空より淡き瑠璃色の ~寺社&御朱印巡り~ -2ページ目

空より淡き瑠璃色の ~寺社&御朱印巡り~

神社仏閣にお参りし、頂いた御朱印をご紹介するほか、
日常のことや仕事のことなど
ざっくばらんにちょっと真面目なこと多めに
つぶやいていければなぁ、と思っています。

みなさんおひさしぶりです。

職場が新しいところになって、なかなか更新できませんでした。

今日のご紹介は、京都嵯峨野にある常寂光寺です。

野々宮神社のさらに先にある、とても静かなお寺です。

百人一首の選者藤原定家の時雨亭があった場所といわれている。
小倉山の中腹に、本堂、妙見堂、多宝塔(重要文化財)などが並んでいます。
常寂光土に遊ぶような風情があるところから、「常寂光寺」という、

この名がつけられたといわれる。

 

常寂光寺慶長年間(1596~1614)に

大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創されたそうです。

本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、

伏見桃山城客殿を移築し造営されたそうですよ。

 

什物に高倉天皇より小督局に下賜された車琴があり、

これは、非公開ですが、小早川秀秋公より当山に納付されたものだそうです。

 

 

 

仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門を移築し、

仁王像は運慶作と伝えられています。

 

そして、こちらが境内の様子です。

緑が多く、音を吸い取っているような静かな感じです。

 

  

 

竹林もあってとても素敵な雰囲気です。

 

  

 

多宝塔です。

 

 

 

こちらが女の碑というものです。

第二次世界大戦には、2百万にのぼる若者が戦場で命が失われ、

その若者たちと結ばれるはずであった多くの女性(およそ50万人と言われてるそうです)が、

独身のまま自立の道を生きることになりました。

女性のひとりだちには困難の多い当時の社会でしたが、懸命に生きてきました。

この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、

常寂光寺の支援のもとに建立されたそうです。

 

 

ちちなみにこの常寂光院は少々高台にあり、

展望台の方から市内の方がよく見えるんですよ!

 

 

こちらが御朱印です。

 

 

 

おまけ

嬢寂光院の入口のそばに維新志士の像があります。

調べたのですが、由来はよくわかりませんでした。

 

みなさん、こんにちは。

今日は紫陽花やこちらのなごみ地蔵さまで

ゆうめいな長谷寺のご紹介です。

 

 

伺ったときは藤が咲いていましたが、

今はちょうど紫陽花の時期のようです。

 

 

境内は参拝者が多かったですが、

緑が多く、とても心穏やかになれる素敵なお寺です。

 

  

 

  

 

境内のすぐ目立つところに階段があるのですが、

それを登らずにまっすぐ行くと弁天窟があります。

中は写真NGですが、なかは神聖な雰囲気の漂う洞窟です。

 

  

 

こちらは、阿弥陀堂です。
阿弥陀如来坐像様がお祀りされています。
鎌倉幕府初代将軍 源頼朝が、自身の42歳の厄除けのために建立したものだそうです。
当山ではその伝承に因み「厄除阿弥陀」と呼んでいるそうです。
ただ、この像はもともと長谷寺で造立されたものではなく、
誓願寺(現廃寺)の本尊であったということ。
現在この尊像は「鎌倉六阿弥陀」のひとつにも数えられます。
 

 

ここの本尊様の十一面観音菩薩像(長谷観音)様は、

お隣のお堂にお祀りされています。
その創建は本尊である長谷観音流着の縁起に由来しています。

関東大震災による当山の罹災がひどく、建替えとなったそうです。

ご本堂のお隣に観音ミュージアムがあり、

昨年長谷寺宝物館の開館35周年を迎えるにあたって老朽化の進んだ設備を刷新し、

鎌倉長谷寺の本尊である「観音菩薩」を主題とした

博物館「観音ミュージアム」へと新生したそうです。

 

 

こちらは、経蔵(輪蔵)といって、
内部の回転式書架を「輪蔵(りんぞう)」と呼びます。

 

