「安住紳一郎 若い頃」と検索した方は、学生時代にどんな人だったのかが気になっているのではないでしょうか。
実は、アナウンサーとはまったく違う職業を目指していた時期がありました。
この記事では、安住さんの若い頃を整理します。
| 生まれ | 1973年8月3日・北海道帯広市 |
| 育った町 | 十勝地方の芽室町 |
| 小学生時代 | 地元の少年野球チームに所属 |
| 高校卒業後 | 札幌で浪人生活を経験 |
| 当初の志望 | アナウンサーではない職業 |
▶ 出身校・志望していた職業・進路が変わった理由は 完全版の記事 でまとめています。
安住紳一郎の若い頃は北海道で過ごした
TBSの看板アナウンサーとして知られる安住さんですが、生まれ育ったのは北海道です。
1973年8月3日に帯広市で生まれ、幼少期はオホーツク海側の町で過ごしました。
小学2年で経験した転校
小学2年生のとき、安住さんは家族とともに十勝平野の町へ移ります。ここが「育った町」ということになります。
ご両親は、その土地の基幹産業を支える工場で働いていました。十勝という地域を知っている方なら、どんな産業か想像がつくかもしれませんね。
小学2年での転校は、子どもにとって決して小さな出来事ではありません。
友人関係も生活のリズムも、一度リセットされることになります。新しい環境で人間関係を築き直す経験を、安住さんは早い時期にしていたわけです。
初対面の相手ともすぐに打ち解け、場の空気を読みながら話を回していく。現在の安住さんに見られるそうした資質の芽が、この頃にあったとしても不思議ではありません。
少年野球に打ち込んだ日々
移り住んだ町で、安住少年が夢中になったのが野球でした。地元の少年野球チームに所属していたことが分かっています。
北海道の少年野球は、本州とは条件が違います。冬は雪に閉ざされるため、グラウンドで練習できる期間が限られるんですよね。
限られた季節に集中して打ち込む。そんな野球との付き合い方だったはずです。
この経験は、数十年たってから本人の口で語られることになります。
母校の記念行事に招かれた際、少年時代は野球に打ち込んだと懐かしみながら話しました。そこで語られたのが、華やかな芸能界の話ではなく、声や言葉の使い方だったという点も安住さんらしいところです。
チームスポーツの基本は、声を掛け合うこと。言葉を仕事にする原点がここにありました。
安住紳一郎の若い頃を変えた進路の分岐
高校時代から大学卒業までの数年間に、安住さんの人生は大きく動きます。
一人暮らしと浪人生活
進学したのは、十勝地方を代表する伝統校でした。ただ、この高校時代には少し特殊な事情があったんです。
高校3年生の一時期、親の都合で一人暮らしをしていました。
受験を控えたもっとも大事な時期に、家族と離れての生活です。心細さもあったでしょうし、生活のすべてを自分で回す負担もあったはずです。
そして高校卒業後、安住さんは現役での進学とはなりませんでした。地元を離れ、札幌の予備校に通う浪人生活を送ることになります。
10代の後半を、かなりの部分「自分ひとりで生活を組み立てる」時間として過ごしていたわけですね。この自己管理の感覚が、のちの生放送の現場での落ち着きにつながっている可能性はあるでしょう。
大学で学んでいた意外な分野
浪人を経て、安住さんは東京の私立大学に進学します。専攻していたのは、言葉そのものを研究対象とする分野でした。
しかも在籍していたゼミの教授は、「声に出して読む」ことをテーマに広く知られる人物です。
若い頃から、声と日本語を専門的に扱う環境に身を置いていたことになります。
さらに安住さんは、在学中にある資格まで取得しています。通常の卒業単位に加えて履修が必要な、負担の大きい資格です。
それを取り切ったということは、その職業への意志が本物だったということでしょう。片手間で取れるものではないからです。
進路が変わったきっかけ
大学時代の安住さんは、アナウンサーを目指してはいませんでした。志望していたのは、まったく別の職業です。
しかも、志望していただけではありません。実習も済ませ、就職先まで決まっていました。ここまで進んでいれば、通常はそのまま進路が確定します。
ところが、そこで予想外の出来事が起こりました。
きっかけは、大学の掲示板に貼られていた1枚のポスターでした。
特別な誘いを受けたわけでも、以前からの夢だったわけでもありません。それでも安住さんは、試験を受けてみることにしました。
受験したのは在京の4局です。何年もアナウンススクールに通う学生がいるなかで、ほぼ準備なしで挑んだことになります。そして結果は、決して全勝ではありませんでした。
決まっていた道を捨てて未知の道を選ぶ。若い頃の安住さんは、そういう思い切りのいい人でした。入社後は、想像以上に早いタイミングで大きな番組を任されることになります。