私は右耳に補聴器をはめているので正確ではないものの、一応、音が補聴器を通して聞こえます
でもやっぱりお話をする上で基本となるのは、相手の口の動きを見て言葉を読み取るという「読話術(どくわじゅつ)」です
人によっては、「口唇術(こうしんじゅつ)」と言う人もいるかと思います
読話術というのは、相手の口の形や、舌の動きなどを見ることによって、その人が話している言葉を読み取ることです
すぐに言葉が読み取れるものもあれば、分かりにくいけれど何とか読み取って、こう言っているんだろうか?と推測して頭の中で想定できる言葉を組み立て、その瞬間に理解できることも
私にとって言葉を理解するというのは「段階を踏んでいる」と同じような感じで、
相手の口を見る→言葉を読み取る→読み取った言葉を頭の中で単語や文章に組み立てる→何の意味なのか、何を言っているのかを正確に理解する
というようなこんな段取りになるかしら(^_^;)
なので、相手から言われたことが瞬時に理解できなくて、ほんの少し時間がかかったりすることもあります
また、相手によっては、どうしても読話がしにくい人も
性別や年齢とかそういったことは関係なく、あくまでその人によるもので、例えば口の動きが小さかったりとか、一生懸命口の動きを追っても何の言葉を言っているのか読み取れないことも
それは、あえて個人差としか言いようがないのです~
そういう場合は読話では限界があるので、筆談でしてもらった方が早い
私は、生まれた時から耳が聞こえなかったので2歳になった時にろう学校に入り、先生によって訓練され、話すということや言葉を覚え、そして読話術を学びました
同じ聴覚障がい者でも、読話が上手な人もいれば、苦手な人もいたりとか、全くできないとか、それもやっぱり人それぞれです
私はこの読話術を用いて会話をすることが本当に普通のことだったので、大人になって社会に出た頃から、たまに読話することが「すごいねー」と言われることがあることに気づきました
私にとっては、「え、そうなの?」なのです(^_^;)
本当に私にとっては特別なことでもなく普通のことだと、さらっと思っていたので、そういう風に思う人がいるんだということも知らなかったんだと思います
というか、普段は読話術をする私のような聴覚障がい者に接することがなかったら、なかなか知る機会がなかったのかもしれませんね~。
私は簡単な言葉の読話術なら他の人もできることあるのかな?と思って、ダンナに試したことがあります~
「すっごく簡単な言葉を口パクで言ってみるから、読んでみてー 簡単な言葉だよ。お・は・よ・う」
私はおはようという単語を一文字ずつ丁寧に区切って、口もはっきり開けて言ったつもりなのですが、ダンナは「さっぱりわからんわい」とすぐにさじを投げられました(笑)
読話術って、やっぱり訓練されてこそ身につけるものだったのかー
今頃気づいた私(笑)
でも、この読話術、なかなか便利な時もありますよ~
例えば、一緒に電車に乗っていて、ダンナは次の駅で降りるけれど私はその次の次の駅まで用があったので行かねばならず、そこで別れることに。
次の駅でダンナは駅に降りて、私はそのまま座席に座っていたのでダンナを見送ろうと思っていたのですが、ダンナが窓の向こう側で立ち止まってこっちを見ました
『待ってたるわ。見送ったる』
窓の向こうでダンナがそう言ったのがわかったので、私は「ありがとー」と言ったつもりですが、当然あちらには分からず(笑)
続いて、ダンナはなぜか『ぼけ!』といつもの冗談(笑)
何でやねん(笑)
そして、ダンナが何やら紙を取り出して見て、そのあとくしゃくしゃっと丸めたので。
「それは何?」という意味で私がその手つきを真似たら、彼は
『レシート!』
と答えたので、私はその紙が何だったのか分かりました
そして、電車が動き出したので、バイバイと手を振っておしまい
私にとっては、ガラス窓を隔てた向こうであっても、読話ができればちゃんとお話しできるのですね~
または、会社でもフロアの端にいる私が、その反対側の端っこで遠くにいる人が、私に向かって話しかけている言葉を読み取ることも場合によっては十分可能で
こんな時は便利だなーって思います
でも、あくまで場合によりますけどね~
