龐統は鳳雛、諸葛亮が臥龍として並び称される天才軍師であるが、
諸葛亮と違い、龐統の知名度はそれ程高くない。
それは、早くして戦死しているため、輝かしい実績が無いからというのも
一つの要因と言えるが、数少ない記録を見方を変えてみると
違った像が見えてくる。
(あくまで一つの説です)
龐統にとって劉備が天下三分の計を実行するにあたり、
一番の懸念点は敵軍を討ち果たさなければならないことではなく、
同族の劉璋を討たなければならない点にある。
劉備は荊州に止まっていたおり、曹操の攻撃に対抗するために
劉琮から荊州を奪って呉軍と組むことを諸葛亮から進言されていたが、
同族であることを理由にそれを拒否し、その後散り散りになるという
苦い経験がある。
それを踏まえて龐統の行動を見てみると次のようなことが考えられる。
益州での劉璋の宴会
劉璋が開いた劉備を歓迎する宴会にて龐統は劉璋をその宴会中に捕らえて
戦う事無く益州を取るように進言しているが、これは劉備に対して
自身が急いで益州を攻略するようにしようとしていると印象付けるためのものであり、
それを劉備が拒むことは承知の上であったのではないか。
三つの計
龐統は成都攻略に際して三計を提示している。
昼夜兼行で成都を急襲する上計
白水関を守る劉璋配下の楊懐と高沛をだましてこれらを捕らえ軍勢を奪って成都へ向かう中計
白帝まで引き、荊州へ帰る下計
であるが、劉備は中計を選んでいる。
これをよく見ると果たして本当に上計は上計で中計は中計だろうか?
急いで成都を攻略すれば確かに早く片付くかもしれないが、その分、兵は疲弊し、損害も大きくなる。
入蜀に成功したとしても、すぐに魏と呉の動向に対処しなければならない状況を考えると
兵の疲弊も損失も少なくなる中計こそが上計ではないだろうか。
つまり、龐統は自身が急いで成都を攻略したいと思わせることで上計と中計を入れ替えている事を
劉備に悟られていないことをここで確認しているとも言えるのではないだろうか。
劉備の宴会とそこでの口論
劉備は涪で宴会を開き、酔って愉快であると言った。それを聞いた龐統がそれをいさめた所
それに劉備が立腹し、龐統を退出させた。しばらくすると劉備は不安になり、龐統を呼び戻し
どちらが間違えたのかと聞くと龐統は「君臣ともにまちがえていた」と答えたという事が
記録されている。
あと少しで入蜀が完成するこの時、龐統として最も恐れることは、劉備が急に同族討ちに
消極的になり、途中でやめようとすることである。それを何としても阻止するために
劉備には自身の言いなりになってもらう必要があるため、劉備に負い目を感じさせる
ためにこのような行動を取ったと言えないだろうか。
ここまでの流れを諸葛亮が知った時、
心中穏やかではいられないだろう。劉備は関羽張飛という古参の英雄よりも自身を大切にした
過去があるため、このように龐統に完全に良いように操られている姿を見れば、
自分が排斥される可能性がとても高くなる。
龐統の死
龐統は記録によると流れ矢にあたって戦死したとなっているが、この「流れ矢」とは
雨あられのように降りそそぐ矢の事で、どこかで誤射された矢がふらりと飛んできて偶然に
当たるものではない。
龐統は劉備と間違えられて討たれたという説があるようであるが、総大将たる劉備と文官とも
言うべき龐統では、そもそも身につけているものが異なっており、鎧や兜を見れば
遠くから見てもどちらが大将でどちらが軍師であるかは、明らかに違うので
間違えて討つ、という事は考えづらい。
つまり、龐統は狙い撃ちされたと考えられる。
あくまで想像の域を出ないが、龐統の才能を妬み、諸葛亮が裏切った可能性は
必ずしもゼロではないと思う。
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