6月上旬に石垣島ワークに行ってきました。


九州や日本は身体の縮図に例えられ

石垣島は身体で言うと足の裏になります👣


人の意識が降りれる一番一番低い場所であり

お釈迦様が到達された最終地点とも言われています。


涅槃像の足裏に模様が書いてあるのはその証とか。


物理的にも一番低い足の裏は

”家族との傷”が溜まっている場所。


最初の関係性は家族であり、家族と分かり合えない、ありのままを認めてもらえない、声を掛けてもらえない、助け合えない、支え合えない、一緒に楽しく過ごせない等、過去の経験による未浄化な低い意識が落ち込む場所のようです。


今回は一棟貸しのビラに滞在し、グループの皆さんと一緒に生活をしながらアシュラム的生活を送りました。



今回のワークのテーマは「共同生活」


ここでの共同生活は家族みたいなもので

生きるという生活⇄幼少期

と関係があるそうです。


家族という擬似体験を通し成功体験を積むことが

一番の書き換えになると仰っていました。



屋内は広く開放感があり、木の温もりを感じました。



朝は意識と身体をひとつにする為のワークから始まり、瞑想や足裏のオイルマッサージ、読書タイム等、盛りだくさんの毎日でした。



浜辺ウォーキングは裸足で歩きましたが、石垣島という名前だけあってゴツゴツした珊瑚の死骸だらけで、ハードな足裏マッサージを受けているようでした。



毎日の食事は、地元で採れたフレッシュな果物や野菜類を調理して頂きました。



梅雨時で曇りの日が多かったけど、晴れた昼間は庭でBBQをしたり、プールやジャグジーに入ったり団欒の時を過ごしました。



最終日のワークで先生が仰っていました。


足の意識を救う事ができたら、低い次元で楽しみを見出せる人間になれる。


何かをするではなくその人が希望になるし、その人が力になってくる。


その為には足の感覚を広げていくしかない。


自分よりも強いものに向き合う力は下半身によってしか築かれない。


そこの中には誰もが重たい辛い過去を持ってる。


それは「家族」

人間としてのゴールが家族と言う形態。


家族とは、この世界でちゃんと足場を作る1つの形。

ただ居るだけで幸せ。条件付きのものではない。

そこに何か意味がある必要もない。


尊重されている。愛されている。あなたはあなたのままでいいよ。


”見てくれる”と言うのとすごく関係する。


家族とは受容してくれる存在。


どうやったらそうなれる?


たくさんの目を持って自分を見てる。

一番自分を監視してる、見つめている。

そして見ながらジャッジしない。

ありのままを見つめ、見守っている。

この世界でどれぐらいの目を持てるかとすごく関係がある。 


「見つめる事こそが愛」


一番低い次元の中で人を許すという事

一緒にいていいよ


その為には自分自身を許していかなくちゃいけないし、いつも自分を見てあげなくちゃいけない。


自分がする発言、自分がする行動がどういう風に人を傷つけたりとか、影響を与えるのかを見ないといけない。


監視する=3次元でずーっと自分を見てる


そうしたらこの世界で

”見られる”と言う状況を作っていく。


人と話す時に第三者意識を置けるかが鍵になる。

見たら感じる、見られたら絶対的に人は変わる。


なぜ?


3次元において目こそが愛情だから。


3次元は支え支えられ、与え与えられ、持ちつ持たれつ。


ここは写し鏡の世界。


自分の背中が見えない、自分の顔が見れないから支え合うしかない。


見られれば見られるほど、スターはライトが当たる。それぐらい自分のことを愛してるし、人に愛されていくのは自分を見つめている力。


見る事、意識する事こそ愛であると言うことに気づくと、一緒に生活する事はそう難しくない。



石垣島での共同生活は

私にとってとても意味のあるものでした。


先生が仰った「ただそこに居るだけでいい」との言葉が印象的でした。


家族の温もりを感じる事が出来ずに育ち、ずっと外に温もりを求めてたけど、今回の共同生活を通し、温もりは外から与えられるものでは無く、自分の内側から生まれるものであるという事を感じる事ができました。


それを感じる事が出来たのは、そのままの自分を受け入れられているという、健全な家族としての形態がそこにあったから。


私は外から温もりを得たかったのでは無く、本当はただ、人(家族)と居る中で自分の温もりを感じたかったのだと思いました。


沢山の目で自分を見つめ

自分の内側から生まれてくる

温もりを広げていきたいと思います (*˙˘˙*)ஐ