一つの意見や事象に対して賛否両論がある。この賛否が比率が等しくなることは珍しい。大抵は、多数派と少数派に別れる。
僕たちが暮らす日本という国は、国民主権であり、民主主義国家だ。いや、そういう「設定」の国だ。実際には、国民の声が繁栄されることは多くないと思う。何故なら、日本の産業の中で圧倒的多数は中小零細企業であり、そこで働く者だ。選挙権を行使しない国民性を利用して、少数であるはずの資本家たちが主権を握っている事実がある。特に、経団連という声のデカイい団体の声は政治家に響くようだ。
大阪都構想を知っている人は多いと思う。大阪維新の会が推進しようとした構想だ。この構想は抗争となり、3度にわたって市民投票が行われた。3度とも否決となったが、これに関しては賛否が拮抗した。
「市民の声で決める」と言えば聞こえはいいかも知れないが、僕はこの市民投票というやり方に憤りを感じている。理由は簡単。議員の職務を市民に丸投げしたから。正確な情報も与えずにだ。
維新の会だけでは議会の過半数を掌握することができず、反対する政党あるいは議員の勢力に勝てないから、議会の手続きを放り投げた結果が市民投票だ。
3回目の市民投票では、反対に廻っていた公明党が、直前でまさかの寝返りをやってのけた。当然のように、母体である宗教団体の会員は「股裂き」になり、選挙ではあれだけうるさい連中も沈黙した。そして、大阪都構想は否決という末路を辿ったのだった。
記者会見では「市民に声(維新の会の)が届かなかった」「市民の皆さんが決めたことですからね」「我々の勝利だ(意味不明ドヤ顔の共産党)」など、無責任な言葉を放った議員達。大阪の議員たちには報酬(給与)を返せと言いたい。
誰かに似てないか?
「ジュビリーエース(PGAでもいいよー)を始めるって決めたのは君」と開き直ったカスと。
多勢だったはずの自称「投資家」が出金停止になった途端、責任を被害者や会社になすりつける(つけたでもいいよー)愚行と。
僕たちが生きている世界には、たくさんのウソが紛れている。いや、ウソで構成されている世界に僕たちは生きているという方が正しいのかな。
大風呂敷広げた後に大火事になって、茶番が繰り返されて。笑えないよ。
僕は創価学会アンチでも共産党アンチでもないので。思想信条の自由は大いに賛成。
言いたいことはたくさんある。どう言えばいいのかわからない。どうしたらいいのかわからない。そんな人はるんるんたにご相談を。多数が強い?少数が弱い?るんるんたには当てはまらない。数の力とは、思いを一つにする者が集う時に生まれるもの。
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