211年、劉備が益州に進出。これを怒った孫権は、劉備に嫁がせていた夫人を引き上げさせた。
(夫人は、日本では孫尚香として有名だが、これは京劇で使われる名称。)
孫夫人は養育していた劉禅を、そのまま呉に連れて行こうとするが、
趙雲は、張飛とともに追い、孫夫人の旧臣である周善を斬り捨て、劉禅を救出した。
228年の北伐の際には、馬謖の失策により、おとりとして箕谷に進出していた趙雲と鄧芝も撤退。
趙雲は殿軍として、兵をよくまとめ、軍需物資を殆ど捨てずに退却に成功したため、
孔明は恩賞を出そうとしたが、敗軍であったため道理に外れると趙雲は辞退。
逆に孔明に「十月を待って冬の支度品として兵に下賜されては」と進言。
孔明は深い感銘を受け、兵の士気もあがった。
(夫人は、日本では孫尚香として有名だが、これは京劇で使われる名称。)
孫夫人は養育していた劉禅を、そのまま呉に連れて行こうとするが、
趙雲は、張飛とともに追い、孫夫人の旧臣である周善を斬り捨て、劉禅を救出した。
228年の北伐の際には、馬謖の失策により、おとりとして箕谷に進出していた趙雲と鄧芝も撤退。
趙雲は殿軍として、兵をよくまとめ、軍需物資を殆ど捨てずに退却に成功したため、
孔明は恩賞を出そうとしたが、敗軍であったため道理に外れると趙雲は辞退。
逆に孔明に「十月を待って冬の支度品として兵に下賜されては」と進言。
孔明は深い感銘を受け、兵の士気もあがった。