*のりこの日記* 〜天涯孤独となったわたしの幸せ探しの旅〜 -24ページ目

*のりこの日記* 〜天涯孤独となったわたしの幸せ探しの旅〜

母を亡くして6年後の2015年5月、父も亡くし、一人っ子のわたしは38歳で天涯孤独の身に。昨年、秋山まりあさんの『100%自分原因説』と出会いました。悲しみを乗り越え、幸せ探しの旅に出る姿を綴っていきます。まずはパートナーを見つけ、幸せな結婚をするぞー!






またまたお久しぶりです。



相変わらず
皆さんのブログも読みに行けず
ご無沙汰しています。



わたしがブログを書いていない間も
いいね!やペタを下さった方々
ありがとうございます。




先月最後の記事を書いてから

父の病院の往復と引越準備で
毎日、携帯を見る余裕もなく
日々が過ぎていました。




一昨日、父は家の近所の
いつも透析を受けている病院に
転院しました。



前の心臓の病院で
ICUから個室に移った頃は
まだ安定していたのが

大部屋に移ってから
父の状態は芳しくなく

その状態のままで
今の病院に移されました。



病院は2ヶ月を超えて入院すると
保険点数が下がるため
転院せざるを得なくなります。



前の病院は心臓専門で
救急病院のため

父の透析の管理までは
行き届かないのが現状でした。




そんな中、転院初日に
主治医の先生から

父の状態が厳しい事
いつ急変してもおかしくないと
告げられました。



透析患者は
いつ状態が急変してもおかしくないのだと

父が元気な頃
父から聞いた事がありました。




転院日の翌日の14日は
父の74歳のバースデーでした。



病室で看護師さんにその事を話すと

その場にいた看護師さん皆さんが
父のために
ハッピーバースデーを歌って下さいました。



わたしも涙をこらえながら
一緒に歌いました。



そして、昨日も
先生から検査結果のお話があり

白血球の数値が異常に高い事を
告げられました。



まずは貧血状態を緩和させるため
輸血をしてもらう事に。



それから少し父に付き添い
話しかけて
(今は反応は少ないですが
わたしが来てる事はわかっています)

昨日は帰りました。




今日は隣の岐阜県から
父の妹が来てくれて
一緒に家の片付けと掃除を手伝ってもらい

不動産屋さん立会いのもと
新居の採寸をし
家具の配置などを考える時間を作りました。



その後、叔母と父の病院に行くと
病室に父がおらず

今日は透析の後
看護師さんがすぐ近くで診れるように
ナースステーションのすぐ側の
処置室に居てもらう事にした、との事。




それからわたしと叔母は
先生に呼ばれ、話を聞きました。



昨日までは口頭のみの説明でしたが

今日は終末期の延命措置に関して
家族の意向を聞かれ
書面にサインしました。



わたしはあまりの展開に
先生の前で言葉も出なかったです。



書面にサインをした後、先生は

『お父さんに話しかけて
元気付けてあげてください』

と言ってくださり
わたしたちは父の元へ戻りました。



その後、思わずわたしは叔母に

『おばさん…

わたし、全然心の準備出来てなかった…』

と言い、涙ぐんでしまいました。



叔母も、泣いていました。




それからすぐに看護師さんから
お話が少しあり

わたしたちは
父に話しかけに行きました。



叔母が

『お兄さん!

のりちゃんがお父さんと住む
新しいお家に引っ越すのに
準備頑張ってるよ!

のりちゃん、お父さんが帰ってくるの
待ってるからね!』

と一生懸命
父に話しかけてくれてました。



わたしも涙を拭い

『お父さん!

のりこ、お父さん待ってるから!

お父さん頑張ってるから
のりこも頑張るよ!』

と大きな声で
父に話しかけました。



あまり長く面会出来ないので
今日はここまでで帰りました。




家に帰り
叔母と片付けの続きをやりながら

途中、わたしは父の兄弟と
千葉にいるわたしの亡き母の弟夫婦

それから、今日
わたしたちが病院に行く前に
見舞いに来てくれていた
父の友人に電話をし

今日の先生のお話を伝えました。




今までわたしは父の妹の前で
涙を流した事はありませんでしたが

今日は流石に何度も泣きました。




父に一日でも長く生きて欲しい。



わたしの思いはこれだけです。




しかし、ここ1週間ほどの父の様子は
ベッド上で少し体を動かすだけでも

『痛い!えらい!(名古屋弁で”しんどい”の意)』

と叫ぶ事が多く

前の入院先では
透析中、自分で針を抜いてしまった事も
あったようです。



わたしにはわからない痛みですが
本人は凄くしんどいのだと思います。



見てて辛くなる事、多々あります。



ただ、ちゃんと『痛い!』っていう
大きな声が出せるだけ
凄い事じゃないかなぁ、って

わたしは思っています。




叔母とも話していましたが
後は先生にお任せするしかない。



正直、終末期と言われて
そこまでの状態だと知った時のショックは
大きかったですが

あの時、叔母が側に居てくれて
本当に良かったです。



あの時、わたし一人で話を聞くのは
あまりにも辛かったと思うから…




先生もわたしの意向確認をした上で
最善の手を尽くしてくださると思うので

わたしは今は家の荷作りをしながら
自分の気持ちも
整理していきたいと思います。



新しい家で、準備万端で
父の帰りをわたしは待ちます。





読んでくださった方々
ありがとうございます。