さだまさしさんのお話の中で

「詞を書く時に

フォントが違うとか言ってる

 

歌詞や内容によって

それに合うフォントを変えてる

 

明朝体だと降りてこないけど

フォントを変えると降りてくる」

 

ものづくりって良いなと思った

 

アーティストのその繊細な感性が好きだ

 

私も、そのフォントのことわかる気がする

 

絶対に伝えたい内容の時は

ビジネスでも、単なる連絡文書でも

フォントの種類や大きさを

慎重に選んでやってた

 

アイディアや頭の整理をする時に

ノートにいっぱい書いていくんだけど

それは縦書きじゃ無いと

スラスラ行かない

 

しかも、細めの筆ペン

 

横書きの普通のノートと文字サイズだと

感覚に全く合わないんだ

 

リズムが狂うと出てくる筈のものが

出てこない

 

ハードルロックの流れる室内で

クラシックを作曲するようなもの

 

ドラマを叩きながら

ヒーリング曲の作詞をするようなもの

 

感覚とテンポのミスマッチが

気持ちが悪いんだ

 

そんなメンドクサイ感覚の持ち主は

自分だけだと思ってきたけど

そうじゃなかったって分かって

嬉しいどころか、

一流の尊敬する人で嬉しい

 

父は、毎夜日記を書いてる

その父も同じことを言った

縦書きのノートで

細めの筆ペンだと書けないと…

 

戦国や江戸時代の人たちが

あの時代に優れた知識や技や感性を

持っていて美しい文字を書いていたのは

やっぱりこの

書くという感覚の研ぎ澄まされたリズムが

思考のリズム

技のリズム

全てに共通する

自分チューニングの

ツールだったのかもしれない

 

形が精神を作る

型が技を作る

 

メンドクサイと思っていた自分の感覚

大事にしたい