カリフォルニア州とイリノイ州
あと3回眠ったら14日の木曜日。フィアンセの出張に同行し、イリノイ州まで行く予定だ。初めての州ということもあり、すごく楽しみ。幼いときは何日も前からドキドキとその日が待ちきれなかった。しかし近頃では用意もままならない内にその日が来てしまうようになったものだ。
1920年代後半、車の時代到来と共にルート66 開通。それは8つの州をまたぎ、ロサンゼルス市と五大湖の1つに接しているイリノイ州のシカゴ市を結ぶ大幹線道路であった。その距離なんと約4,000キロ。その後1985年頃になると大量輸送道路が完成し、その姿は自然と消えていく事となった。
カリフォルニア州 イリノイ州
接している州
オレゴン州 ウィスコンシン州
ネバダ州 アイオワ州
アリゾナ州 ミズーリー州
ケンタッキー州
インディアナ州
州都
サクラメント市 スプリングフィールド市
最大都市
ロサンゼルス市 シカゴ市
加入順位&年月日
31番目 21番目
1850年 9月9日 1818年 12月3日
人口
約3,390万人 約1,260万人
(人口数第1位の州) (第5位)
人種比率
白人系(ヒスパニック系を除く)
46.7% 67.8%
アフリカン・アメリカン系
6.7% 15.1%
ヒスパニック系
32.4% 12.3%
アジア系
10.9% 3.4%
混血系
4.7% 1.9%
今日の南カリフォルニアは半袖で充分だった。日中約15℃、夜には約6℃のイリノイ。まだまだ寒そうである。冬物をまた引っ張り出さなくては。
4月12日 00:46
メキシカン屋台
「ベーコンバーガー1つとー、パストラーミバーガー1つ下さい。」
私はお店の小さな窓からひょっこり顔を出すメキシコ人のおばちゃんに大きな声で注文した。ここはいつものフリーマーケット。この会場でどこよりも香ばしい良い匂いを漂わせているのはこのメキシカンの屋台である。お昼時も重なり、お店の前のテント下は多くの人で埋め尽くされていた。そしてそのほとんどがメキシコ人である。
今回注文したのはフィアンセがベーコンバーガー、そして私がパストラーミバーガー。決め兼ねていた私にフィアンセの1言でこれに決めたのだ。
「PASTRAMIにしたら?よく映画とかで注文してるの見た事あるで。どんなんかは分からんけど。」
映画に出てくるぐらいだからアメリカでは定番のものなのかもしれない。想像がつかないがこれは1度経験してみなくては、とこれに決めたのだ。
さて、注文した私。するとお店のおばちゃが眉間にしわを寄せた。どうやらおかしな事になりそうだ。
「ベー・・・??何だって??」
私の言っている事が通じていない。こんな時、自分の発音が悪いのだと案外落ち込むものである。とにかくめげずにはっきり発音し続けてみる。しかし通じない。私は左横に有るメニューを指差し、「これとこれ。」と言うのだが小さな窓からは見えないらしくお互い困ってしまった。
「ベーコン・・・・ベーコンバーガー。この発音でイイのよね。私は聞き取れてるわよ。」
私のすぐ後ろでメーニューを眺めながら私達のやり取りを見ていた白人のおばちゃん。彼女が私の隣にいたフィアンセにそう語りかけていた。振り返る私に彼女は眉を下げ『困ったわね。』といった表情である。
メキシコ人と日本人。お互い母国語ではない英語にそれぞれ訛りがありそこに大きなギャップが起こってしまったのだ。見かねて外にいたレジのおばちゃんが飛んできた。ここからはすんなりと注文でき、中のおばちゃんも『悪いねー。』といった感じで満面の笑み。私は『美味しく作ってね。』と思いながら笑顔を返した。
お店の中からはジュージューとグリルで焼かれる肉の音、屋根の上からは美味しそうな匂いの煙が立ち昇る。待っている間にジュース選びだ。小窓の横にはアイスボックスが設置されている。ある程度網羅された種類の缶ジュースやボトルのソーダなどが氷に突き刺さっているのだ。3分ほど待ったであろうか、話していたらあっという間に出来あがった。そしてついにやっと手に入れることが出来た。
“ベーコンバーガー&パストラーミバーガー”。ジュースも付け、しめて$11.50。
テント下はすでに満員の為、校舎横のテーブルとベンチの場所まで移動した。
左側がベーコンバーガー。パンは柔らかいフランスパン生地である。中にはマーガリンがたっぷりこってりだ。そしてまろやかな塩味にしっかりと効いたブラックペッパーのベーコンがどっさりとサンドされ、香ばしく飽きない旨味がぎっしりと詰まっている。
そして右側、これがパストラーミバーガーである。グリルで焼かれたパンの間にチーズ、ベーコン、牛肉のパテ、トマト、マヨネーズそして、たっぷりのレタスの順にサンドされている。デラックス版のハンバーガーといった感じだ。これがまた美味しい。ファーストフードのお店とは天と地ほどの差がある。レタスのシャキシャキ感と爽やかさが肉の油っぽさを緩和し美味。初めてのパストラーミ、かなり気に入った。
大満足な2人。お腹いっぱいで太陽の下ぽかぽか気持ち良い。そしてふと昔を振り返る。英語がまだまだ未熟過ぎたあの頃。ファーストフードのバーガー屋さんでのドライブスルー、マイク越しに注文するもなかなか通じなかった。それでも何日もトライしたあの頃の事を。
