runner-odaのブログ

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ほぼ毎日走っているのに、
なぜ、タイムが伸びていないのだろうか。


そんな私が1カ月で、
4時間から3時間という不可能な命題は、
果たして可能になのか。


今日、走って一つのヒントを得た気がする。


今日のトレーニングは、
モンソー公園まで走っていって、
そこで全力ダッシュ5本。


このトレーニングは本当にきつい。


3回だけやったことはあるが、あまりのつらさに、
3回とも止めている。しかもまともに5回も走った覚えがない。


だが、短期間でタイムを伸ばすにはこれしかない、


というので、重い腰をあげて、手袋付けて部屋をでて、
いよいよ4キロ先のモンソー公園まで着いた。


このトレーニングは4度目だが、
本当に憂鬱だ。


自慢ではないが、私は超文系男である。
しかも、部活に入ったこともない。


29歳になるまで、
スポーツの「ス」の字もしらない
運動の「う」の字もしらない男だった。


運動場でダッシュとか、やっているのを横目に、
家に帰って音楽聴きながら本を読んでいた。


だから、私の辞書にはスポーツで培った根性など存在しない。


一本目のダッシュを終えたとき、
二本目のダッシュが本気でやりたくなかった。


2回目ですでに涙目だった。寒いこともあり鼻水もでていた。


部活動に入ってたりすると、
本当に、根性は鍛えられるのだろうか。
と思いながら、3回目のダッシュ。


3本目を終えようとしたとき、
今日は、もう終わろう、来週4本走って、
その来週5本走ればいい。


「それが合理的だ、そうすべきだ」
もと帰宅部の僕はこう合理的な分析をする。


が、タイミングが悪いのかいいのか。
耳元からロッキーのテーマ。


不意に笑ってしまった。


これが、私がはじめてフルを走った時の、
ゴール直前で流れた曲だったからだ。


おそらく多くの男性陣と同じく、
わが栄光のテーマソング。


4年前のあのときは、われながらよくやったと思う。
万年帰宅部が、半年でフルマラソンを走ったのだから。


しかし、私は過去はよかったよ、などと、
栄光に浸りいい気分になったわけではなかった。


むしろ逆だ。


4年前の私と比較したら、
自分が恥ずかしくなっていたたまれなくなったのだ。


4年前の私は毎日のように、自分の限界と戦っていた。


そもそも、そのためにこそ走り始めたのだし、
それを肉体で直に感じられるマラソンに
いつしかハマった。楽しかった。


だが、今の私は、つまり、停滞気味の私は、
限界と戦っていないのではないか。


ただ、ぬるま湯に浸っているだけではないのか。


つまるところ、現状維持の精神のもと、
限界を超えるトレーニングをしていなかったのだ。
それで進化するほうがおかしい。



そしてこれが、冒頭で立てた問い、

「私はほぼ毎日走っているのに、
なぜ、タイムが伸びていないのだろうか」。

の答えである。


単に、「初心をわすれていた」ということだ。
そこに進化などありえない。


そんなことをつらつらと考えながら走った。
5週目も、涙目になりながら。


涙目で思い出した。


インドネシアの格言で、
「旅は目を洗い直す」というものがある。


私たちは日常に追われていると視野が狭くなる。


毎日同じものを目にするうちに、本当に、
みることをわすれてしまう。


旅にでれば、その蜘蛛の巣が取り払われ、
改めて世界をみることができる。


自分の日常的な限界に挑戦するということは、
そうした旅に近いのかもしれない。


そんなわけで、これから一カ月近く
ほぼ毎日涙の旅人生活がはじまる予感。