劉備は、184年に黄巾の乱が起きると義勇軍を結成。
鄒靖(すうせい)に従って名を挙げ、功により尉(警察署長)に任命された。

しかし、郡の督郵(とくゆう)が視察に来たとき、劉備は面会を申し出たが断られた。
これに腹を立て、督郵を杖で200回も打ち、自分の官の印綬を督郵の首にかけ逃亡した。

演義では、この事件を張飛のせいにしているけど、実際は劉備ww
劉備のイメージダウンを避けたんだろうなーwww

このあと、191年に公孫瓚のもとに行くまで、官の仕事に就いてはやめるの繰り返しだった。