学校の頃
「君の膵臓を食べたい」
http://www.futabasha.co.jp/introduction/2015/kimisui/
久々に、読後感想。
映画「君の名は」が世界中で大ヒット。その理由は、映像のクリエィティブのクオリティの高さや、音楽やストーリー展開のテンポの良さなどもあるけれど、世代を超えて評価が高かった理由は、特にすでに過ぎてしまったあの「学校の頃」のことを思い出してしまう、そんなノスタルジーというか、あの頃の自分を思い出すきっかけになっているからなのだと思う。
そして、この「君の膵臓を食べたい」も、そんな「学校の頃」をふと思い出すような、そんな「友達」や「教室」や「校庭」や、あの「公園」などを、小説を読みながら思い出してしまうのだ。
小説のタイトルは、けっこうグロテスクで衝撃的ではあるけれども、内容はけっこうありきたりの展開なのかもしれない。
村上春樹の小説に登場してくるような、けっこう孤立した面倒くさい男の子と、柴門ふみの漫画に登場するような、あっけらかんとした元気な男の子の話ではあるけれど、でも、ストーリー展開はとてもイマふうで、そして切ない。
映画「君の名は」についても、小説「君の膵臓を食べたい」についても、共通の点は「友達」の存在である。
それがとても重要な役割を果たしている。
そして、その「友達」があの時代の自分を映す「鑑」のような存在になっている。
あの「学校の頃」は、今振り返ると、たいした事でもないのにくよくよ悩んだり、ちょっとしたことにドキドキしたり、つまらないことに突っ張ったり・・・。
そんなふうに感じるのは、自分ももう未来より過去のほうが長くなってしまったからなのかなぁ・・・とふと考えてしまったりする。
あの「学校の頃」は人生の中でもいちばん心が敏感で、豊かな時代だったのかもしれない。
そんな「貴重な時代」なのに、そこで、いじめなどでこれからの未来を絶ってしまうのは本当にもったいないと思うよ。
たぶん・・・。
ふたつの「君の・・・」は、今、その時代を生きている世代には、違った感覚を受けると思うけれど、きっと、振り返ると自分が成長していく中で、すごく大事な時代だったと思えるはずだ。
グダグダ書いているけれども、どちらの「君の・・・」の登場人物も精一杯もがきながら生き抜こうとしている。
それを気付くのは、大人になってからなのかもしれないけれど。