*のりこの日記* 〜天涯孤独となったわたしの幸せ探しの旅〜 -19ページ目

*のりこの日記* 〜天涯孤独となったわたしの幸せ探しの旅〜

母を亡くして6年後の2015年5月、父も亡くし、一人っ子のわたしは38歳で天涯孤独の身に。昨年、秋山まりあさんの『100%自分原因説』と出会いました。悲しみを乗り越え、幸せ探しの旅に出る姿を綴っていきます。まずはパートナーを見つけ、幸せな結婚をするぞー!






父の臨終を看取り
それから病室内は
一気に慌ただしい雰囲気になった。



まずは先生と看護師さんが
ベッドサイドモニターの電源を切り
父の人工呼吸器のマスクを
手際良く外していく。



それから一旦
先生、看護師さん、叔母は
病室から退出し

わたしと父の2人きりになった。



わたしは父の元に近寄り

『お父さん、今までありがとう…

お疲れ様!』

と言いながら号泣した。



この時はじめて
わたしは声をあげて泣いた…



父が亡くなってから
一番、泣いた瞬間だった。




涙を拭いていると
先生と看護師さんが入って来られ
わたしは一旦、退出。



父の兄弟、お嫁さん一同には
叔母が連絡してくれていたので

わたしは父の学生時代の友人と
サラリーマン時代の取引先の友人
母の生前の友人

そして、千葉にいる母の弟に
父の死去を知らせる連絡をした。




暫くロビーで待ちながら
叔母と話していると

主治医の呼吸器の男性の先生と
死亡確認をされた女性の先生が来られる。



呼吸器の先生は

『すみません。

僕が当直ではなかったので
何も力になれずで…』

とまず、お詫びをされた。



『いいえ。

最後まで良くして頂いて
父も幸せだったと思います。

お世話になり
ありがとうございました。』

とわたしはお礼を言った。



呼吸器の先生が

『ご家族の方に
お聞きしている事なんですが…

死因を詳しく調べるために
解剖をさせて頂く事は可能ですか?

これは強制というわけではないので
断って頂いても全然構わないです。』

と聞かれる。



わたし『それは…
体に傷が残るんですよね?』


先生『そうですね…

体を切開して内臓を取り出すため
表面上は傷が残ります。

内臓が無い状態になりますが
体の中に綿を詰める事で
見た目は分からないです。』


わたし『…

父を生まれたままの自然な姿で
(天国に)逝かせてあげたいので

申し訳ないですが
解剖の件は
お断りさせて頂いてよろしいですか。

すみません。』


先生『わかりました。

僕らも確認する義務がある、というだけですから…

全然、構いませんよ。』



それから先生に

『これから
体についている管を外していきますので

もう少し、お待ち頂けますか?』

と言われ、わたしたちはそのまま待機。



それから看護師のYさんが
葬儀屋さんの手配をどうするか
聞きに来られ

わたしは会員になっている互助会に
頼もうと思っている事を伝え

互助会に連絡。



居住地、父の入院先の病院の確認
葬儀をあげる場所を決め
1時間ほどで病院に到着する、との事。



Yさんにその旨を伝えると

父の体についている管を取った後
着替えをさせたいとの事で

何か着せたい服があるかどうか聞かれた。



一緒に病室に戻り、わたしは

この病院で入院中に買った
一度も着てない浴衣があるので
それを着せて下さい、とお願いし、預けた。




それからまたロビーに戻ると
ロビーの近くに
初夜勤の新人看護師さんがいるのを見つけ
わたしは声をかけた。



『初夜勤、お疲れ様でした。

父の最期を一緒に看取って下さって
ありがとうございました。』



新人看護師さんは

『いえ。わたしは何にも出来てないです。

声をかけてあげる事くらいしか…』

と恐縮されていた。



『とんでもない!

