2019年4月26日、正午。
いよいよ、UTMF2019がスタートした。
100マイルを超える165kmの長き楽しき旅の始まりだ。
目標時間は42時間以内でのフィニッシュ。
つまり、2日後の朝6時までにフィニッシュテープを切るということだ。
天候は小雨だったけど、スタート時間にはいったん止んだ。
でも富士山は濃霧で全く見えない。
僕は、全選手が立つ三分の一より前方に陣取った。
悪くない。
トレイルでの渋滞を少しでも避けるためだ。
前半のロード区間は最初は少しだけぐっと登る。
後ろからどんどんと追い抜かされたが、背中の荷物も重く、これ以上はペースは上げずにキロ7分のペースを刻み続けた。
僕のパッキングは大きく重かった。
一緒に参戦しているKenさんは、数十メートル先を走っていたが、やがて背中を見失った。
走る林道は、細かなアップダウンで、アスファルトだったり未舗装だったりを繰り返した。
ほぼイーブンペースで、1時間40分後にW(16㎞):粟倉ウォーターステーションに着いた。
想定より10分ほど早かった。
予定ではここで15分休憩するはずだったが、疲れもないので、7㎞先の富士宮で多めの休憩を取ろうと思った。
粟倉ではトイレだけ済まし、そのままエイドを発った。
しばらくすると、最初の渋滞に巻き込まれた。
15分ほど一歩ずつ進んでいるうちに渋滞は解消された。
渋滞中は寒くならないようにシェルジャケットを前から袖だけを通していた。
渋滞の原因はちょっとした岩場のようなところで詰まっていたようだった。
その後の通称鉄塔下のルートを走っている時も、相変わらず長い隊列が続いていた。
下るところでは隊列の進むスピードが一時的にぐっと落ちるので、所々で渋滞も発生したが、ストレスを感じるほどではなかった。
A1(23㎞):富士宮エイドに飛び込んだのは、14:45だった。
想定よりも10分以上早い。
快調だった。
ここで大会副実行委員長の六花さんに出迎えられ、ハイタッチしてもらった。
そのノリで一緒に写真も撮ってもらって、元気をもらった。
このエイドでやることは主に2つ。
1つはそれまで着用していたタンクトップからTシャツに着替えることと、手持ちの水分をこれまでの1ℓから1.5ℓにすることだ。
さらに、シューズにゲーターを装着した。
あと、することは忘れていないか。
考えろ。
次のエイドは28㎞先、しかも本格的な山岳地帯を越えて行かなければならない。
ここで手間を惜しんでは、後で後悔することになる。
もちろん食料補給もした。
食料補給については、事前に管理栄養士の方に色々と相談し、何回もやりとりを重ねた上で計画した。
とある綿密な計算式によると、僕がUTMFで消費するであろう総カロリーは16,000kcalを超える。
この膨大な消費カロリーをどうやって補っていくのか、ここをしっかりと考えておかなければ、必ず失敗すると思っていた。
僕のUTMFの大きなテーマだ。
UTMFは初めての参戦だが、甘くはないということだけは認識していた。
ザクッとした計画として、摂取の割合を自分とエイドで50:50に分けた。
栄養士と相談し、コストとカロリーを天秤にかけながら考え、僕が取る行動食は以下の通りとした。
◯粉飴ジェル 20本 100kcal×20=2,000kcal
◯井村屋えいようかん 10本 171kcal ×10=1,710kcal
◯アミノバイタル super sports 12本 100kcal ×12=1,200kcal
◯フランスパン 2斤 500kcal×2=1,000kcal
◯明太マヨ 8回 100kcal ×10=1,000kcal
◯柿ピー 2袋 440kcal ×2=880kcal
◯カップラーメン 2個 364kcal ×2=728kcal
計 8,548kcal
+αでグミ
これらを自分と精進湖のドロップバック、サポーターの3つに分散させた。
摂取方法は、粉飴、supersports、えいようかんいずれかを1時間ごとに1個補給。
フランスパンは手に入らず、クロワッサンに変更した。
明太マヨは思った以上に重く大きいのでサポーターに預け、代わりにはちみつをつけながら食べることにした。
これは頂上などで止まった時に食べる。
はちみつはジェルの携帯ケースに入れ替えた。
柿ピーを黒糖ピーナツに変更してグミと一緒に適当に気晴らしに。
カップラーメンはエイド内で取ることにした。
以上が今回の補給計画だった。
15:00過ぎ、富士宮エイドを出た。
予定より15分早い。
他のメンバーは今頃どのあたりだろうか。
チーム山ねこやのKenさんやMotoくんはもうとっくに先を走っているはずだ(とこの時はそう思い込んでいた)。
