サブ315大作戦

サブ315大作戦

mission3:15 impossible

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またまたお久しぶりです。

『テレワーク』という言葉が一般化してきた昨今、

仕事上多忙を極め、前回の休みは3月5日という...。

 

さて、アベノマスクなど、続々と2020年の流行語が生まれていますが、

東京五輪の延期発表を機に、

感染者は拡大するし、何もかもが自粛ムードとなってますね。

 

それでもですね、欧州はやばくても、奥州はいまだなお日本で最も安全じゃないかと思ってましたよ。

 

 

しかし、よくよく考えてみると、感染があってもなくても、不特定多数の大勢を呼び込むなんてことはどの国もしたくないわけで、つまりは、終息するまでマラソン大会が行われることはないんだなと思いました。

 

 

自分は2020年のきらめきにはエントリーしていませんでしたが、順調に仙台国際ハーフマラソンも中止となりエントリーのすべてが中止となり、予定ゼロと相成りました。

 

それでも、エントリーを募るマラソン大会もあるわけで、運営側の事情も苦しいところなんでしょうね。

 

さすがに、これだけオール中止になってしまうと、秋のマラソン大会を率先してエントリーするわけにもいきません。

 

開催にも中止にも人力も資金も必要なんですから、コロナとともに、大会運営自体も疲弊してしまうことが心配です。

 

このところ、毎日のニュースに一喜一憂することにも飽きてきたので、大きなスパンで、「感染症の歴史」なんかに興味が出てきました。

 

 

感染症と戦争の文明史――ヒトは何と、どのように戦ってきたか

https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20200404-00171277/

 

結びにこんな一説がありました。

 

より高みを目指して

 こうして歴史をふり返ると、感染症のパンデミックは少なからず人間のネガティブな面を露わにしてきたといえる。ただし、その一方で、人間は時に感染症を、よりよい世の中を目指すステップにもしてきた

 ペストに襲われ、スパルタとの戦争にも敗れたアテネでは、人心の荒廃が目にあまるなか、「哲学の王」プラトンをはじめ、ソクラテスやアリストテレスなど後世に名を残す大哲学者が相次いで現れた。「善き生」のあり方や「正義とは何か」を現代の我々にも問いかける彼らが登場した背景には、荒れ果てたアテネ社会があった。

 

 黒死病の影響がとりわけ大きかったイタリアでは、その後「万能の天才」レオナルド・ダ・ビンチをはじめ、ミケランジェロやボッカチオなど数多くの天才が登場し、15世紀にルネサンスの華が咲くことになる。これに関して、歴史作家バーバラ・タックマンは「あまりにも多くの人が簡単に亡くなる状況が、それまでキリスト教会の説く死後の安寧のみに傾いていた人々に、この地上で生きることの意味を考えさせるきっかけになった」と考察している。

 人間はしばしば病に己を失い、国や文明、社会を崩壊させただけでなく、人間自身がウイルス以上に人間の敵になることもあったが、その一方では災厄から再生し、より高みを目指す力もみせてきた。先人たちが示したこの道を、現代の我々はどのくらい活かせるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

人類の進化の過程なのかもしれませんね。