いつも何気なくのほほんと使っている読話術、ふと改めてこんな感じで気づきました~
でもやっぱりお話をする上で基本となるのは、相手の口の動きを見て言葉を読み取るという「読話術(どくわじゅつ)」です
人によっては、「口唇術(こうしんじゅつ)」と言う人もいるかと思います
読話術というのは、相手の口の形や、舌の動きなどを見ることによって、その人が話している言葉を読み取ることです
すぐに言葉が読み取れるものもあれば、分かりにくいけれど何とか読み取って、こう言っているんだろうか?と推測して頭の中で想定できる言葉を組み立て、その瞬間に理解できることも
私にとって言葉を理解するというのは「段階を踏んでいる」と同じような感じで、
相手の口を見る→言葉を読み取る→読み取った言葉を頭の中で単語や文章に組み立てる→何の意味なのか、何を言っているのかを正確に理解する
というようなこんな段取りになるかしら(^_^;)
なので、相手から言われたことが瞬時に理解できなくて、ほんの少し時間がかかったりすることもあります
また、相手によっては、どうしても読話がしにくい人も
性別や年齢とかそういったことは関係なく、あくまでその人によるもので、例えば口の動きが小さかったりとか、一生懸命口の動きを追っても何の言葉を言っているのか読み取れないことも
それは、あえて個人差としか言いようがないのです~
そういう場合は読話では限界があるので、筆談でしてもらった方が早い
私は、生まれた時から耳が聞こえなかったので2歳になった時にろう学校に入り、先生によって訓練され、話すということや言葉を覚え、そして読話術を学びました
同じ聴覚障がい者でも、読話が上手な人もいれば、苦手な人もいたりとか、全くできないとか、それもやっぱり人それぞれです
私はこの読話術を用いて会話をすることが本当に普通のことだったので、大人になって社会に出た頃から、たまに読話することが「すごいねー」と言われることがあることに気づきました
私にとっては、「え、そうなの?」なのです(^_^;)
本当に私にとっては特別なことでもなく普通のことだと、さらっと思っていたので、そういう風に思う人がいるんだということも知らなかったんだと思います
というか、普段は読話術をする私のような聴覚障がい者に接することがなかったら、なかなか知る機会がなかったのかもしれませんね~。
私は簡単な言葉の読話術なら他の人もできることあるのかな?と思って、ダンナに試したことがあります~
「すっごく簡単な言葉を口パクで言ってみるから、読んでみてー 簡単な言葉だよ。お・は・よ・う」
私はおはようという単語を一文字ずつ丁寧に区切って、口もはっきり開けて言ったつもりなのですが、ダンナは「さっぱりわからんわい」とすぐにさじを投げられました(笑)
読話術って、やっぱり訓練されてこそ身につけるものだったのかー
今頃気づいた私(笑)
でも、この読話術、なかなか便利な時もありますよ~
例えば、一緒に電車に乗っていて、ダンナは次の駅で降りるけれど私はその次の次の駅まで用があったので行かねばならず、そこで別れることに。
次の駅でダンナは駅に降りて、私はそのまま座席に座っていたのでダンナを見送ろうと思っていたのですが、ダンナが窓の向こう側で立ち止まってこっちを見ました
『待ってたるわ。見送ったる』
窓の向こうでダンナがそう言ったのがわかったので、私は「ありがとー」と言ったつもりですが、当然あちらには分からず(笑)
続いて、ダンナはなぜか『ぼけ!』といつもの冗談(笑)
何でやねん(笑)
そして、ダンナが何やら紙を取り出して見て、そのあとくしゃくしゃっと丸めたので。
「それは何?」という意味で私がその手つきを真似たら、彼は
『レシート!』
と答えたので、私はその紙が何だったのか分かりました
そして、電車が動き出したので、バイバイと手を振っておしまい
私にとっては、ガラス窓を隔てた向こうであっても、読話ができればちゃんとお話しできるのですね~
または、会社でもフロアの端にいる私が、その反対側の端っこで遠くにいる人が、私に向かって話しかけている言葉を読み取ることも場合によっては十分可能で
こんな時は便利だなーって思います
でも、あくまで場合によりますけどね~
いつも何気なくのほほんと使っている読話術、ふと改めてこんな感じで気づきました~