福岡の実家に戻ったので、午前中からブログに向っています
今日は、小さな小さなパーツにこだわってみます
一般に「フィンガーレスト」または「サムレスト」と呼ばれるものですが、レオが発明したエレクトリックベースのそのまた元祖であるOPBにも最初から装備されているものです。
ただし、レオ自身がこのパーツを何と呼んでいたのかは分かりません。「サムレスト」でなかったことだけは確かです。なぜならこのパーツは当初、画像のように1弦側に装備されていたので、おそらく親指以外の4本(あるいは3本)の指を引っ掛けて、親指で弦を弾くスタイルが想定されていたと思われるからです。親指は「休んでいる」場合ではなかったのです
このパーツが4弦側に装備されるようになるのは、はるか後の1976年からです。
その後、実際には使わない人が多いことから出荷時には装着せず、付属パーツとなっていたようです。
OPBに装備されているものは、現在のようなプラスチックパーツではなく、木製です。レオの右腕であったジョージ・フーラトン(国内の記事では「フラートン」と表記されることが多いようですが、米国人の発音を聞いていると「フーラトン」と聞こえます)によると、このパーツは当初ナチュラル仕上げの物と黒く塗装された物と両方あったそうです。
木製なのは、OPBやテレキャスターが発表され量産に移された時代が、朝鮮戦争(1950~1953年)とモロに重なっており、さすがの米国でも太平洋戦争からさほど期間を置かずに勃発した再度の戦争により、物資不足が深刻だったということのようです。
そんな由来よりも私が不思議に思うのは、この最初のフィンガーレストがネジ1本留めで装着されていることです。これだと最初のうちはいいかもしれませんが、次第に緩んでしまうことが目に見えています。事実、画像を観察すると、クルクル回ってピックガードに円形の傷がついているものがあります。
時代の先を見越して細部に至るまで緻密な設計を施し、音楽の在り方まで変革してきたレオ・フェンダーともあろう者が、いったいどうしてネジ1本にしたのか私は理解できません しかも何年間も2点留めに変更しなかったのです
「フィンガーレスト」についてのウンチクはそのくらいにして製作に取りかかります
既製品のプラパーツを参考にしながら木材を切り出します。
こまめにサイズを確認しながら外周を削っていきます。
中央に3.2mmの穴を開け、ネジの頭が入るようにリーマーで面取りします。
ブラックで塗装した後、よく乾燥させてからクリアコートを吹きます。
乾いたらエッジ部分の塗装を少し削って木地を露出させます。
露出した木地の部分にはオイルステインを塗布して防湿するとともに経年感を演出します。
完成したら年季が入ってサビの出た木ネジを用意します。ネジの頭直前までネジ山の切ってある「タッピングネジ」ではなく、途中までしかネジ山の切ってない木ネジを使うのが正解です(装着したら見えませんが・・・)。
いつものことですが・・・「ちょいカスタム」で済ませると宣言しておきながら、エンジンがかかってしまうとブレーキが効かなくなってしまうので、自動ブレーキがあれば装備したいです