なく思ふと共に、国民の品格を率先して体現する層としての華族が失はれたことを、つくづく寂しく感じ、国家の痛恨の痛手と感じた。