こんにちは、runtaです。

今日は、彼女と一緒に海辺の公園に来ました。
芝生の上で、僕は高らかに言いました。




「今から、先に四葉のクローバーを見つけたほうの勝ち!よーいドン!」




そして。。




言いだしっぺが、まさかの開始3秒で発見(・∀・)!!まじか。





四葉のクローバー。






えー。




幸運の四葉のクローバーを秒殺で見つけたことで。




運を使い果たした気がするのはなぜだろう。笑




四葉のクローバーを見つけると、幸運が訪れるのではなく、
幸運だから、四葉のクローバーを見つけた。。の方がしっくりくるね。




でも。見つけた瞬間の幸せ気分は何にも代えがたい。




ちなみに四葉のクローバーは1万分の1の確率だそうですよ。
こんばんは、runtaです。



高層ビルの窓から地上を見下ろすと、人間がアリみたいに見えます。



逆に。



今日、西新宿の高層ビル群の下を歩いていて思ったんです。
この100mを優に超える高層ビルを見上げて。



アリ側から見る人間ってこんな高層ビルみたいに見えるのかなぁ。。なんて。



アリの気持ちになって高層ビルを人間のように見るとぞっとする。



アリから見た人間。

この高層ビルたちが、渋谷のスクランブル交差点のように縦横無尽に歩き回ったら。。あっという間に踏み潰される。




「あの人は、どうして、ぼくたちの所に来るようになったのかなあ」
寺内は、軽口を叩いて立ち去る阿部を見て言った。

「あいつの恐がってる奴が、おれを恐がってるから」

「へえ」寺内は新しい発見をしたかのように、目を見開いた。

「恐怖の連鎖なんだね」

へえ、と今度は、雄太が感心する。そういうことなのか。

「おまえ、おもしろいこと言うな」

「だって、そうじゃないか。人とのつながりって、何か共通のもので、どんどん続いていくでしょ?それみたいな気がするんだよね。でも、人間は、おやつ食べるから動物とは違うかも」

―『風味絶佳』「間食」山田詠美より。



アリ、すげー。恐怖心、ないのかな。よく表歩けるなぁ。。なんて。



こんなふうに視点を変えると、別世界が見える気がします。あっち側とこっち側。



連鎖の中のあっち側とこっち側。



例えば僕と彼女で考える。あっち側とこっち側。



あっち側は。。たぶん。
僕が考えてるよりずっとずっと違う世界が広がってるんだろうな。



リアルに視点を変えると、ある程度リアルに別世界を感じられる。



あっち側から見える僕は。。ときどきそんなことを考えるのも必要ですね。
こんばんは、runtaです。

なんかね。生きる理由。生きる論理。そんなことを考えるこのごろ。

先日『青天の霹靂』という映画を見ましたが、
この映画も「生きる」ということがひとつの主題になっていたと思います。

話は変わりますが、僕は古本屋さんで古雑誌を見つけて読むのが好きです。
※宝探し感覚で面白いコラムに出会えるのが楽しいです。

今回は新宿のBOOKOFFで、今から10年前の『風の旅人』という雑誌を発掘しました。
この刊のテーマは「人間の領域」というものでした。



そんな中で、ミームという言葉に出会いました。




「利己的な遺伝子」論を展開したイギリスのリチャード・ドーキンスは、「人間は生物進化の流れのままに自分の遺伝子を残すだけでは満足せず、自分のミーム(模倣子)も残したいと願っている」とした。

ミーム(meme)とは自分の作品、仕事、自分の名、いうなれば自分の存在したことの証である。人間はそれが後世に残ってほしいと願っているとドーキンスは指摘したのである。

シェークスピアの作品やベートーヴェンの曲は、彼らが死んでしまった今でも広く世に伝わって残っている。これらは彼らのミームである。けれど自分の作品が今も読まれ、演奏されていることを死んでしまったシェークスピアやベートーヴェンが知っているはずはない。

これはまさに美学に他ならない。

だが古代のすばらしい遺跡や残された文化を見るたびに、それらを作った人々の気持ちが伝わってくるような気がする。「自分が死んだあとも、自分の作品は残る。」それらの人々はそう思っていたのではなかろうか。

だとすれば、自分のミームを残したいという人間の美学が人間文化を形作ってきたのだと言える。

―『風の旅人』「人間の領域」日高敏隆より。



おーなるほど。



生きてるからには、何かしらこの世に自分が生きたという爪痕を残したい。なんて考える。たしかに。ある。ある。



じゃあ何を残すのか。できれば大きなミームを。。なんて考える。



そんなことを一日考えていたら。こんなことを思うようになりました。



大きなミームを残す。。
これってすごそうに聞こえるけど、言い換えれば。。



ただの功名心だ。



自己顕示欲。承認欲求。。そんなもの。




確かにミームは美学だ。
ただ。
人々の記憶に残る。それがミームだとしたら。



範囲は小さくて構わない。
自ら選択したやるべきことを真摯に、必死に突き詰めること。
そんなことがミームじゃないかと。



現に。
死んだ僕の父は僕にカッコイイ生き様を見せてくれて、
それが父のミームとして僕の中にある。



偉大な作家も。偉大な作曲家も。偉大な研究者も。別に大きなミームを残そうと躍起になったのではなく、
単に自分自身のやるべきとしたことを必死に突き詰めていった結果、それがミームになったと。。
だから、逆説的な感じになる。



ミームを残すために必死になったのではなく、
必死に突き詰めていった結果、それがミームになった。



これが真実じゃないのかな。



教え子に真摯に向かったひとりの教師の教えが、教え子たちの心に残るとか。ね。




逆に。
突き詰めることを忘れて、功名心に走った者は、負の歴史を刻むこともある。

そういう政治家とかいるよね。
変な道路通したり、建造物作ったり。最悪戦争を引き起こしたり。



結論。



ミームに主眼を置いて生きてたらだめになっちゃうと思った。



ミームを作るために人は生きてるわけではなくて。



ミームはただの先々の結果であって、目的ではないんだ。



なんて。