きっちり毎日ではなかったけど、6月初旬〜中旬の3週間で合計 83,000回 のありがとうを唱え続けた。

中旬で唱えることが止まってしまったのは、

母から入院したと連絡が来てから、怒涛の日々が始まったからだ。


1日平均、3,000回〜6,000回。

スマホのカウンターアプリを使って、

『ありがとう』と唱えながら画面をタップしてカウントする。

ベッドに横になってブツブツと唱え続ける。

側から見れば、ヤバい人。

でもこの時の私はヤバい状況の人だったから出来たのかもしれない。


たくさんの回数を唱えることは、苦ではなかった。

その時の精神状態があまり頭を働かせることが出来なかったということと、呪文のような言葉を呟くのが好きだったからかもしれない。

ドラクエする時は、断然、魔法使いを選ぶ。笑。


『ありがとう』を唱えている期間は、奇跡と思えるような現象は起こらなかった。

けれども、唱えることが途絶えてしまった後から、奇跡と思えるような現象がたくさん起こった。


例えば、母が入院してから他界するまで1ヶ月の期間。

結果としては悪い出来事のように思える。

けれども、母の人生としてこの時期にこのような最後を遂げると決められていたものだとしたら、その最後をどのように迎えられるかという視点では、奇跡的な助けがたくさんあったお陰でやれることはやり切り、私としては悔いは残らなかった。


たくさんの奇跡とたくさんの人達に助けてもらって、

『ありがとう』と言うことがたくさんあった。


最大の奇跡と思えたことは、

母を東京の病院から故郷の沖縄の病院に転院させることが出来たことだ。

腰椎が骨折していたので、絶対安静の横になったままの状態で飛行機に乗せなければいけなかった。

そのためには、窓側の座席縦に3列の空席がある便の予約が出来、更に、対応して頂く航空会社の各部署が対応出来る日取り、そして、沖縄に到着してからは酸素ボンベを操作出来る介護タクシー(台数が少ない)を予約出来ること。

コロナ禍と言えどハイシーズンの那覇便が予約出来るのか(しかもコロナ禍で減便)、航空会社の部署間の調整が出来るのか、介護タクシーが着陸の時間に合わせて予約することが出来るのか…。

そして本人も弱ってきていたので、早く予約が出来なければ沖縄に戻ることも難しくなってしまう。


難しいかなと心配していたが、奇跡的に全てが上手く段取り出来て沖縄に帰ることが出来た。

飛行機での移動は、保安検査場を通ることが出来ないため裏口から通り、飛行場を専用のバスで移動。

バス内で保安検査を行い、飛行機へは母が寝るベッドと私と叔母をリフトで上に上げて搭乗した。

那覇に到着してからも、航空会社の方々が対応してくださり無事に介護タクシーに乗ることが出来た。

そして、沖縄に戻ってから2週間足らずで母は他界した。

タイミング的にもギリギリだった。


母が亡くなった後も、実家のマンションを行ったり来たり。

実家のこと、母が経営していたお店のこと、色々な手続きのこと、たくさんの人に助けてもらい、本当にたくさんの『ありがとう』な出来事が起きた。


母のことが起こる前に『ありがとう』をたくさん唱えたから奇跡が起きたのか、それを明確に証明することは出来ない。

けれども私は、『ありがとう』の奇跡があったと信じている。


そんな2年前の出来事をふと思い出した。

『面倒くさい』『イヤだ』と呟き続けていた私は、これらの言葉を呟くことを止めて『ありがとう』をまた呟いてみようと思った。

何かいいこと起こるかな、なんて下心があるのは否めないが、いいことが起こりそうな予感はしている。


呟き始めてから2日目には、面倒だとかイヤだと言った感情は消えていた。

お陰で作業も効率よく進めている。

これも『ありがとう』の効果だと思う。



   『ありがとう』