毎日毎回、なぜお隣の人達は車のドアを勢いよく閉めるのだろう?

このところ、また音が酷くなってきた。


こうして記事を書いていたら、勝手口を閉める音と施錠音がお隣から響いてきた!


LDKが隣同士なんて間取り、本当に嫌‼︎

お隣の家が後から建った(建て売り)ので、どうしようもない。

1メートルしか離れていないから、勝手口を頻繁に開け閉めしては施錠する音がすごく響く。


私は滅多に勝手口を開けないが、お隣は天気の確認、喫煙した後の空気の入れ替え?で本当によく開け閉めしている。

その度に、バタン!ガチャン!!と音が響く。


こっちも勝手口の開閉、毎日3回思い切り開閉して、音を響かせれば、お隣にも少しはどれだけ響くかわかってもらえるのかな?


やられたらやり返す!

を、やりたくもなる。



お隣一家には、一応ご近所さんに迷惑をかけないようにという意識は多少ある。

過去に微妙な件で、それを確認はできた。


が、生活音を始め、音に関しては全く迷惑の対象になっていないらしい。


お隣一家だけではなく、生活音なのだからとそもそもその音が隣近所に迷惑になっているなんて発想が全くない人達って、案外多いのではないのかなと思う。


そういう私も、実家に住んでいた頃は、お隣さんと隣接していたけれど、全く音を気にしていなかったです。

今思えば、音に関してはそれなりに迷惑をかけていたかも。


なぜ気にしていなかったのだろう?

音に関心がなかったのだと思います。

また、お隣さんが静かだったように思います。

お隣さんがうるさいと思ったこと、なかったと思います。

つまり、生活音に配慮がない人達は、他人の生活音を騒音だと捉えたことがほぼないのだと思います。

(確信犯は含みません)


また、音への感じ方は家族でも違います。

騒音だと感じても、その人の騒音範囲もまた違います。



お隣近所から騒音が聞こえてきて、まず、それを騒音と捉えるのか、生活音だと捉えるのかで分かれます。


騒音だと捉えると、それは自分にとって迷惑、不快でしかないものに確定されます。


それが毎日毎日何度も繰り返された時、それでもただの騒音だと捉えるか、その相手を自分の苛立ちの元凶だと捉えるのか。


元凶だと捉えると、対象に意識がロックオンされます。

つまり、自分の意識が騒音、騒音主に向かうということです。


これを繰り返していくと、さらに意識が騒音に向かい、気分が不快になってきます。


そして、こういうネガティブなことほど意識の純度が高いので(私の場合)、現実に何度も何度も現れて固定されてしまいます。


その騒音状況を体験し、不快になる、苛立つ。

その不快さと苛立ちの感情が、また騒音状況を作りだして、その騒音がより頻繁に、より酷くなっていきます。


これを10年以上も体験してきましたよぉ。

よく耐えた! 乗り越えた? なぁ、、、私。



こうして、騒音に関する記事を書いていると、騒音に意識が向かいます。

すると、1番辛かった頃をどうしても思い出してしまう。

その感情を上手く調整できないと、また騒音状況を頻繁に出現させてしまいそうで、投稿が1年ほど空いてしまいました。


去年もそれなりに調整できるようになってはいましたが、今の方がもっと上手くできるようになったので、投稿を再開した次第です。


騒音ノイローゼを乗り越えたので、今はもう「うるさいなぁ‼️」で、終わりです。

※本当は、「バ○ヤ○ウ! ウザいわー!」と心の中で怒鳴ってもいます。

ここまで言わないと終われない😝


そして、これ以上思考を騒音に、騒音主に向けない。



騒音でメンタルがやられている間は、これができません。

ずっーーーと騒音について考えてしまいます。

考えちゃダメ!とどんなに自分に言い聞かせても、なかなかできません。

メンタルをやられている度合いがより強いほど、いくら他ごとをやっても騒音から思考も感情も離れません。


そこまで酷くなったのは、私位かもしれませんが、誰にもわかってもらえず、苦しい年月を1人耐えてきました。


騒音でメンタルやられて、現実創造を知り、毎日実践と勉強の繰り返しです。


真理はひとつでも、解釈や自分への応用の仕方はたくさんあります。