 
中には一切経(大蔵経)が収められていて、
書架を一回転させることで一切経をすべて読誦した功徳が得られるそうです。
※輪蔵は観音御縁日(毎月18日)、正月三が日、4月8日(灌仏会)、
8月10日(四萬六阡日)のみ回すことができるそうです。

 

中には、マニ車という主にチベット仏教において用いられる道具もありました。

マントラが刻まれた筒の中には漢文とサンスクリット語の般若心経が、

多数納められているそうです。

マニ車を回転させることで、

納められた経文を唱えるのと同じ功徳があるといわれ、毎日回すことができます。

 

 

そして、眺望散策路先の展望台です。

 

  

 

平成の初頭にアジサイの栽培を始めたのがきっかけで、
現在では在来種をはじめ40種類以上、約2500株のアジサイが鑑賞できます。
また、散策路上段からは壮大な由比ヶ浜が一望できますよ。
ただ、今は紫陽花が見頃なので、
混雑時には整理券を配布しているとのこと。
 
御朱印はこちらの3タイプです。
 

  

 

 

おまけです。

最初にご紹介した右のなごみ地蔵様は、弁天窟のそばに。

左の三つ子みたいななごみ地蔵様は、眺望散策路の途中にありますよ。

 

  

 

 

こちらは、仏足石(ぶっそくせき)といって、

お釈迦様の足跡を石に刻み信仰の対象としたものなんだそうです。

 

 

akarukuaみなさんこんにちは。

というか、お久しぶりです(;^_^A

 

関東は昨日今日と梅雨の晴れ間でいい天気でお出かけ日和です。

7月から、東京福めぐりという都営浅草線沿線の神社めぐりが催されているようですね。

浅草神社と蛇窪大明神以外の神社には伺ったことがないので、

お休みの日に行ってみようかな。

 

今日は、鎌倉の代表的なお寺、鎌倉大仏で有名な高徳院のご紹介です。

 

本尊様:国宝銅造阿弥陀如来坐像

御由緒:

開山、開基は不明で大仏の造像の経緯についても史料が乏しく、

不明な点が多い。

高徳院(詳名: 大異山高徳院清浄泉寺)は、

法然上人を開祖とする浄土宗の仏教寺院です。

北条得宗家の正史『吾妻鏡』によれば、

その造立が開始されたのは1252(建長4)年で、

制作には僧浄光が勧進した浄財が当てられたとも伝えられています。

 

仁王門がこちらです。

 

 

こちらが手水舎です。

 

 

手水舎には文字が掘ってあるんですよ。

 

 

こちらが、ご本尊様の国宝銅造阿弥陀如来坐像です。

 

 

創建当時の事情には不明な部分が多く、

未だ尊像の原型作者すら特定されるに至っていません。

当初尊像を収めていた堂宇については、

『太平記』と『鎌倉大日記』に、1334(建武元)年と1369(応安2)年の大風と

1498(明応七)年の大地震によって損壊に至ったとの記録があったそうです。

2000(平成12)年から2001(平成13)年の境内発掘調査の結果、

応安2年(1369年)の倒壊以後に

大仏殿が再建された形跡は見出されなかったそうです。

 

 

大仏様の右手に、大きな藁草履がありますが、

こちらは松栄(まつざか)子供会によって奉納されたものだそうです。

1951年に「大仏様に日本中を行脚し、万民を幸せにしていただきたい」と願う、

茨城県久慈郡(現常陸太田市松栄町)の子供達によって始められたそうです。

1956年以降、3年に一度巨大な藁草履の制作し、

寄進されているそうですよ。

 

続いて、大仏様の胎内へ。

大仏様の右手側から胎内に入ることができます。

(通常の拝観料200円の他に20円の拝観料が必要です)

 

 

出入りで使う階段は、結構急なので足もとお気を付けて。

 

 

胎内は、大仏様の背面に明かり取りの窓があって、

火が出てる自分や天気の良い時はかなり明ると思います。

 

御朱印はこちらです。

直営販売店そばの事務所で頂けますよ。