前回更新からだいぶ時間が経っていました。
間質性肺炎を患っている母の病状は緩やかな悪化。
病状が酷くなる前に「リハビリ入院」というのもして、無理のない範囲での運動と体調管理の成果なのか、本人の生命力なのか。
昨年無事に還暦をむかえ、今年の桜も一緒に見ることが出来ました。

私の方では昨年第二子となる娘が誕生し、息子は4才になりました。

先日、母との会話できづいたことがあったので、メモです。

母「○○(母にとっての第三子)は私のことを色々な人に紹介するのよね(母のところに患者を連れてくるということ)」

母の実母は、幼い頃の母を自分の田舎に連れていったり、買い物へ一緒に行ったりということをしてくれなかったそう。母の弟も「お姉ちゃんと一緒にいるとジロジロ見られるから嫌」と言ったと。(今はもうどちらとも良好な関係です)

今から半世紀前のことなので、情報も少なく、時代が悪かったのだと思います。

私の下に二人弟がいますが、母がアルビノであることはみんな気にしていません。

たしかにまだ小さかった頃、母と一緒に電車などに乗ると、周りの人が母を見ているということを幼いながらに感じて不思議に思ったこともありました。
でも、幼稚園や小学校では母の姿を「かっこいい」と言ってくれる同級生ばかりだったので、私にとって母の存在はどこか誇らしかったです(笑)
小学生の頃は、神風怪盗ジャンヌが流行り、フィンという登場人物が突然変異で髪の毛の色が違うという設定だったので、母のことを聞かれたら、フィンみたいな感じと説明していました。

母の見た目で困ったことをあげるとすれば、幼い頃、外で母とはぐれた時、後ろ姿で母だと思って着いていったら、ふりかえられた時に外人さんで驚いたということぐらいです(笑

私自身、145cmという低身長で、周りから色々言われたことがあります。
見た目のマイノリティの生きずらさは母とはきっと比べ物にはなりませんが、それなりに傷ついた経験は忘れられません。

母と今回話していて、アルビノであることを周りがどう捉えてくれるかで、当事者と親、きょうだいとの関係まで変わってきてしまうんだなと思いました。

私の子どもたちには人のことを多方面から見られるようになってほしいと思っています。
私の友だちにはゲイの子もいるので、そういったマイノリティも教えていきたいです。
世界はまぜこぜなのです!!

ブログを始めようと思った頃から、母の症状はとくに変わらず。

一日に何度も咳き込む。


でも、仕事も続けていて、この暑い中買い物も歩いて行くし、私の息子を抱っこして階段も昇り降りができる。


この前の通院で、肺活量の検査をしたらしいのだが、その前の検査と比べて数値が上がっていたらしい!

(前回は鼻をつまみ、今回はつままないでするという検査方法に違いがあったので実際のところよくわからないけれど。)


まぁ何にせよ現状維持ということにホッとした。


薬はアドエアを使用。

内出血しやすくなったようで、ビタミンCを飲んでいる。


特発性間質性肺炎の難病申請は母の場合は難しいようなので、しないという結論に至った。


なんとなくだけれど、母の思考にブレを感じるというか…、

酸素が脳にいってないからなのかな。

以前の母ならこんな風に言わなかったと思うのになぁなどと思うことがたまにある。


年齢のせいもあるのかもだけど、うーん。なんとなくモヤモヤ。


母は今年58歳。

アルビノのため、金髪で色白の見た目。

視覚障害があり、眼球振盪、斜視といった症状もあります。


そんな母のもとに生まれた私は、アルビノではありません。

障害もありません。


そして、母のことについて特に不思議に思わないまま育ち、今年アラサーになりました。


母の髪や肌が外人のようなのは、「劣性遺伝のせいよ」とだけ聞いていたので、

「アルビノ」という言葉を知ったのは実はつい最近のことです。


たまたまNHKのハートネットTVで「アルビノ」が取り上げられていたことを弟を通じて知りました。


母はアルビノだったのか!


そしてアルビノの方は、母以外にもいることを知りました。

(当たり前といえば当たり前なのですが、髪を染めている方も多いそうなので、周りで見かけて気付くということがなかったので…)


調べてみると、「親がアルビノである」子どもという目線からの情報があまりないように思えたので、このブログを始めてみました。


また、母は今年、間質性肺炎を患っていることがわかり、母の記録として残してみたいと思いました。


ブログの内容は、アルビノの母とのこと、間質性肺炎の闘病記録、子育て中なのでその記録を書いていきたいと思います。