声をかけて下さるだけでも
充分、父の力になったと思いますよ。

本当にありがとうございます。』

と、わたしはお礼を言った。



叔母が

『初めての夜勤で
臨終に立ち会うなんて
凄い経験しちゃったわね。

でもあなた
立派な看護師さんになると思う。

頑張ってね。』

と優しく声をかけた。



わたしも頷き

『頑張って下さいね!』

と言うと、新人看護師さんは嬉しそうに

『はい!ありがとうございます!』

と言っていた。




彼女にお礼を言った後
Yさんがロビーに来られ

『これからお身体を綺麗に拭いていきますが
よろしかったら
娘さんも一緒にされますか?』

と尋ねられた。



父の最期のお別れまで
一つ一つしっかり悔いのないようにしたい
と思っていたわたしは

すぐにOKの返事をした。



病室に戻る途中、わたしは

『お兄さんに最期を看取って頂いて
父は幸せだったと思います。

本当にありがとうございました。』

と言うと、Yさんは

『いいえ、とんでもないです。

最後のあの瞬間は
(脈拍が110まで上がった時)
ほんと、凄かったですよね!

僕も感動しました。

やっぱり娘さんの力が大きいんだなぁ…
って思いましたよ。』

と言って下さった。



Yさんも昼間の担当のKさん同様
一般病棟に移ってからの
一週間の付き合いだったが

ターミナルケアを
この方にしてもらえて
本当に良かったと思った。




病室に戻り、わたしと叔母は
新品の浴衣に着替えた父と
無言の対面。



わたしはYさんからタオルを手渡され
父の顔と手を丁寧に拭いてあげた。



母の時はこんな事、出来なかったから

娘として
このように父を見送れる事を
嬉しく感じた瞬間でもあった。



勿論、父との永遠の別れは
計り知れない悲しみではあるが

母の時のような後悔は、ない。



次にYさんは
叔母にタオルを差し出す。



叔母は父の足を拭いてあげた。



叔母が父の足を拭きながら

『わたしが兄を看取るのは
これで3人目なんですよ。』

とYさんに話す。



Yさんはビックリされていたが

『きっとお兄さん達も
妹さんに看取ってもらえて
喜ばれてるでしょうね。』

とおっしゃっていた。



最後の最後まで終始、和やかムードで
Yさんとお話しながら
父のケアが終了。




父の死去の知らせを受け
3番目の兄のお嫁さんと
一緒に父を看取った叔母の旦那さんが
病院に到着。



実は父の命日の5月30日は
3番目の兄の命日、5月31日の前日でもあった。



3番目の兄は
2年前、父の亡くなった年齢と同じ
74歳で他界。



わたしたちは
その兄より1日でも長く
父に生きて…と祈っていたが
叶わなかった。



伯母が

『うちの旦那が
(あの世へ)呼んだと思えてならんわ。』

と、しきりに言っていたのが
印象的だった。



そして、5月30日は
父を看取った叔母の
結婚記念日でもあった。



叔母は

『一生、忘れられない日になったわ…』

と言っていた。




葬儀屋さんに連絡後

予定通り、1時間後に
葬儀屋さんが到着。



ストレッチャーで
父の遺体が運び出され

それから慌ただしく荷物をまとめる。



亡くなった人の搬送は
病院の裏口の従業員用エレベーターからする、との事で

わたしたちは病室を出た後
ナースステーションの看護師さんに

『お世話になりました』とお礼を言い

裏口通路へ。




エレベーターの前に行くと
病棟の看護師さんたちが
ずらっと並んでいた。



わたしは凄い人数の看護師さんがいるのに
驚いたと同時に

病院で亡くなると
こんな風に見送られるんだな…
と思った。



エレベーターが来て
わたしたち親族一同
『お世話になりました』と頭を下げると

看護師さんたち全員が
エレベーターの前で
深々と頭を下げられた。




死亡確認をされた女性の先生と
看護師のYさんは
一緒に1階まで乗って下さった。



葬儀屋の方2名と
わたしたち親族、父
先生と看護師さん…



シーン…と静まり返る
エレベーターの中。



13階からあっという間に1階へ。




葬儀屋さんから
父と一緒に
葬祭場まで同乗出来るか聞かれたが

わたしたち全員、車があったため
誰も同乗出来ず…



先に父を
葬祭場まで運んで頂いた。



病院を出る前

わたしは携帯の充電が切れそうだったため
叔母の携帯を借り
職場に父の死去を知らせる連絡をした。



電話を取った先輩社員は
あまりの衝撃に
言葉を失っていたが

これから葬儀でバタバタするため
また連絡するとだけ言い残し
慌ただしく電話を切った。




主治医の先生、Yさんと挨拶を済ませ

わたしたちは
父の待つ葬祭場へと
車を走らせた。




わたしは車を走らせながら
涙が溢れて止まらなかった…





続きはまた…