運命が変わったあの日 ~上空1万mの出会い~ 

運命が変わったあの日 ~上空1万mの出会い~ 

私の人生を大きく変えた出会い。あの日さえなければ、という思いを抱いて生きてきた私。ずっと言えなかった人生で一番つらかった出来事を綴ります。

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めちゃめちゃ久しぶりのブログ更新。

上空1万mまでの出会いまでは、まだまだまだまだ。。。。

先は長い。

一生懸命書きます。

 

 

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意気揚々と上京してたった4カ月。

専門学校とバイト生活の両立に挫折した私は、

横浜の端っこにあるおじいちゃんちに転がり込んだ。

 

おじいちゃんちと言っても、前回書いた通りおんぼろアパート。

お世話になっておいて、「おんぼろ」はないと思うが、

本当におんぼろだったのだ。

許して、おじいちゃん、おばあちゃん。

 

 

どれくらいおんぼろだったかというと、

前回も書いたけど、間取りは1K。

 

そして、風呂なし。

その上、なんと、トイレは水洗ではない。

30年前と言っても、そんなボロアパートあるのか?って感じ。

しかし、あったんですね、そんなアパート。

 

そして、祖父、祖母、叔父はそこに住んでいた。

今思うとすごいことだ。

 

 

私は、おじいちゃんの部屋で眠らせてもらうことになった。

おじいちゃんの部屋は2階にあって、

食堂であるおばあちゃんの部屋は1階にあった。

もちろん、外階段である。

 

 

朝起きたら、まずおばあちゃんの部屋へ行き朝ご飯を食べる。

そして、2階の部屋へ戻って身支度をして学校へ行く。

 

 

駅までは軽く20分くらい歩く道のり。

しかも山道。

ここのどこが横浜なんだ?!と思うほどの田舎っぷり。

もちろん、海はない。

 

 

学校は新宿だったので、東海道線で品川経由で山手線。

毎朝毎夕、混まない時はないというくらいのものすごい通勤ラッシュ。

 

 

当時の東海道線は、ボックス席だったけれど、

向かい合って座っているボックス席の中にまで

人が立つほどの込み具合だった。

 

 

いつも具合が悪くなりそうだった。

なんで、あんなに混んでいるのか?

それは、東京へ通勤する人があふれるほどいるから。

単純なことだった。

 

 

それでも、学校へ行くためにおじいちゃんちへ

転がり込んだのだから、頑張って通学する。

 

 

今思うと、おじいちゃん、おばあちゃんには

感謝の気持ちでいっぱいだけど、やっぱり当時はきつかった。

 

 

何といっても、風呂がない。

駅までも20分だけど、銭湯までも20分かかる。

銭湯は駅前にあったのだった。

 

 

混みこみの電車に乗って帰って来て疲れた体で20分歩いて帰る。

そして、ご飯を食べたら、また20分かけて銭湯へ行く。

 

こんな19歳の女子いますか?と言いたくなるくらいしんどかった。

まあ、もっともっと苦労している人はたくさんいるのだろうけど、

当時の私にしてみれば、ホントしんどかったなぁ。

 

 

夏に転がり込んだので、初めの頃は暑すぎて、

銭湯で汗を流して帰っていると、帰る間にまた汗をかく。

アパートに着く頃には汗だく。笑

いや、笑えない。

 

風呂なし、トイレは水洗ではないボロアパートには

当然、クーラーもない。

 

 

はぁ、暑かったなぁ、あの部屋。

今思うと、本当によく生活できたものだと我ながら感心する。

 

 

そんなこんなで、おじいちゃんちでの生活が始まった。

専門学校卒業まであと8カ月。

この後、いろいろなことが起こる。

 

横浜生活の続きはまた次回。