4月10日 23:09
ある韓国人家庭の事情
「これ食べて。」と渡されたこのキュウリのキムチ。以前のブログ『入隊』で登場した ジェイのお母さんから頂いた。彼女の手作りである。韓国の女性達はは様々なキムチを作り家庭の味を守り続けているのだ。日本のお袋の味、お味噌汁と言ったところだろうか。
ジェイが入隊してからというものママの元気がない。心配で考えすぎてしまうらしい。ふと自分の両親の事を思う。目の前の彼女の様子が実家の親の姿に重なった。
彼女の心配事はこれだけでは無い。と言うのも長男まで家を離れているのだ。この元アイドルの長男、韓国に遊びに行ってすでに3ヶ月がたつ。親友と呼べる友はやはり母国にしか居らず、本当は韓国が恋しくてしょうがないのだ。そして密かに芸能界復帰も考えているらしい。しかしここで問題が1つ。じつは彼、韓国で軍に入っていなかったのである。韓国でお給料を貰うにはそこが1番の問題となってしまうのだ。そして入隊には年齢制限があり彼はそのぎりぎり26歳。しかしそこで兵役を選ぶのであればアメリカの永住権を放棄しなければいけない。さて、どうする。来週にはアメリカに戻ってくるらしいが何か韓国で答えを出せただろうか。
夕食の食卓に頂いたキムチも並んだ。ご飯がどんどん進む。本当に美味しい。辛さの中に酸味が少しあり、ゴマとニンニクの風味が食欲をそそる。フィアンセもかなり気に入った様子だ。さて、明日は実家に電話しよう。
4月9日 00:05
アジア人の若さ
何時もと同じバスに何時もと同じ顔ぶれ。ただ違った事が1つだけ。同じバスに乗り換える最近よく会う男の子と初めて言葉を交わしたのだ。そもそも乗ってきたバスが遅れ、2人共次のバスに乗り遅れたのがきっかけだった。
薄い茶色の瞳、そして真っ黒なくせっ毛の髪に太い眉。肌の色は白人ほど白くない。メキシコ系にも見えるがスペインの血も入っていそうである。二十そこそこだろう。英語に訛りが無いことからアメリカで生まれたか子供の頃に移民して来たと思われる。
乗り継ぎの間15分ほど世間話。どうやら彼は近くのチャイニーズ レストランでバスボーイ(食器の片付け係)として働いているらしい。少し前までは日本食レストランでも働いていたそうだ。人と話すのが好きでこの仕事も大変だけど楽しいと満足げである。
話しが一瞬途切れた。そして彼が再び口を開く。
「たまに一緒にバスに乗ってくる人って誰?兄弟?彼氏?」
「フィアンセだよ。見られてた。」
「え、って言うかキミ年いくつ?」
「28」
「・ ・ ・ ・マジで?17・8くらいかと思ってた。」
口をOの字に開け目をしばたたかせる彼。それにしても17って・ ・ ・ ・。
「嬉しいけど、それ言い過ぎ。」
と笑って訴える私に彼はいたって真剣な面持ち。
「アジア人ってみんな若いよね。やっぱりどの人もエクササイズとかしてるんだろ。それに魚をたくさん食べるからかな。アメリカ人見てみろよ。ジャンクフード食べてばっかり。うーん、食べ物の違いなのかなー。」
面白い奴。頭の中には広場で太極拳をする人々が浮かんでいるのだろうか。ではこれはどうだ。
「フィアンセいくつぐらいに見えると思う?」
「そうだね、21・2ぐらいかな。」
実はフィアンセ、同じ日本人から見てもかなり若く見られるのである。
「もう31だよ。昔タバコ買うのに免許証お店の人に見せたら、フェイクIDだっ!て言い出して大変な事になったんだから。」
「HAHAHA!分かる、分かる。うける!」
アメリカの学生だったら1度は目にした事があるだろう。学生寮とかでせっせとフェイクIDを作って小遣い稼ぎしている輩までいるくらいだ。
「ところでキミいくつ?」
「21」
彼の名前はまだ知らない。きっとまた会うだろう。フィアンセを早く紹介したいな。
4月8日 01:14
異国の中の日本人
アメリカで活躍する日本人は多い。渡米当事、野球選手では野茂選手ぐらいしか記憶に無いが、今ではイチロー、ゴジラ松井と挙げたら限が無い。そしてテレビの中だけでなく多方面で活躍している方達が多く存在する。異国の地で普通に生活を始めるのも精神的に大変なのが現実。そこでしっかりと根を生やし大きな大木となるにはどんなに苦労してきた事だろう。そしてどれだけ寂しさ、悔しさに涙してきた事だろう。
以前日本から戦後移民してきたおばあちゃんに出会った。他愛も無い話をしただけの私達。本当に普通の世間話。それは私がアメリカに来て7年たったと告げたときである。
「よく頑張ったね。」
この一言でこんなに心が震えた事は無い。人それぞれの苦労があり、壁があり、心の葛藤がありそれを乗り越えなければ生きていけない。それが分かっている人から発せられた言葉には意味があり、魂が入っているから重い。彼女の言葉に共鳴した私はどこかで肩肘を張ってきたのだろう。
今ではフィアンセという大切なパートナーに出会い彼と苦労を共にする事を誓った。これから何が起ころうとも一緒に生きていく。いつか頑張ったと胸を張れるように。
4月6日 19:05