残りのなりちゃん、グロさん、ウッチー、ツルさんはきっとまだ富士宮手前だ。
天子山脈越えのこのパートは前半の山場だ。
エイド間も28㎞と、本コース最長の距離。
主なピークだけでも天子ケ岳1,330m、長者ケ岳1,336m、熊森山1,575m
と、アップダウンを繰り返しながら越えていく。
しかも最初の天子ケ岳へは800mの標高差を一気に上がらなければならない。
登り口まではほぼ平坦なロードがメイン。
ここでも、富士宮までと同じくらいのペースで走った。
怖いぐらいに順調だ。
富士宮からフィニッシュまでは慣らしてキロ15分のペースを想定していた。
ペースを上げる必要性は全くない。
取り付きまでの約7㎞でさらに40分を貯金した。
そうこうしているうちに、いよいよ天子の山塊へと突入する入り口に到達した。
名前こそ天子(てんし)だが、この先に待っているのは果たして天使か悪魔か。
ボランティアスタッフの誘導で、トレイルに突入した。
前方は薄い霧が立ち込めていて、暗い。
まだ日が沈むには時間があるが、なんか不気味だ。
僕はザクザクと天子のトレイルを登り続けた。
背中の荷物の重さも、もうあまり気にならない。
そのうち、1人またひとりと抜きにかかった。
特にペースアップはしているつもりはないのだが、前方のランナーのペースが徐々に落ちてくるのだ。
ここから天子ケ岳までは終始こんな感じだろう。
汗もかいている。
細かな雨がショボショボと身体を濡らし続けていたが、幸い気温はそれほど下がってはいないらしく、寒くはなかった。
そのうち、もう何も考えなくなっていた。
ひたすら登るだけだった。
また、遅れ始めたランナーに追いつきそうになった。
この道は狭いので追い抜くことはできそうにない。
どうしよう、ペースダウンするか、キープするか。
気づいたら前のランナーの背中が目前に迫った。
と、その時。
後ろからポーン!と左の脹脛を蹴られた衝撃を感じた。
ん!?
僕は後ろを振り返った。
が、僕の真後ろのランナーは、3mほど後方で僕に届くような距離にはいなかった。
次の瞬間、強烈な痛みが左脹脛を襲った。
その場で僕は倒れた。
すぐ後ろのランナーが僕に追いついた。
邪魔にならないように、僕は這いつくばりながら山側に避けた。
立てなかった。
最初は攣った!と思った。
でもいくら脹脛を伸ばしても痛みは引かない。
ふと見上げると、チーム山ねこやリーダーのKenさんが登ってくるのが視界に入った。
あれ!?僕より先を進んでいるはずではなかったのか?
でも、そんなことはどうでもよく、とにかくKenさんに足を伸ばしてもらった。
それでようやく立つことができた。
でも、足を前に出すことができず、再び地面に座り込んだ。
足を少しでも動かすと激痛が襲う。
これは肉離れだ。
2年前に右足をやった時と全く同じ症状だ。
ふと腕に巻いているGPSを見ると30㎞の距離を示していた。
あと20㎞…。
いつまでもこうしているわけにはいかない。
一歩でも前に行かなければ。
この時はまだなんとかなると思っていた。
歩いてフィニッシュすれば良いんだと楽天的に考えていた。
そうして、重い腰を再び上げた。
しかし、まともに歩けない。
登ることもままならない。
2、3歩歩くごとに止まった。
左足を真っ直ぐに出す事が出来ず、左のつま先を真横に向けなければならなかった。
少しでも脹脛を引っ張るような動作をすると、激痛を生んだ。
後ろのランナーに迷惑をかけるので、追いつかれるたびに端に避け道を譲った。
多い時には20人ぐらいの集団をやり過ごさなければならなかった。
そして、間が空いたところで入り込むのだが、足を引きずって歩く僕と、普通に走ったり歩いたりする他のランナーとのスピードは雲泥の差だ。
そしてまた後ろのランナーに追いつかれ、道を譲った。
こんな事を何十回と繰り返した。
ようやく天子ケ岳の山頂に着いた。
沢山のランナー達が休憩していた。
僕はゆっくりゆっくり進まざるを得なかったので、身体的にはそれほど疲れていなかった。
が、その遅さ故に各関門に間に合うのかという心配が出てきた。
次の長者ケ岳へも困難を極めた。
走れない、登れない、下れない。
相変わらず足は激痛が走る。
左足を庇うようにしながら、ゆっくり小股でしか進めない。
いつもなら難なく上がれる岩場も、この足では激痛を耐えながらしか上がれない。
痛みを出さないように歩くには、左足を最初に上の段差に着き、その次に右足を左足に並べるように着くことでしか避けられない。
左右交互に上がることができないのだ。
一方下りは、上りとは逆に右足を先に下に着き、その後に左足を右足のすぐそばに持って来なければならない。
