<secret letter・第6章 連絡>
妻の男のことで、一体それが誰なのか考えていた頃、
妻から「あの人を連れてきて」と催促されていた僕だった。
僕の中で「あの人」とは一人しかいない。
その女を妻に逢わせることを躊躇った時、妻が静かに・・・
「あなたは、私にその人を逢わせる義務があるのよ」
そう言ったのだった。
背中に這うように上ってくる暗い闇は、妻の身体から伝わってくるものだった。
彼女と別れる思いでいた僕だったのだが、
いつまでもズルズルと仲が続いていた前例があるために
妻からの言葉に再度「別れるつもりなんだ」とは言い切れなかった。
だから逢わすことはできないのだと、
そう言い切る事もできなかったのである。
今まで散りばめてきた嘘を、妻は丁寧にそれを拾い上げていて
きっと僕に見せたいのだろう。
嘘にしかならない言葉だと妻が思ってしまっているのなら
彼女と別れるつもりでいる僕の心もきっと嘘だと決めつけるのだろう。
「わかったよ」
僕は短く妻にそう言うと、愛人へとすぐに連絡を入れたのだった。
「君にはとても言い難いんだが・・・」
「知っているわ・・・」
僕がカフェに呼び出した理由を語ろうとした時、
愛人が言った一言だった。
知っている?何を?
僕の顔がたぶん変な風に歪んだものだから、愛人は吹き出したのだろう。
続けてこう言ったのである。
「えぇ。知っているわよ。奥さんが逢いたいって言ってきたんでしょう?」
「どうしてそのことを?」
「さぁ、どうしてかしら?・・・逢うわよ、私」
静かに珈琲を口にする愛人の仕草にドキッとしながらも
僕はどうして愛人が僕の言うべき言葉を先に語ったのか不思議に思っていた。
妻が「愛人に逢いたい」などという言葉は現実的ではないし、
その言葉を愛人である彼女が推測することなどできるわけがないと思っていたから。
だからこの時、愛人の言葉に違和感を覚えたのである。
『さぁ?どうしてかしら?』
彼女の声が何度も頭の中をかすめ、僕の耳には彼女のクスクス笑いだけが届いていた。
「いつがいいかしら?」
ゆっくりと含み笑いを顔から消していき僕を見つめる瞳の強さは
今まで妻の存在を知らなかった愛人の顔ではなかった。
もう随分も前から妻と闘っている女の顔だった。
僕が彼女に妻の存在を教えたのは、妻がこうして入院するようになってからである。
僕が愛人に別れを切り出した時、妻の病気の事を告白して・・・
だから、この女がいま顔に張り付けている微笑は、
本来この短い期間で収得できる表情ではない筈だった。
普通なら「妻に逢ってくれ」と言われたら尻込みするはずである。
それをこの目の前に座っている女は笑顔で片付けようとしていた。
なんだかおかしかった。
妻の発言と愛人の態度。
この二つが妙に僕には理解できない代物へと変化していったのだった。
「・・・和真さん?どうしたの?顔色が悪いわ」
僕の名前を呼び、向かい合わせで座っていた愛人は僕の両手を握って笑いかけてくる。
「今度の日曜日に伺いますって伝えてくれるかしら?」
愛人の声は巫女が持つ鈴のように聞こえる。
凛としていて、一本筋が通っているような声。
僕に今まで甘えてきた女の声ではなくて、
妻と対峙するために、腹の底から用意した女の声だった。
もしかして・・・ずっと知っていた?
僕に妻がいることを・・・僕の嘘を見抜いていた?
だとしたら、この女は今まで僕に見せていない顔を持っている女なのだ。
弱々しい女の顔をしつつ、その反面、僕が吐く嘘を平気で聞いていられるような女なのだ。
僕の背中にずっと妻を感じ、僕を抱きしめながら
その笑顔の奥のほうで、妻を嘲り蔑んでいたのである。
そういうことにならないだろうか?
この女は妻に逢って何を話すというのだろう。
そして、妻もこの女に逢って何を話すというのだろうか?
