間質性肺炎を患っている母の病状は緩やかな悪化。
病状が酷くなる前に「リハビリ入院」というのもして、無理のない範囲での運動と体調管理の成果なのか、本人の生命力なのか。
昨年無事に還暦をむかえ、今年の桜も一緒に見ることが出来ました。
私の方では昨年第二子となる娘が誕生し、息子は4才になりました。
先日、母との会話できづいたことがあったので、メモです。
母「○○(母にとっての第三子)は私のことを色々な人に紹介するのよね(母のところに患者を連れてくるということ)」
ブログを始めようと思った頃から、母の症状はとくに変わらず。
一日に何度も咳き込む。
でも、仕事も続けていて、この暑い中買い物も歩いて行くし、私の息子を抱っこして階段も昇り降りができる。
この前の通院で、肺活量の検査をしたらしいのだが、その前の検査と比べて数値が上がっていたらしい!
(前回は鼻をつまみ、今回はつままないでするという検査方法に違いがあったので実際のところよくわからないけれど。)
まぁ何にせよ現状維持ということにホッとした。
薬はアドエアを使用。
内出血しやすくなったようで、ビタミンCを飲んでいる。
特発性間質性肺炎の難病申請は母の場合は難しいようなので、しないという結論に至った。
なんとなくだけれど、母の思考にブレを感じるというか…、
酸素が脳にいってないからなのかな。
以前の母ならこんな風に言わなかったと思うのになぁなどと思うことがたまにある。
年齢のせいもあるのかもだけど、うーん。なんとなくモヤモヤ。
母は今年58歳。
アルビノのため、金髪で色白の見た目。
視覚障害があり、眼球振盪、斜視といった症状もあります。
そんな母のもとに生まれた私は、アルビノではありません。
障害もありません。
そして、母のことについて特に不思議に思わないまま育ち、今年アラサーになりました。
母の髪や肌が外人のようなのは、「劣性遺伝のせいよ」とだけ聞いていたので、
「アルビノ」という言葉を知ったのは実はつい最近のことです。
たまたまNHKのハートネットTVで「アルビノ」が取り上げられていたことを弟を通じて知りました。
母はアルビノだったのか!
そしてアルビノの方は、母以外にもいることを知りました。
(当たり前といえば当たり前なのですが、髪を染めている方も多いそうなので、周りで見かけて気付くということがなかったので…)
調べてみると、「親がアルビノである」子どもという目線からの情報があまりないように思えたので、このブログを始めてみました。
また、母は今年、間質性肺炎を患っていることがわかり、母の記録として残してみたいと思いました。
ブログの内容は、アルビノの母とのこと、間質性肺炎の闘病記録、子育て中なのでその記録を書いていきたいと思います。