マサムネさんは、目覚めているんだろうな、と、感じます。

私は、 Spitzが大好きなのですが、「オパビニア」や、「ロビンソン」、「砂漠の花」、「潮騒ちゃん」など、まだまだあると思うのですが、マサムネさんの、大いなる私、を、感じざるをえません。

と、いうことで、 Spitzのオパビニアという曲の歌詞を、載せます(*´∀`)♪

ぜんぶ貼り付けるのはアレなんで、私が個人的に「おっ!」と思うところを。



誇り高きあの オパビニアの子孫
俺は生きていた 妄想から覚めてここにいた

意味は無いのかもね だけど幸せ

つながった時には

穴あきの服で 風を感じた日々が
砂ぼこりの中 もがいてた日々が色づいた

にぶい男でも さすがにわかった
盗まれていたこと

操縦できない心から 解き放たれたフワフワで
近所も遠くもいとおしく つくり歌もこぼれて

あそこへとつづく坂道を 息を切らしてかけ上がり
恋も希望も取り返す ちょっとやそっとじゃ終われない






♪個人的な見解♪

「俺は生きていた 妄想から覚めてここにいた」

妄想→エゴによる偽りの自分としての人生

本当の俺はここにいた。


「意味はないのかもね だけど幸せ つながった時には」

大いなる私がこの世界を作っていること、そして自分が生きることには、意味はないのかもしれないが、大いなる私として調和を感じた時に、幸せを感じる。


穴あきの服で 風を感じた日々が
砂ぼこりの中 もがいてた日々が色づいた

穴あきの服で風を感じた日々も砂埃の中もがいてた日々も、これだ!という言葉は浮かばないのですが、たぶん、エゴによって見えなくなっていた真実に気づいた、って感じでしょうか。


にぶい男でも さすがにわかった
盗まれていたこと」

盗まれていた→大いなる私を。


操縦できない心から 解き放たれたフワフワで 近所も遠くもいとおしく つくり歌もこぼれて」

操縦できない心→思考
近所も遠くもいとおしく→大いなる存在とつながりを感じると、愛を感じるとか言いますよね。


☆「あそこへとつづく坂道を 息を切らしてかけ上がり 恋も希望も取り返す ちょっとやそっとじゃ終われない」

あそこ→肉体の死


書いてる途中でも、「違うかも?」なんて思いはわんさか出てきました。

なので本当のことはわかりません。

百人いたら百人、感じることは違いますもんね。

どういう意味だろう?と考えたくなってしまうそんな歌を創るマサムネさんは、やはり素敵な方です。

是非、聴いてみてください(^o^)