<secret letter・第三章 告知>
『お二人にお子さんができないのは、奥さまが原因なのではなくて、むしろご主人のほうにあると検査結果から確認できました』
七年前にそう宣告されてから、僕の中で何かが壊れた。
今まで原因は妻にあるのだと信じて疑わなかった事に対して
医師は無情にも逆の判決を僕達夫婦の上に浴びせたのだ。
十年前に僕達は両親や友人たちに祝福されて結婚をした。
何かの折に親戚連中が集まると、うるさく子供はまだか、と詮索されていた。
「もうそろそろ、いいわよね?」
「赤ちゃん、可愛いわよ」
最初は笑ってかわすことができる話題でも、
逢う度に言われては嫌気もさす。
僕達だって子供が嫌いなわけじゃない。
郁子だって毎月生理がくる度に溜息を吐くようになっていった。
その暗い背中を今でも思い出せる。
「病院に行こうか・・・」
妻のお腹にはきっと、卵子がないのだ・・・。
卵がなければ、いくらなんでも子供ができるわけがない。
そう医者から言われれば・・・郁子だって納得するはずである。
このまま子供を欲しがって生きる人生よりも、
二人仲良く生きていき、長い人生を共に歩んだ方が幸せに違いないと。
そう手を握り合うために病院を訪れたのだった。
それが・・・
実は僕に原因があるから子供ができないだなんて
そんな言葉を聞くとは思わなかった。
耳を疑った。
真実かどうかを確認するために医師の顔を凝視した。
だが、医師は黙って頷き言葉を持たなかった。
そして同時に妻の姿を見ると、妻の顔はみるみる変化していったのである。
それもそうだろう。
散々自分をなじった僕の母親に言葉を返すことができるのだから・・・
『私が悪いんじゃありません。あなたの息子に原因がありました』
どんな言葉を選んでいるのだろう?
きっと・・・勝ち誇ったような顔を笑顔に刻むのだろうか?
それとも、冷酷な顔をして今まで自分に浴びせられた罵声を
そっくりそのまま母に返そうとしているのだろうか?
妻が判らなくなったのは・・・
たぶんその時からだと思う。
何を郁子が言ったかは知らないが、それきり母は郁子を責めなくなった。
そして母は僕の家にも寄りつかなくなったのである。
やっと責められる事から解放された妻は、
今度は硬い殻を覆うようになり、僕から遠く離れていってしまったのだった。
僕達と両親は一度も同居をしたことがない。
だが、車ですぐに来ることができる場所にいて、僕の知らないところで
母は郁子を責めていたのかもしれない。
ずっと、自分の身体が悪いのだと自問自答していた郁子。
だが、実は郁子ではないという現実が、今まで母に言われてきた言葉を
そのまま僕に返す事を心に誓ったのかもしれなった。
そんなことはない。郁子はそんな女じゃない。
そう思っても、あの氷のように冷たい微笑の理由が
僕にはどこにも思い当たる節がないのだった。
無言だが、しっかりと僕の背中に投げてくる言葉。
それが聞こえてくるような気がして・・・
僕はそれから逃げたくて一年前から続いていた愛人と深みにはまっていったのだ。
自分のしたことを正当化しようとは思わない。
郁子とは違う女。愛人をつくった事は紛れもなく裏切りなのだ。
だが、あの時の僕は逃げる事でしか自分を保つことができなかった。
なら、離婚すれば良かったじゃないか・・・。
違う女に心がいくくらいなら、
郁子を結婚という呪縛から逃がしてやれば良かったのだ。
そう思う。
だが・・・男として妻から去られるというのは、自尊心が許さなかった。
僕の気持ちが離れるのはいい。
だが、妻の心が先に僕を突き離していくことだけは許すことができなかったのだ。
子供をつくることができない男だから私には要らないわ。
そう思われるのが怖かった。
決して妻を嫌いになったから愛人をつくったわけではないから、
だから、妻もなくすことなく愛人とも続けていくという
おかしな生活が僕の中に生まれたのである。
そして、妻はそれをまるで許すかのように見て見ぬふりをしてきたのだった。
どうして妻が僕のした裏切りをそのままにしてきたのか。
妻の身体に異常はないのに、何の落ち度も彼女にはないというのに
どうして彼女は夫の不貞を許し、
しかもそれを続ける事に対してただ一言
『本気じゃないのなら』と言ったのか。
その本心を、僕は垣間見ることも怖くてできなかったのだ。
だから・・・郁子の病気が発覚した時に愛人とはもう別れようと
そう心に誓ったのである。
これからの時間は、限りある命を持つ妻のものしようと・・・
そして携帯に手を伸ばし、愛人の携帯へと連絡を入れた。
着信音の次に、明るい声が響いてきた。
「もしもし、・・・今夜・・・逢えないかな?」
僕からの電話に嬉しがる愛人に、この日僕は別れを切り出すことを決めた。
そのことを受話器の向こう側の愛人は知らない・・・。
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第四章・虚実へつづく