「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」
というガンジーのことばがある。
明日が最期の日だとしたら、今日一日どう過ごしたいか?
やっておきたいことはたくさんあるが、
一番後ろ髪をひかれるのは、散らかった家の中。
このままでは安心して旅立つこともできやしない。
急に病気で倒れたって、恥ずかしくって救急車も呼べやしない。
引き出しや押し入れのどこに何があるのか、
家族にはわからないだろう。
というか、私にもわからない。
どうにかしないと。
ごちゃごちゃなのは家の中だけじゃない。
頭の中も、心の中も....部屋の中の様子にみごとに反映されている。
あまりにぐちゃぐちゃでどこから手をつけていいのか、
その優先順位すらつけられない。
残り時間はどんどん減っているのはわかっているのに、
からだも気持ちも固まって、
やらねばならないことの膨大さの前で立ちすくみ、
途方に暮れる。
ミヒャエル・エンデの『モモ』の中で、道路掃除夫ベッポは言った。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?
つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、
つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。
いつもただつぎのことだけをな。」
すでに天命を知っていなければならない齢になったのに、
子どもの頃にはあたりまえにできていたことができなくなっている。
使ったものはもとに戻すとか、
食べたらすぐに歯を磨くとか、
出したものは片づけるとか、
手紙をもらったらすぐに返事を書くとか、
やり始めたことは最後までやるとか、
ようするに、「すぐに」と「ずっと続ける」ができていないんだ。
やり始めたまま中途半端になってることが多すぎて、
「何を」やり始めたんだっけ?というのもわからなくなってる。
「先延ばし体質」と「三日坊主体質」改善を目指して、
自分のしつけ直しをやっていこう。
今さらではあるけれど。
あまりにもあたりまえすぎて見えなくなっていた、
日々の瑣事のひとつひとつを、ていねいにこなせる人になるために。
そしてそれを心から楽しめる人になるために。
ひとつずつ、
一歩ずつ、
ひと掃きずつ。
マヤ暦では、
52歳の誕生日からまた新たな人生が始まるのだという。
人生、生きてるだけでまるもうけ。
かろやかな気持ちで、
今日もいい一日だったと日々振り返れるように、
一日ひと掃きずつでいい、目の前のひと掃きを続けていこう。
この齢になってからの自分の育て直し。
顔を洗って出直します。