クラシックバレエは14世紀、イタリアのルネサンス期から成ります。
その頃の日本は鎌倉時代~室町時代初期にあたるので、どれほどの歴史なのか分かりますね
当時のバレエは私たちが知る、チュチュやトゥシューズなどの世界ではなく、宮廷で貴族たちが嗜む演劇や朗読などの余興の中のダンスシーンに過ぎませんでした。15世紀にはバレエに熱中したルイ14世が自ら『夜のバレエ』に主演しました。彼はもっとダンスの質を上げようと王立舞踏アカデミーを設立し、専属教師によりポジションやパなどが定められていき、これまでのダンスが『クラシックバレエ』となり、宮廷から劇場へ移り、バレエダンサーという職業が生まれました
... ざっとバレエの成り立ちをお話ししましたが、クラシックバレエの起源や歴史は奥深く、そして層が厚すぎるのでまた順にお話していきたいと思います
今回のblogは 『バレエリュス』 について...
バレエリュスとはセルゲイ・パヴロヴィチ・ディアギレフ(以下S.P.ディアギレフ)が設立した1909年~1929年まで活動した伝説のバレエ団です。
S.P.ディアギレフは 『天才を見つける天才』 と呼ばれた芸術プロデューサーであり、彼自身はバレエは学んでおらず、法科大学で学びながらも芸術家を志し、作曲や声楽の勉強に明け暮れたそう。その中でアレクサンドル・ブノワやレオン・バクスト等と親交があったそうです。
そしてS.P.ディアギレフの作曲の師は、あのリムスキー=コルサコフでした。(バレエでは『シェヘラザード』で有名かな) ですが、リムスキー=コルサコフに作曲の才能を指摘され、音楽家の道は諦めたそうです。
後にブノワ、バクストと共に 『芸術世界』 を刊行し、モネなどの画家や西欧の美術、その中には葛飾北斎の作品も紹介されるなどの幅広いジャンルの芸術を世に紹介し、また展覧会なども開催し、芸術の発展に貢献していきました。
パリでの展覧会の成功により、現地の音楽協会の会長や、伯爵夫人等などと知り合い、親交を深めました。後に彼らの協力と後援のもと、パリにてロシアの作曲家、音楽家による演奏会を成功させました。その中にはS.P.ディアギレフの師、リムスキー=コルサコフも客演しました。S.P.ディアギレフは政治上の配慮も欠かさず、着々とプロデューサーの地位を確立していったのです
そして1909年、帝室マリインスキー劇場のシーズンオフ中に、劇場のダンサーたち、スタッフを連れて、シャトレ座で『ロシア・シーズン』を上演しました。プログラムは何とも豪華
『アルミ―ドの館』
曲:N.N.チェレプニン 振:M.M.フォーキン
『韃靼人の踊り』
曲:A.P.ボロディン 振:M.M.フォーキン
『ショピニアーナ』
曲:F.F.ショパン 振:M.M.フォーキン
『クレオパトラ』
曲:A.S.アレンスキー 振:M.M.フォーキン
... などを上演
そしてダンサーは、アンナ・パヴロヴァ、ヴァツラフ・ニジンスキー、タマラ・カルサヴィナ等など素晴らしい顔触れでした。
こうして1909年に 『バレエリュス』 の旗揚げ公演が執り行われ、今もなお語り継がれる様々なバレエ作品が生まれました
当時の芸術家たちのトップを集めて一流の公演を上演し、常に一線を走り続けたS.P.ディアギレフ率いるバレエリュス...
後の1913年に上演されることとなる 『春の祭典』 を観劇していたココ・シャネルが斬新な振付と演出に衝撃を受け感激し、世間には内密でバレエリュスに資金を支援したそうです。そして、後にシャネルもバレエリュスの衣装デザインに携わることになります。
S.P.ディアギレフは当時のバレエ界にセンセーショナルを引き起こした人物で、これまでのバレエ作品にあったロマンティックなクラシカル作品とは打って変わりモダンな要素を入れ込み、20世紀の音楽、美術、舞踊の融合を創り上げました。
そんな魅力たっぷりのバレエリュス時代に生まれた数々の名作やダンサー、秘話などはまた次回...
RBLJ 伊藤智美
Russian Ballet Laboratory Japan
Facebook: Russian Ballet Laboratory Japan
Instagram: russian_ballet_labo_jp
Twitter: @rbl_jp
Follow me!!!