井出留美(Rumi Ide, Ph.D. ) 食品ロス問題専門家 オフィシャルブログ -143ページ目

父の命日

今日は父の命日。本来なら成田にある父のお墓へ行くところだが、昨晩、島根県の出張から帰ってきた・・と思ったら、今度は大学院の研究発表のための合宿で群馬県へ泊まり。

銀行員だった父には、転勤で全国振り回された感が強く、内向的だった私は転校が大嫌いで、言葉も文化も食べ物も友達も教科書も、何もかもが異なる土地へと次々行かされることに対し、嫌悪感のみならず憎しみを抱いていた。特に高校受験がようやく終わった高校一年の5月に「また転勤」と言われ、編入試験を受けたら一般の高校受験よりもずーっと倍率が高く、自分の意に反して振り回されることに対して不満を抱き、父と口をきくことすらしなかった。17歳になり、大学を選ぶ段になり、東京の大学だけは絶対受験すまいと固く決意し、担任の先生の進言も父の勧めもはねのけ、地方の国立大学を一校だけ受験した。

無事合格して一人暮らしを始め、3ヶ月後、再び父は転勤。銀行員だった祖父(父の父)の念願でもあった支店長にようやく栄転した。父と母と弟が高知へと引っ越した。その夏休み、初めて高知へ帰省し、家族4人で食事をしたら、父が「もう充分やったからもういい」とつぶやいていた。今思えば虫の報せだったのか。5ヶ月後、父は倒れた。奈良からプロペラ機で帰ったときにはもう意識がなかった。一人暮らしを始め、ようやく親のありがたみがわかった頃だった。倒れて5日後に父は死んだ。専業主婦だった母と小学生だった弟をのこして。

親孝行はできなかったが、父の死は、その後、何年もかけて、私にたくさんのことを、じわじわと教えてくれてきている。今やっておかなければ次はないかもしれないということ。明日の命はないかもしれない、ということ。内向的で、いつも小学校のときには先生から「もっと積極的に発表するように」と毎年言われていた私が、大学4年の時には自転車で一人で北海道を1ヶ月旅行するようになったり、青年海外協力隊として途上国へ行ったりするようになった背景には、10代で身内の死を経験したことがあると思う。母と弟のためには自分が男親の代わりにならなくては、と思い詰めていた時期もあった。

本当かどうかはわからないけど、一般の人に見えないものがみえるという人が私をみてくれたとき、「お父さんは“ありがとう、よくしてもらった”と言っている」と話してくれた。それまで石のようにかたくなになっていた「親孝行できなかった後悔」が、すこしだけ、溶けたような気がした。

父の良さも悪さも、確実に、私に受け継がれている。お酒に強いところ。働きすぎて自分に無理させるところ。反省するたびに父を思い出す。今の仕事で、親の愛情を受けることができない子どもの存在を知るたびに、愛情をめいっぱいかけてくれた二人の親に対する感謝の気持ちをあらためて思い起こす。

今日は父の命日。合宿でお墓参りは行けないけれど、青く晴れた空を見上げて思う。父が生きられなかった命の分、あとどれくらいかわからないが、私が生きていられる限り、活かして生きたい。
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