父の容態です。
これまた長くなりますが、なるべく順を追って書きたいと思います。

2018.6 

発作が起き、夜間救急にかかる。 
CTを撮ったところ、食道に2箇所の穴、横隔膜もにも穴、が開いており、そこから肺に食べた物が流れ込み、腐り、身体全体に毒素が回り痙攣を引き起こしていました。

もーなにがなんだか分からないうちに、緊急オペになり、廃液を出すための穴、胃瘻の穴、その他諸々、身体に5箇所穴を開ける大手術。家族皆覚悟を決めた夜でした……

奇跡的に一命は取り留めました😭

それまではよかったのですが、地元の病院では穴を塞ぐ手術は限界があり、セカンドで探していた兵庫がんセンターがかかりつけ医だったので、容態が落ち着いてから、転院しました。

2018.8

兵庫がんセンターで充填治療を何回かに分けてしたのですが、放射線をあてた食道は再生能力には限界があり、上手く穴は塞がりませんでした。残念😢

そうした矢先、救急に行った時と同じ様な発作がおき、がんセンターではこれ以上の治療は出来ないと判断した先生が、神戸大学病院を紹介して下さり、転院することに。

2018.9

転院してすぐにCTを撮ったところ😱
髄液に緑膿菌が見つかり、背骨まで溶かしていたという、最悪な事になってました。

また、緊急オペです。

なんと、22時間の大大大手術です😱😱
ざっくりとした事しかわからないのですが、溶けた背骨を削り、そこに削った蝶骨を移植、食道を切除、廃液を出すための穴を違う場所に開ける。
なんだか、サイボーグのようになった父の身体。

このときばかりは父も覚悟を決めたのか、姉妹仲良くやれとか、母には結婚生活50年を迎えたかったとか、弱気な発言をしていた父でした。

手術が終わり麻酔が切れるのを待つ間は生きた心地がしませんでした。

手術が終わっても痛みを感じないように麻酔を足しながらゆっくり身体を休める処置をするので、3日位は目を覚まさないとの説明を受けていたのですが、なんと、超人父は数時間で目を覚ましたのでした😳

昔から運がいいし、生命力がたくましいので、こんなにも早く意識が戻り、これには本人も家族もビックリでした。

あんなに、切り貼りされた身体なのにいたくないのか不思議です。

ただ、声帯のところを触っているので、話すことができません。
今後、食道と胃を繋ぐを治療することが出来たら、話せる様になるとのことです。

それまでは、ボードを使っての会話です。

父らしいのが、食道は切除したのに、中華街に行きたいとか能天気なことをボードを使って言ってます😂✨(笑)w

ざっくりと書きましたが、こんな経験された方いらっしゃいましたら、コメントまってます。