<Wisteria ~幻影写真~・2>
『あまりにもあなたが娘に似ているので・・・』
そう言った夫婦連れは、奥さんの方が目に涙を浮かべていた。
桜の花が咲き終わり、過ごしやすくなった頃に花を咲かせる藤の花。
その花を見に行くために私は計画を立てて電車に乗っていた。
暖かい日差しを受けて光を反射している川面に目を奪われながら、
読書の手を止めた私に、隣に座った夫婦はこう言葉をかけてきたのだった。
毎日の同じリズムから離れたくて、
心を癒してくれる花を捜しに私は一年に数回こうして電車での旅をしている。
自分のためのご褒美。
優しい時間を提供してくれる花を捜しにいくだけの旅。
それが桜だったり、薔薇だったり、ラベンダーのときもある。
今回は藤の花が見たくて、丁度咲き始めるころに休みをいれた。
そんな気ままな旅に乗り合わせる隣の人達は案外重要で、
静かな時を過ごしたい私は、できれば女性がいいと望んでいたのだ。
すると・・・・
途中の駅から乗り合わせたのが、この夫婦連れだったわけで・・・
思わず涙を見せたご婦人の手にハンカチを渡していた。
「大丈夫ですか?」
「えぇ」
渡したハンカチに瞳を細めて、婦人は隣にいる伴侶に頷いている。
「ごめんなさいね。あなたがあまりにも娘に似ているものだから・・・」
少しはにかんで、婦人は色々と話をしてくれた。
数年前に娘を病気で亡くしているという事。
その娘の顔が私にそっくりだということ。
どんなに愛していたか、その愛情の深さを言葉の中にしたためていた。
「そこであなたにお願いがあるのですが・・・」
婦人の隣に座っているご主人が躊躇いながら言葉を紡いでいく。
「なんでしょう?」
新幹線の隣に乗り合わせただけなのに、これも縁なのだろうと感じた。
いつもの私ならこうして隣の人と話すことはまずしない。
それをしていること自体、不思議な事なのだが・・・。
今の私は叶えてあげられる内容であれば、
この夫婦連れの「お願い」を聞いてあげようかとさえ思っているのだった。
「私達と一緒に今日一日過ごして頂きたいのです・・・」
「・・・・」
絶句してしまいました。
今日一日をあなた達と?
そんな顔をしていたのだと思う。
婦人の瞳が申し訳ない事を願ってしまったと、後悔の色を濃くしていた。
「断られることは重々承知しております。それでも・・・」
そこで一旦言葉を詰まらせたご主人は、強い意思を瞳に宿していた。
「それでも、娘にそっくりなあなたに逢えたのも何かの縁だと思うのです。その縁に甘えてみたいと思いました」
「・・・・」
その言葉を聞いても、私は頷く事ができずにいたのです。
「でも・・・私はあなた達の娘では・・・・」
「判っております。でも、娘と行きたかったところにあなたと行けたら・・・・。あぁ、やはり申し訳ない事を口にしてしまいました。忘れてください・・・」
瞳を閉じて、ご主人は軽く首を横に振っている。
ご婦人はそんな伴侶の左手をギュッと握っている。
その握った手の力が何を語っているのか、それを思うと私は訊かずにはいられませんでした。
「娘さんと行きたかったのは何処ですか?」
「・・・・いえ、花を見たかっただけなのです。この時期になると美しい花を咲かせる藤の花を・・・」
「藤の花?」
思わず、自分と同じ旅をしている偶然にドキリとしてしまっていた。
生唾を飲み込む音が聞こえたかもしれない。
「えぇ、終点の駅から乗り換えていかなければならないのですが・・・それは見事な藤棚があるのですよ。藤の花は娘の好きな花の一つでした・・・。でも、とうとう娘とは来ることができなかったので、娘に似ているあなたと出会えたことが、何でしょう・・・運命かと思ったのですよ」
「運命・・・」
そう反復する私に二人は大きく頷いている。
私と出会えた事を運命と言ってくれる夫婦。
私がもう一本遅い電車を選んでいたら、出会う事がなかったであろう。
やはり、これは運命なのかもしれない。
まして、私の行き先も藤の花を見に行くというものなのだから、
一緒に行くというのも、いいかもしれない。
そう感じて、私は一度拒否した話を受けることにしたのである。
「・・・いいですよ。でも、藤の花を見るだけでもいいですか?その先は私も予定がありますので」
予定があるのは本当だった。
藤の花を見ることだけで遠出を決めたわけではない。
いつもなら花を見るだけの旅の筈が今回は違っていたのだ。
古い友人に逢う為にこの土地を訪れていた。
友人とは今日しか時間が取れず、
私も明日には家へと帰るために、今日この日しか空いてなかったのだった。
しかし、この私の言葉に夫婦連れは瞳を輝かせて「ありがとう」と喜んでくれた。
たまには人に感謝されるのもいいかも・・・
そんな想いに浸りながら、私は電車を降り彼らと一緒に藤園へと向かったのである。
その時ふと隣の婦人を見ると・・・、
こちらを見ていた瞳と出逢い、
二人して自然と笑顔になったのを今でも思い出せるのだった。