最近は、YouTubeを見ていると
色んな??え!!っていう話が聞けて嬉しく思います。
色んな人の考えや、ものの見方
体験や経験があるので
その色んな人の話を聞く機会に恵まれています。
私は、あまり人と関わらなくて
自分から関わる事もなく、近くにいるから
話さなきゃと思い話を頑張ってするので
話さなくても良い環境の方が無理しなくても良いので楽なんですよね。
でも、色んな人の話を聞きたいし
聞けるというのはとても良いことだなと
思います。
そういう機会を自ら行動したりお金を払ってまで行く事がまずなかったので
今まで培われた与えられたものしか
知らなくて、勉強もしなかったので
知識もそんなにはなく本も読みませんでした。
私という、そのような環境の中では
凝り固まった学校教育、社会教育
家庭教育、仕事場の教育の枠を
超えられずにいます。
そして、ネットの沢山の情報を上手く処理出来なくて、発狂したりもするのですね。
知らない事や訳が分からない話を聞くと
頭が混乱したり、気持ちが悪くなったり
怖い話だと怖くなって不安にもなります。
なので、そういう話は、嫌われやすく
信じられない話は、嘘だとか
デマだとしたらそうだという事にもなりかねないし、真剣に話し合う事となく
議論する事もなく終わってしまう場合もあります。
共感しやすくて優しい話の方が
好かれたりしやすいのかもしれません。
過激なもの理解できない話になると
人は拒否したり反対して
抵抗したりして、ただ聞いたり話を話しただけでも怒られたり、嫌われたり
心配されたりと、ちゃんとその聞いた話に対して正面から向き合う事なく
馬鹿にもされてそんな話をしないでほしいと避けられたり嫌煙されたりもします。
心に抱く不安や恐怖、そうなったら
嫌だなという気持ちの共感もしたくとも
そもそも、そういう話の情報ソースから
信頼出来るか出来ないかも
含めて、社会的に認知されてない話ってのは否定されてしまいがちなのですね。
自分まで否定されているようで
しんどくもなります。
そうじゃないんだけどもなと
自分の気持ちが伝わらないもどかしさってのは
コミュニケーションの問題として
抱えています。
何がいけないのかな。
人が何を考えてどう思っているのかという事は
聞かなきゃ分からない事もあるし 聞いてもハッキリしない事もあります。
ハッキリ話した所で
否定され嫌がられるのも嫌だなと
思うと中々言いにくいし
誤解を産むことにも繋がる。
人と会話を楽しむという以前に
楽しめなくなりますね。
気を使う事の方法さえも
違うのかなと考えてもキリがありません。
私という人間は、皆んなが
自分と同じように考えていると思っていたりもしてそうじゃない事があるのにも関わらず
横並び日本社会の私のようなものは
勘違いをしている事もあります。
心開いて見たり聞いたりしていない前に
そう思ってしまうのですね。
昔のように全国テレビで心一つになってた
頃と
テレビを見ずにゲームやパソコンやネット、スマホとなると
個人的な趣味や好きな事に集中して
やっていけるようになります。
趣味趣向が選択できて
好きな情報を得やすく記録も簡単で
集められる。
ネット社会。情報量の多さを
自分で整理整頓してカスタマイズして
必要なものを選んでいく過程においても
私は、大きく転んだりしています。
ネット世界の登場は、私的には
革命でしたね。
勉強したくても探す方法が面倒臭かったのでやらずにテレビを見ていたんですよね。
それから、好きな事がある意味簡単に
出来るようになった世界の登場
初めは速度の問題、パソコンをいじると変になりやすい問題もありましたが
皆さんスキル磨いています。
革命から早い所20年近くたちました。
昔は掲示板もありました。
色んな人の話が聴ける刺激がありました。
そして今、動画という目でも情報が入ってきますし、声や音楽も入ってきます。
相手の表情も、含めて昔のドラマや映画まで観る事が出来る。欲しい物が
簡単に探せて家から買える時代。
家でもそこそこ勉強出来る時代。
これから、どんな時代になって行くのか
リスクマネジメントしながら
私は、障害や持病を抱えながら
出来るだけ、世の中のために
自分のために、全てのために
生きていきたいと思っています。
情報の中に嘘や詐欺、
人を騙して人を不幸にさせようとする
ものも含まれてはいますが
そういうものにも反面教師の性質があると
気をつけながら
前を向いて行きたいと思います。