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keep running

広告業界で働く事業家。世の中変えちゃうよ。

いまさらだけど。
$keep running

広告をやっていると、見本誌というのが会社に大量に届く。
もちろん指定して送ってもらうわけじゃないんだけど。
そういえば、トレランの雑誌買ったことないや。
あと富士登山とか、カヌーとか、ロードバイクも。

大量に会社のリサイクルBOX付近にあったので、今ぱらぱらやってるところです。
結構、広告ついてる。
考えさせられる記事。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0226/227267.htm?g=04

Twitterについてはこのブログでも散々触れてるのと、僕自身が仕事で活用しているんだけど、実生活に支障をきたしているとは。
これは旦那さんがTwitterにハマって、奥さんが大手小町にそれを書いているということなんだけど。
まぁ、なんつーか・・・。
日常生活をつぶやく夫と、その夫の実況をさらす妻。
Web2.0をもう少し前向きにつかったらどうだい?といいたいですが。

僕は今日、仕事のブログにTwitterとブログを使った子育てのネタをアップしました。
よかったら読んでみてください。

個人がメディア化しているWeb2.0の世界では、取得する情報の質や、発信する情報の質の範囲が広すぎて、
1.質の高い情報を発信するスキル
2.質の高い情報だけを受信するスキル
の2つがどのレベルにあるか?によって、同じWebでも価値が天と地ほどの差がつく。

たとえば、Twitterとはつまりなんぞや?というと、実体のない個人のつぶやきの集合みたいなもので、「これがTwitterだよ」と“見せる”のは、その人個人のTL(タイムライン)なので、厳密には「それはTwitterじゃない」のだよ。
タイムラインとは、その人が取得している情報の流れ。(現在ではリスト機能)

同じことがアメブロでもいえる。
アメブロとはなんぞや?といって「これがアメブロだよ」と“見せる”のは、その個人のマイページであって、厳密には「それはアメブロじゃない」。
なので、「なに、こんな他人の個人的な日記を読んで何がたのしいの?」という人がいるけど、それはごもっとも。
僕もそう思う。知らない人が、今日はどこに行ったとか、何を食べたとか、そういう情報はつまらない。

そういう意味で、冒頭の発言小町の議論というのは意味がない。
Web2.0時代のネットは、コミュニケーションインフラでしかないんだから。

だから、そういったWebインフラの紹介の仕方としては、
「実は今回のこのセミナーってね、Twitter上で超有名な○○さんに声をかけたのが発端で、そっから参加者が爆発して実現したんだよね。Webっていままでできなかったことを可能にするメディアだね。」
みたいな、仕事でも役立つような前向きなものであってほしい。

歴史をたどっていけば、これって例えば個人のホームページも、基本的にはくだらない内容はあった。
その次のブログやmixiなどのクローズSNSにしたってそうだし、Twitterになっても、つまらない情報を発信する人は、相変わらずつまらない。(かなり失礼だぞ、この発言。)
別に僕がつまらないから悪い、ということもないし、それがWeb2.0だからいいんじゃないかと思う。
ある特定のターゲットにだけ、面白いと思えるコンテンツになってるわけでしょ?
最後のすかいらーくが、10月29日、閉店した。

最後の「すかいらーく」が閉店。そのラストオーダーは?
http://nr.nikkeibp.co.jp/topics/20091030_2/


すかいらーく業態の終了は、話題になっただけに知っている人も多いのでは?

ファミレスの中でも日本で最も古いすかいらーくには思い出のある方も多いのでは。
僕もなんとなく、家族でファミレスで飯を食った思い出があるような、ないような。

というか、この手の思い出というのは、何かで読んだりしてるうちにつくられた記憶のような気がする。
実際には、普通のレストランが多かった。
僕が福祉の仕事を辞めて、自由経済の社会に戻った理由については何度か述べたかもしれない。
それは一言でいうと、福祉の皆さんが散々に叩く、資本主義市場の方がよっぽど健全だからだ。

クローズアップ現代「貧困狙う“闇の病院”」で言い足りなかったこと
http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/30172816.html


この話は、池袋メトロポリタン口徒歩30秒のメンタルクリニックのことを聞いてる感じがした。
別に、非難する気はない。
ホームレスや社会的保障から外れた、世の中の最底辺に生きる人たちをターゲットにした、という時点で、目の付け所はむしろいいと思う。
患者の生活保護さえ適用されればとりっぱぐれはないし、患者本人にも医療費を自分で支払っている自覚が生まれない。
こんなにおいしいターゲットもない。

問題があるとしたら、この、本来は誇るべきビジネスとしての成功事例を社会に対しておおっぴらにアナウンスできないことだろう。
そんなことしたら、関係各所がおだやかでなくなってしまう。

ただ、こうした生活保護費を狙ったビジネスは、医療や福祉の業界では周知の事実になっている。
それも、資本主義から放り出され、社会の最底辺で苦しむ路上生活者を率先して保護している、という大義名分までついてくる。
問題だ。
(個人的には、そうした医療機関や施設から給料をもらって生活している福祉職も、僕は同罪だと思っている。明日にでも、失職してもらったほうが、まじめに働く市民のためだとすら考えているとも書いておく。)

現場でどんなに純粋な行為が行われようと、その根本が間違っているのなら、それは悪事を助長しているに過ぎない。
どんなに知識を得て、現場を見ても、やっぱり僕は生活保護は理解できない。
生活保護受給者がどんな風に考えているのか、ある人は自分のことを「国家公務員だ」と言い切った。
ある人は、「私のお金をどうつかっても自由でしょう」という。
ある人は、保護費で毎朝マックで朝食を食べて、しまいには健康を害して医者にかかっている。
ある人は、保護費で風俗に。パチンコに。キャバクラに。競馬に。
ある人は、病院代を今でも無料だと思っている。
保護費で海外旅行に行った事例も目の前で見た。しかも団体で。

正直、福祉職時代の僕の給与よりも、生活保護世帯の保護費の方が高い。

それが全てではない。
けれども、おかしい。

本来であれば、資本主義を補完する立場にあった福祉。
必要かもしれないが、無い方が健全な存在だ。
それが今ほど力をつけてしまった時点で、バランスがもうおかしくなっている気がする。

おかしいものであっても、つぶそうとしても、意味がない。
そうではなくて、真面目に働いて生活しようとしている人こそ、もっと幸せになっていい。
正しい努力をした人が、報われる社会のほうが魅力的だ。