逆足でついて、もし滑り出したら踏ん張れず、転倒するしか術が無かった。
この繰り返しで気が遠くなる。
終始この状態なので、後ろからはどんどん追い抜かされる。
僕は少しでも邪魔にならないように、トレイルのなるべく端をゆっくり進むしかなかった。
後ろからは僕が脚を痛めているということが分かるのだろう、何人かからは、追い抜かれる時に頑張って!とか大丈夫?とか声をかけてもらった。
これだけでも、ありがとうという感謝の気持ちが口に出た。
長者ケ岳のピークに這々の体で到着した。
ここからはいよいよヘッデンの出番だ。
誘導スタッフからは、加えて後ろの点滅ライトを点けるよう促された。
日が落ちる上に濃霧だ。
ここで、僕と同じ福岡の顔見知りのランナーと会った。
彼がこんな後ろにいることが意外だった。
僕は先に発った。
この後どこか暗闇の中でいつのまにか抜かれたはずだが、気付かなかった。
次はいよいよ天子山塊の最高標高地点の熊森山を目指した。
約300mの標高差だが、急なアップダウンにさらにペースは落ちた。
雨でぬかるみ、みんなも上がるにも一苦労なようだ。
僕は言うに及ばずだ。
岩や木を掴みながら、左足をカバーして、ゆっくり進んだ。
登りも下りも左足の踏ん張りが効かないので、少しでも滑ると危ない。
後ろからは容赦なくランナーがどんどん押し寄せる。
端に避けながら追い抜いてもらっていたが、後ろから激突され、そのまま前に転倒した事もあった。
左足を踏ん張ってしまったのか、痛みでその場にうずくまった。
もう少しトレイルの右端にずれていたら、そのまま横に滑落していただろう。
ところどころで大渋滞が生じた。
無理もない。
この急登を登るには、普通でも難儀するだろう。
ぬかるんでなければ、もう少しスピードアップもできるはずだが、雨天、しかも何百人ものランナーが通過した後のぬかるみは、如何ともしがたい。
最後の急登らしきところでは、かなりの大渋滞で、感覚的なものだが、熊森山頂上までおそらく200m上がるのに一時間以上はかかったはずだ。
肉離れの僕にとっては、いい休憩ができて良かったのだが、木や岩など手をかけるものが無いポイントでは下に滑落しないように慎重に足を置かねばならなかった。
あるロープ場のところでは、左足がどうしても踏ん張れず、なかなか登ることができずに後ろの女性ランナーに迷惑をかけてしまった事もあった。
自分を情けない、と思った。
ようやく熊森山の頂上に辿り着いた。
ここで初めてDNFしようと決めた。
ようやく今熊森山を越えようとしているが、ここから下った麓エイドの向こうにある、標高差700mの竜ヶ岳を登る事は、この左足を引きずりながらではもうできそうになかった。
仮に登れたとしても、今度は自力で下ることが不可能になる事も考えた。
それに今の僕のこのペースでは時間が足りない。
麓エイドまであと残り10kmも残っていた。
痛む足をさすりながら一息入れているところでチーム山ねこやのなりちゃんに抜かれた。
なりちゃんは僕と同じく100マイラーを目指す女性ランナーだ。
力強い足取りで止まる事なく、そのまま下って行った。
その5、6人後を僕は追いかけた。
といっても追いつくことはできない。
ゆっくりと一歩ずつ一歩ずつ、転ばないように下りた。
かなりのぬかるみだ。
また、濃霧でヘッデンの明かりも見通しが悪い。
照度を強めても霧雨に反射するだけだ。
足元も霧で隠されてしまい、よく分からない。
あとで聞いたが、チームメイトのグロさんは、黄色のセロハンを持参していて、即席ハロゲンにしたと言っていた。
効果は抜群だったらしい。
2本ライトがあるならば、1本をハロゲン仕様にしてもいいかもしれない。
これも行ってみなければ分からないことだった。
しばらく行くと、下りの大渋滞の最後尾に追いついた。
かなりの急降下の途中でストップした。
これは相当な時間ロスになる。
それに気温はみるみる低下している。
どこかしら身体を動かしていないと、寒さに耐えられないほどの体感温度になってきた。
この時のウェアリングは、下は短パン、上はオンヨネ ブレステックPPをアンダーに、昨年ARTのTシャツにアームカバー、アウターにサロモンの薄手のナイロンジャケットだった。
何人か前で下りる順番を待つなりちゃんが列を外れたのを見て、僕も一緒に外れた。
ここで初めてなりちゃんに声をかけた。
下り途中に声をかけたら、なりちゃんの集中力が途切れるし、危ないと思ったからだ
彼女と一緒にザックを下ろし、フリースとロングパンツを引っ張り出して、着込んだ。
これで寒さは完璧にブロックできた。
今回は必携品でもあるので持っていたが、普段の練習や大会でも装備を軽視してはいけないということを再認識できた。
