こんにちは

INAEです。

2020年はコロナ禍でいろいろお疲れ様です。

私は父親が亡くなったり好きな同僚にフラれたり、癖のある上司と向き合ったり…いろいろ大変でした。


私は6歳頃、アスペルガーと診断されました。

こだわりが強く、オウム🦜返しや連呼、癇癪、いろんな症状がありましたが、それまでは小さい子だからという理由で診断をもらえなかったのです。


しかし、年齢が上がるごとに発達障害による周りとの差が目立ち始めました。中学では全く勉強が付いて行けず変な症状が出てしまいましたが、病院では薬漬けにされ何も聞いてもらえず大変さのあまり受験は諦めました。高校は特別支援ではなく、サポート校に行きました。学校行事を充実させたかったのでなるべく普通の学校に行きたかったからです。その上、その頃は知的障害ではないと言われていたからです。しかし、高校に入った頃なかなか馴染めなくて「どうして同じ発達障害の中で馴染めないんだろう。」と思い始めました。しかしその学校は発達障害のための学校ではないので、中には不登校だったけど勉強やコミュニケーションは出来るという人も居るはずです。そして17歳の頃、3年になる前に進路で障害枠の人は手帳を取るようにと学校の進路担当から言われ、慌てて取りました。高校入ってからはちゃんとした思春期外来の主治医でしたが「稲江ちゃん(仮名)は知的障害ではないから愛の手帳は無理ですね。」と言われたので、精神障害者手帳の方で診断書を書いてもらいました。アスペルガーはその頃にはアスペルガーという言葉は使わないので、自閉スペクトラムという診断で申請しました。


そして高校3年の頃は実習漬けの学校生活でした。

夏の職業センター実習でボランティア等は不参加、体育祭の応援団の練習は休みがちでした。部活もあまり参加しない方でした。10月と12月には会社での実習、111月には職業訓練校の見学会がありました。特に秋は行事続きの忙しい中ですが、やはり両立です。

やはりそれでも進路は決まらないで卒業を迎えました。当時は発達障害の枠自体が少なく、訓練校は精神障害者手帳の枠が少なく、会社は高卒はなかなか取らなかったり、重い障害の人しか取らない場所ばかりでした。

卒業してからは友達が増えたりバイト先ではいじめられたり浮いたりせず、仲良くやっていました。そして就労支援は最も上手くやれる居場所でした。就労支援の訓練は思ってたより難しかったです。「みんな出来るのに…同じ発達障害なのに…。」とまたもや思い込みはありました。(というか事実)

就労支援では鉄道仲間や気の合う人、オタク系が多く私を気に入ってくれる人がたくさんいました。

しかし、就職してからは最初は上手くいってるようでしたが、2年目辺りから人数も増え、コロナ禍で新しい上司が配属される中、なんとなく浮いてしまったり自分だけ目をつけられたり、私が鉄道🚃好きのオタク系だと変な目で見られました。就労支援の方が楽しかったと思い込んでしまいました。プライベートでも、メンバーにもよるが浮いてしまったり発達障害の中でも障害者扱いされたり、「同じ発達障害のはずなのに、どうして私だけ違うのだろう。」と思い始めました。

ある日、友達に写真一緒に撮ろうよと言ったら遠回しに断られ理由を聞いたら、空気読めないとか、大荷物でごちゃごちゃ着け過ぎて格好が変とか言われました。その時に障害の話をしましたがそのメンバーの中には他にも発達障害の子が居ると言ったら「まあ、居るけど…。」と言ってましたがその中でも私が違うかの言い方でした。


「もしかして…。」

私の中に、何かが過ぎります。


コロナ禍で予定が比較的暇だったのと流石にそんな自分にあけくれて通院の日、知的障害と愛の手帳について相談しました。もしかしたら知的障害かもしれないと思ったのです。実はこの頃、プライベートや会社の同僚で私より障害が軽いのに療育手帳を持ってる子が居たからです。私より軽いなら私も取れると思いました。その人たちに聞いたら、多分取れるようなことを言われました。以前、療育手帳を持っている高校の先輩からも同じことを言われました。持ってる人が言うならと確信しました。


そして、判定に行く前に1回病院で心理テストを受けました。そしたら総合点が70でした。

「ああ、だからか!」と納得いく答えでした。

そして、9月には判定に行きその日の段階で職員に多分取れるということを言われました。

そして、10月には取れました。


小児科医には取れないと言われたのに、今の主治医は信じてくれて、実際取れました。

この手に取った愛の手帳こそが、答えだと思いました。これまでに上手くいかなかった理由が納得しました。

やはり医者が全てではなく、自分から行動を起こさないとならないと思いました。自分探しかもしれませんが、自分を知ることは大事です。

みにくいアヒルの子は白鳥の子🦢だった。

アスペルガーの子は本当は知的障害だった。

みにくいではなく、違うグループに入ってしまった。と思いました。あまり障害で区別したくはありませんが就活や進路ではやはり区別しないとならない時があります。知的障害なのに精神の枠に入った私…

上司も療育手帳とる話をしたら右往左往していました。一番恥ずかしかったのは、私は知的障害ではないから愛の手帳は取れないと周りの人に言ったら知的障害だったので、まるで嘘言ったみたいなのと見栄張ったみたいで後悔しました。ちゃんと自分の障害を分かっていなかったのです。

会社の役員も難しいことを頼んでしまったことを謝っていましたが、私は自分が自分の障害を分かってなかったのが悪いと言いました。




やはり、世間に流されてはいけない。


自分の体で起きてることは自分が一番よく分かっているはず。


この愛の手帳が私にそう言っています。



皆さんも、おかしいなとか上手くいかないと思ったら自分で確かめましょう。

最近では大人の知的障害もあるそうです。

グレーゾーンの知的障害は発達障害に似ていて、判断が難しいのです。

必ずしも医者や職員が全てではないのです。