僕、昔は本当に性格がクソだったんです。
 
今でも十分クソだよと言われればそうなのかもしれませんが、特に高校生くらいまでは、今の100倍はクソでした。
 
すでに15年以上前の話ですが、それでも思い返すと恥ずかしくなるくらいクソでした。
 
当時の僕が今現在自分の近くにいたら、絶対友達にはなりたくありません笑
 
それでもなぜかよくわからないけれど、周りにはいい人がたくさんいて、僕はいじめられることも孤立することもなく生きてきました。
 
それどころか、周りの人がみんないい人なもんで、自分に足りないものが何か段々とわかってきて、大学生になると少しは人間らしくなっていた気がします。
 
たぶん周囲に感謝することを覚えたのもこのころです。
 
社会人になっても、理不尽なことを一方的に上から言うような残念な先輩も上司もなぜか近くにはいなくて、素敵なことをたくさん吸収できました。
 
本当に周囲の人には恵まれているなぁと感じます。
 
お金とか、体力とか、知力とか、容姿とか、何かひとつ他人よりも秀でて持って生まれた運や才能があるとしたら、自分は間違いなく周囲の人間に恵まれる運を持っていると思います。
 
僕は一人では生きていく自信が1ミリもありませんから、この運は数ある運の中でもかなりの神引きだと思っています。
 
感謝です。
 
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そして、昔は奪うか奪われるかで生きていたのですが(※元ヤンではありません。念のため笑)、シェアすることの大切さも学びました。
 
シェアするというのは、相田みつをさんの「奪い合えば足らぬ。分け合えばあまる」の精神のことです。
 
これは物理的な「物」だけの話ではなく、無形のものも指しています。
 
僕は争いが大嫌いになりました。
 
競うのはいいのですが、争うのは嫌いです。
 
だから例えば麻雀のような、目の前の誰かが得して、目の前の誰かが損するみたいなのが好きではありません。
 
(え?競馬は?競馬はいいの?
 
はい、競馬はいいんです笑
 
なぜなら、僕は自分の予想する能力と勝負しているのであって、直接他の競馬ファンの人と争っているわけではありませんから。
 
僕の予想が当たったせいで、誰かが負けるわけではありません。逆も然り)
 
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そんな感じなので、誰かの心無い言動で傷つく人がいるのも本当に悲しいです。
 
特に近年では匿名性の高いインターネットの普及で、それがより顕著になりました。
 
想いや考えは、言葉や文字にした瞬間に自分だけのものではなくなります。
 
絶対に誰かのところへ届いてしまうのです。
 
「あー世界中の人、みんな幸せにならないかな」
 
わかつきのこの言葉は、結構揶揄されがちなのですが、僕は本気で共感できます。
 
まあ世界中の人が幸せになるのは、たぶん限りなく不可能なので、せめて僕の視界が捉えている世界の人たちには幸せなことが一つでも多く訪れると嬉しいなと思います(もちろん自分も含めて)。

無力だなぁと感じることはたくさんありますが(というか、世界から見れば僕の力なんてほぼゼロですが)、自分の思う最善の選択を一つずつしていくしかありません。
 
あー世界中の人、みんな幸せにならないかな。
 
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P.S.
 
乃木坂ちゃんに直接関係ない記事で失礼しました笑
 
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