五龍頭神社の名前の由来を探るべく、ネットや書籍などを調べてみたものの、全くヒントを得ることが出来なかった私は、ダメ元で五龍頭神社に隣接している
伝承鎮魂記念館へとお話しを伺いに行ってみた。

記念館の中に入り、職員の方に
『記念館のすぐ隣にある五龍頭神社というのは、震災前からこの場所にあったのでしょうか?』
と、まずはジャブ程度の質問から話しを切り出してみたのです。

対応して下さった男性職員の方は
「そう言えば、隣に神社ってありますねぇ…
う〜ん、どうなんでしょう…
震災前からあったのかなぁ…」
と、一度 記念館の外に出て神社の周りを見渡し

「何かが倒れて修復したような跡があるから、
 やっぱり震災前からあったのかなぁ…
 どうなのかなぁ…
祠自体は新しそうですけどねぇ…」
と、職員の方からはヒントを得ることが出来ずじまい

改めて記念館の中に戻り、職員の方から
「今まで、そのような質問されたこと無かったので、
 改めて神社の存在を認識しましたよ。
 いやぁ〜そんな質問初めてだなぁ…
 確かに神社ありますもんねぇ。
 考えたことも無かったなぁ…」
と、感心され

「気になることがあると、どうしても探りたくなる性分なもので…」
と、答える私

その後、男性職員の方は事務所にいらっしゃった女性職員の方にも神社の件を聞いてみたものの、女性職員の方も神社については全く分からないとのこと。

「やっぱり分かりませんよねぇ〜」
なんて感じで話しを切り上げようとする私に対し
男性職員の方が
「郷土史とか、この辺りの歴史に詳しい方に聞いてみれば何か手がかりが見つかるんじゃないかなぁ…」


すると女性職員の方が
「歴史だったら○○さんは?」
それに対し男性職員の方が
「○○さんも郷土史とか詳しいんじゃなかった?」
と、相馬の郷土史や地元の歴史に詳しい方の名前を出し、職員のお二人が出した結果は
記念館のすぐ近くに住んでおられる方だった。

男性職員の方が
「だったらご本人に電話かけてみましょう!
 私では、何をどう説明したらよいか分からなので直接 この方に質問して下さい」
と、どんどん意外な展開に進んでいったのです

まずは男性職員の方が電話をし、事の成り行きを説明した上で私にチェンジ

電話で対応して下さったのは、学校の教員を退職されて地元の歴史に詳しい方でした

私の質問に対し
「神社の名前の由来ねぇ…
 神社自体は昔からあるんだけどなぁ。
 う〜ん じゃあ今からそちらに行ってお話し伺いますよ、ちょっと待ってて下さい」

と電話が切られて5分程度で到着されました。

この地域の歴史を交えつつ、メインである
『五龍頭神社』についてお話し頂きました

まず、分かりやすいようにまとめて記したいと思います

『五龍頭神社』の読み方は『ごりゅうずじんじゃ』だと思っていたのですが、『ごりゅうとうじんじゃ』であるとのこと。
しかし、『ごりゅうずじんじゃ』と呼ばれていたこともあるかもしれないが定かでは無い

今の神社の近くに『五龍寺』もしくは『五龍頭寺』というお寺が昔 存在していたので、その寺と何らかの関係があるのかもしれないとのこと。
現在 そのお寺は廃寺となり しかも津波の影響により何の跡形も残っておらず。

確かに明治より以前は神仏習合の文化だったので、元々は神社とお寺が同じ敷地内にあり、それが明治期になり神社とお寺が分離されたのかもしれない。

「龍」に関する神社なので、海上安全のためのものであろうと思われるが確信は無いとのこと。
佐賀県の「五龍神社」が海上安全のために龍神が祀られているように、『五龍頭神社』も海上安全のためだというのは、地元漁協が祠を建立していることからも理解出来る。

今回得られた情報は、そこまでだった

大きな神社やお寺、歴史的建造物であれば
その歴史は書き留められて後世に残るが
そのような部類から外れた小さな神社などは
地元の方々の口伝えにより脈々と後世に言い伝えられ、それが歴史となる

しかし、その言い伝えも時代とともに薄れていき
神社という存在は残っているものの、その神社が生まれた経緯や、現在までのストーリーは今や存在しないという皮肉な結果となり、現代人の私の頭を悩ませたわけなのだ。

お話しを伺った方が最後におっしゃっていたのが
「口伝えの歴史ってのは、人々がその歴史に感心を
 無くしてしまうと一気に薄れてしまう。
 やっぱり文字に書き記しておいたり、後世に伝えて
 いくって大事だよねぇ…」と。

と言うわけで、『五龍頭神社』に関する詳しい歴史は分かりませんでした!

おい おい そんなオチかよ!
と言う声が聞こえて来そうですが、
まぁまぁ 謎があるのも、また歴史の面白さ

何かの機会に新たな情報が得られるかもしれませんしね

では、またその時まで…