
こんにちは〜✨✨
昨日の記事にたくさんのめちゃめちゃ愛ある(笑)イイネを押していただきありがとうございました〜ヽ(=´▽`=)ノ
ふは〜✨言葉にならない幸福感💞💞💞を味わっています!有り難い限りです。
誕生日でも、何の記念日でもない日にも、幸福感💞💞💞を味わって、なにか小さな小さなことでも私発!!で世の中に幸福感のタネを贈っていきたいと思います✨✨✨
改めて、本当にありがとうございます!!!
感嘆符「!」をつけるのは、内藤ルネさんの真似😆
内藤ルネ展で見ました。晩年、旧友に送っていたお手紙の中で、語尾は!!!
言葉は思いやりにあふれ、語尾は元気良く。
真似していま〜す😊
愛知県岡崎市出身の内藤ルネさん。戦後の少女誌「ひまわり」を創刊した中原淳一さんに自分が描いた絵と手紙を添えて送り続ける。ある時東京に呼ばれます。1951年のこと。
1954年。それまでになかった新しいタイプの少女雑誌がひまわり社から創刊される。「ジュニアそれいゆ」です。
「10代のひとたちの毎日の生活に夢とあこがれをこめ、新鮮で知性ゆたかないろどりをそえる。美しく明るく愉しい雑誌」ジュニアそれいゆ序文より
ルネさんは、創刊準備号から登場。以後、レギュラー執筆陣となる。1959年夏、過労がたたって中原淳一さんが脳溢血で倒れる。9月号から表紙は、中原淳一さんの絵から、ルネさんに引き継がれ、月刊化されたそうです。
頭角を現すルネさん。銀座・三愛のルネコーナーから流行らせたものは多岐にわたっているそう。カンカン帽、短い丈の白手袋、大きなボタン使い、ありあわせのもので作るインテリア小物。
カルチャー情報では、ココ・シャネルやサン・ローランらを、その存在が日本で注目されるより前に紹介しており、後年それを知った批評家などはルネの慧眼に驚いた。とあります。
「可愛い」文化を創り上げたルネさん✨
雑誌「リボン」や「なかよし」の付録を愉しんで育った世代です。その少女漫画の雑誌の付録文化の基礎を築いたのが、内藤ルネさんだったと知って感慨深かった。
付録のトップスター、グッズデザイナー、インテリアの提案などご活躍は多岐にわたります。雑誌「私の部屋」前身の「服装」時代から、28年間も連載を続けたそう。読んでいると「アイディアの泉」と名付けたくなる。
そんな華々しく見えるルネさんの人生。後半で、全てを失ったと思う出来事に遭います。詐欺にあったそうです。美術館を建てる計画につけこまれ、「それなら、財団法人にした方が絶対得だ」と全面的にお手伝いしますよ、と経営コンサルタントと名乗る人物が現れ、最終的には5人くらいの人物によって巧みに騙され、失った額は総額7億円に及んだそうです。
加えて健康面でも大きな不安が襲いかかります。ルネさん、パートナーのトンちゃんこと本間氏。ほぼ同時に緊急入院する事態に。ルネさんは、心筋梗塞、トンちゃんは腎臓と肝臓を。
この時、ルネさんは不思議な3人の家族的関係にあります。ルネさんとトンちゃんはビジネスパートナーでもあり、恋仲からスタート。長年寄り添ってきています。お二人は男性です。そこへ「よっちゃん」という、トンちゃんより19歳年下の男の子が、トンちゃんの養子になりたいと同居することになる。
ルネさんもよっちゃんのことは、かわいい子でひと目で気に入ったそう。ただ自分には関心を持ってもらえない関係に苦しみもあったそう。
不思議な3人と猫ちゃんの同居生活。いろいろなことが幸いしているように思えます。仕事も財産も健康も失った2人を若いよっちゃんは、去らないで役所の手続きから力仕事に家事まで、なにもかも全部やってくれたそう。
いちばん辛いとき、力づけてくれました。ずっと年下なのに、じつに私たちにやさしく、あたたかだった。
ルネさんは、そう綴っていらっしゃる。
何もかも失う。
そんなことは無いようにできているのかもしれない。
どんなことが起きても、逆に些細なことに何か呆然と元気を失っても
大丈夫!!
失うことなんて無い。
大きく息を吸って〜✨✨
吐いて〜✨✨
力を抜いて〜✨✨
笑いや喜びが入ってくるスペース
空けておきましょ🥰😊💐
良いと思ったら、即真似❣️
生き方も、笑い方も、なんでもかんでも
マネマネマネ〜。
ABBAの歌を思い出す。映画「マンマミーア」「マンマミーア 2 」のサントラCD欲しい〜✨✨
自分の望み✨✨、希望✨✨に素直に行こー❣️
ご訪問いただきありがとうございます!!
いのちのお時間、ちょうだいしました〜〜💕500倍返しでごきげんよう🌈🌈🌈🌈🌈



