ずいぶん、ご無沙汰していましたあせる

この3連休に父が7度7分の熱を出し、、、

去年の9月にも誤嚥性の肺炎で救急搬送したので、「魔の9月」と用心していたのですが、、、


熱もさほど高くなかったし、本人も病院を嫌がったので、まぁ様子を見ようと、家で様子をみていました。3日目に、とりあえず下がったので安心していたら、その夜、寝る前にトイレに行った後、倒れてしまい、呼吸が止まってしまいました。


あわてて救急車を呼び、酸素吸入してもらいながら、病院をあたってもらい、ちょっと遠かったけどポーアイの中央市民病院に受け入れてもらいました。


搬送してレントゲンを撮って帰ってきたら、急に容体が悪くなり、意識もなくなって、声をかけても反応しなくなってしまって。。


廊下で待っていたら、救急のドクターがやってきて、状況を説明してくれ

「器官切開をどうされますか?若いと有無を言わずするのですが、御高齢だし、身体の負担も。。」と言われました。


母とわたしは、覚悟をして、「もう今まで十分頑張ってきたので、これ以上、負担になるようなことは望みません」とお断りしました。

さすがに涙がこぼれてきて、、

先生は、うんうんと、ちゃんと目を見てお話してくれ。。気持ちが通じたのを感じて、この先生なら安心して任せられると思いました。


それにしても、、まさか、こんな遠くの病院に入ると思ってなくて、救急車に乗り込むときは、Tシャツにユニクロパンツに靴はクロックス(笑)

院内は寒くて震えました~。


急変に備えて、その晩はずっと病院にいて、始発でいったん家に戻り、入院の手続きやらドクターの説明を聞くために、少し仮眠を取って、また病院へ。


母は気が高ぶっているのか、家に戻ってきても横になっても眠れない様子。




原因はもともと肺が悪くてダメージを受けている上に誤嚥性の肺炎になったので、肺の中の二酸化炭素が増えてしまい呼吸困難に陥ったのだそうです。


入院をする度に、どんどん坂を転げるように弱ってくるものですね。


呼吸器のドクターが2人、いろいろと話を聞いて下さり、丁寧に説明してくれました。

聞いているようで、動転しているので意外と聞けていない。。。


なので、手書きの説明書きをコピーしてくれたのが、ありがたかったです。



その後、人工呼吸器が外せず、危険な状態でしたが、今は、昼間は呼吸器を外すことができ、顔色も良くなって会話もできるようになりました。

笑顔も出てきて、そんな様子に心も安らぎます。


嚥下の機能が衰えているために、口から食べることができず、鼻からチューブを入れているのが可愛そうですが。。


一時はせん妄も出て、どうしようと思っていたのだけど、今は落ち着いていてほっとしてます。


中央市民病院の救急病棟は看護婦さんも優秀な上にとても親切で優しいの。

人数も多いので、何かと手をかけてくれます。

新しくなった病院内もとても明るくてきれい。


通うのに時間はかかるのですが、以前、救急搬送先が、薄暗い狭い病室の病院で、何もかもが嫌だった経験があるので、、、。

あそこだけは、もう行きたくない、、。


なので、安心していられる中央市民病院に入院できて良かった合格


父も、それを感じているのか、今の所、嫌がる様子もないので、やれやれ。


これから転院し、さらにリハビリ病院に行くことになるらしいので、まだまだ道のりは遠いですが、元気になって、家に帰れるといいなぁと思っています。



入院してくれていると、わたしは自由に動けたりするので、10月は、いろいろ動く予定。

ふふ。