この時の僕は、何一つ判ってはいなかった。
***********
第7章・対峙へつづく
妻の男のことで、一体それが誰なのか考えていた頃、
妻から「あの人を連れてきて」と催促されていた僕だった。
僕の中で「あの人」とは一人しかいない。
その女を妻に逢わせることを躊躇った時、妻が静かに・・・
「あなたは、私にその人を逢わせる義務があるのよ」
そう言ったのだった。
背中に這うように上ってくる暗い闇は、妻の身体から伝わってくるものだった。
彼女と別れる思いでいた僕だったのだが、
いつまでもズルズルと仲が続いていた前例があるために
妻からの言葉に再度「別れるつもりなんだ」とは言い切れなかった。
だから逢わすことはできないのだと、
そう言い切る事もできなかったのである。
今まで散りばめてきた嘘を、妻は丁寧にそれを拾い上げていて
きっと僕に見せたいのだろう。
嘘にしかならない言葉だと妻が思ってしまっているのなら
彼女と別れるつもりでいる僕の心もきっと嘘だと決めつけるのだろう。
「わかったよ」
僕は短く妻にそう言うと、愛人へとすぐに連絡を入れたのだった。
「君にはとても言い難いんだが・・・」
「知っているわ・・・」
僕がカフェに呼び出した理由を語ろうとした時、
愛人が言った一言だった。
知っている?何を?
僕の顔がたぶん変な風に歪んだものだから、愛人は吹き出したのだろう。
続けてこう言ったのである。
「えぇ。知っているわよ。奥さんが逢いたいって言ってきたんでしょう?」
「どうしてそのことを?」
「さぁ、どうしてかしら?・・・逢うわよ、私」
静かに珈琲を口にする愛人の仕草にドキッとしながらも
僕はどうして愛人が僕の言うべき言葉を先に語ったのか不思議に思っていた。
妻が「愛人に逢いたい」などという言葉は現実的ではないし、
その言葉を愛人である彼女が推測することなどできるわけがないと思っていたから。
だからこの時、愛人の言葉に違和感を覚えたのである。
『さぁ?どうしてかしら?』
彼女の声が何度も頭の中をかすめ、僕の耳には彼女のクスクス笑いだけが届いていた。
「いつがいいかしら?」
ゆっくりと含み笑いを顔から消していき僕を見つめる瞳の強さは
今まで妻の存在を知らなかった愛人の顔ではなかった。
もう随分も前から妻と闘っている女の顔だった。
僕が彼女に妻の存在を教えたのは、妻がこうして入院するようになってからである。
僕が愛人に別れを切り出した時、妻の病気の事を告白して・・・
だから、この女がいま顔に張り付けている微笑は、
本来この短い期間で収得できる表情ではない筈だった。
普通なら「妻に逢ってくれ」と言われたら尻込みするはずである。
それをこの目の前に座っている女は笑顔で片付けようとしていた。
なんだかおかしかった。
妻の発言と愛人の態度。
この二つが妙に僕には理解できない代物へと変化していったのだった。
「・・・和真さん?どうしたの?顔色が悪いわ」
僕の名前を呼び、向かい合わせで座っていた愛人は僕の両手を握って笑いかけてくる。
「今度の日曜日に伺いますって伝えてくれるかしら?」
愛人の声は巫女が持つ鈴のように聞こえる。
凛としていて、一本筋が通っているような声。
僕に今まで甘えてきた女の声ではなくて、
妻と対峙するために、腹の底から用意した女の声だった。
もしかして・・・ずっと知っていた?
僕に妻がいることを・・・僕の嘘を見抜いていた?
だとしたら、この女は今まで僕に見せていない顔を持っている女なのだ。
弱々しい女の顔をしつつ、その反面、僕が吐く嘘を平気で聞いていられるような女なのだ。
僕の背中にずっと妻を感じ、僕を抱きしめながら
その笑顔の奥のほうで、妻を嘲り蔑んでいたのである。
そういうことにならないだろうか?
この女は妻に逢って何を話すというのだろう。
そして、妻もこの女に逢って何を話すというのだろうか?
この時の僕は、何一つ判ってはいなかった。
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第7章・対峙へつづく