一足先に彼女が列に戻り、下って行った。
僕がザックを背負おうとしているところで、今回のチームメイトのツルさんとも遭遇した。
ツルさんは笑顔で挨拶してくれた。
よかった、元気そうだ。
そのあと僕はランナーが少し途切れたところに入れてもらった。
この大渋滞で順番に急斜面を下りるのを待っているランナーの列を横目に、トレイルからかなり外れたところを無理やり降りて、列の前方に割り込むランナーが出てきた。
日本人ではない、アジアのある国のランナーだ。
僕の目には国を断定することはできなかった(たぶんあの国だが…)が、明らかなマナー違反なように思える。
前方からは、それを咎める声が何人ものランナーから聞こえてきた。
僕の後ろの日本人ランナーも英語でその行為を注意したが、彼らは一切耳を貸そうとしない。
大会側から、事前に強く注意を促して欲しい。
発覚した場合は失格にしてもらいたいぐらいだ。
その逆に、僕の目の前のシンガポールのランナーは、辛抱強く待っていた。
進み始めて、僕以上に転倒していたが、頑張っていた。
また、インドネシアだったかと思うが、とある女性ランナーも自分が遅いと分かったからか、道を譲ることもしてくれた。(譲られても僕もかなり遅いのだが)
こういうランナーはぜひ次も日本のトレラン大会にきて欲しい。
5㎞以上はあったであろう、このドロドロ急斜面をようやく降りきった後は、長いロードが待っていた。
ここも濃霧で数m先ですら見えない。
地面の白線とガードレールを頼りに進んだ。
僕は全然走れないので、ここでも走るランナーに抜かれまくった。
追いつきたくても追いつけない。
ここを歩いているのは僕ぐらいかもしれない。
麓エイドまであと5㎞という地点で、僕は今回サポートをしてくれているパートナーに連絡をし、リタイヤする旨を報告した。
言った途端に涙が溢れてきた。
僕のUTMF2019が終わってしまう。
でも仕方がない。
これで続けたら、大会側にも迷惑がかかる。
ところどころ未舗装路の林道を経て、最後の登り基調を上がっていると、オレンジ色に光る空が目に入った。
そのオレンジ色は麓エイドを照らす明かりだ。
ようやくたどり着いた。
A2(51㎞):麓エイドだ。
ここでリタイヤを申告した。
ゼッケンについているバーコードを外された。
終わった。
30km地点、前半の山場の天子ケ岳への登りで、左脹脛が突如肉離れを起こしてしてしまってから約20kmの山の中を、登れない、下れない、走れない脚を引きずりながら学んだことがあった。
それは、人の気持ちである。
このUTMFに出たくても出れない人が多くいるのだ。
それなのに、僕は幸運にもスタートラインに立つことができ、51kmも走る(歩く)ことができている。
なんと幸せなことではないか。
出られなかった人の分まで一生懸命歩こう。
これで不貞腐れてしまったら、UTMFどころかトレランをやる資格なんか僕には無くなる。
そして、トレイルランやマラソンで何らかの原因でリタイアを余儀なくされた人の気持ちは、こんなにも悔しいものなのかということがよく分かった。
怪我をしたことは自己責任。
全ては自分が招いたこと。
誰のせいでも無い。ましてや山や天候のせいでは毛頭無い。
仕方ないけど、割り切るしかないけど、でも悔しい!
歩きながら行き場のない涙を堪えた。
本当に悔しい時に涙が出そうな時は、目が熱く痛くなるんだ。
こうしてお金には替えることができないことを学んだだけでも、この大会に出た意義があった。
このままでは終われない。
終わってはいけない。
来年、再来年、いつか必ずリベンジを果たそうと心に決めた。
ひとまず静養し脚の回復に努めなければならない。
その前に雨の中を懸命に進んでいる仲間のサポートに回った。
結局、平成最後のUTMFはコース短縮という結果で幕を閉じた。
165㎞を走りきったランナーもいる。
途中のエイドで終了というランナーもいる。
それも、これもUTMFだ。
絶対唯一の正解はないのかもしれない。
以下は大会からのインフォメーションだ。
「杓子岳付近の降雪・凍結・低温によるリスク増大によりレースを短縮します。次のエイドの指示に従ってください。携帯電話の電源は切らないでください。」
自然は僕ら人間に大いなる景色と空気をギフトしてくれる。
でも時には、 機嫌を損ねたり牙を剥くこともある。
1つ言えることは、自然も生きているということだ。
自然への尊厳を忘れてはいけない。
閉会式中は表彰者を讃えるかのように、
参加したランナーの疲れを癒すかのように、
そして大会を支えたスタッフ全員を労うかのように、
見事な霊峰 富士が姿を見せてくれていた。














