rustrewari1982のブログ -33ページ目

rustrewari1982のブログ

ブログの説明を入力します。

************************************************  【 有り難い事が地合いになってはならぬ 】  同じ「伊勢千人参り」の御帰途、京都でのさる御講席で一信者が「この京都の御所の砂か、又は鬼の豆を遠方の方々が戴いて帰り、夫(それ)を田地にふりますと虫が居なくなり、又はおこり(熱病の類)の時など頂きますと直ぐに癒るとよく聞きますが、この地方ではさっぱりそのようなお蔭がありません。 これはどうした事でございましょう」とお伺い申されると、宗信の君には、「夫は有難い事が地合いになっているというもので、お砂も鬼の豆も目になれてしまったからです。 要は心の置き場によってお蔭に相違が出来るもので、有り難く頂戴致すのと粗末にすごすのとで、このような大きな開きが出来るものであります」と、お諭しになられた由であります。 「二代様」(黒住教日新社 昭和31年10月4日 発行より) ************************************************  この御逸話を描きながら、私自身とても反省させられました・・・。  教祖宗忠神の直門である石尾乾介高弟の御歌に「天地の有り難いこと数うれば 浜の真砂の数も及ばじ」とありますが、日常を過ごす中で、お互いそうした有り難いことよりも不平不満が先に目についてしまい、日頃感じる有り難いことが当たり前になってしまっていて、ついついその喜びがおろそかになっているように感じますが、あらためて自分の周りや環境を見渡してみると自分が当たり前と思ってしまっているだけで、実は喜びを感じられる幸福の種は数限りなくあるものではないでしょうか。  そのことに気づいて、自らの心の奥に明かりを灯してみると、見たり・聞いたり・触れたり・手に入れたもの全てが尊く思えて、何気なく歩んでいるように思う私たちの人生もまたさらに味わい深くなるように感じます。  副教主様(七代 黒住宗道様)が詠まれた「「ありがとう」反対ことばは「あたりまえ」心なおしてありがとうなる」という御歌がありますが、この“ありがとうなった”御心の先にお蔭は必ずついてくるものだと希望がもてる今回の二代様の御逸話ではないかと思います。 人気ブログランキングへ ...