私の両親は

聴覚障がい者でした

私が話せるようになった

2、3歳頃から私は自然と

「お母さんの耳」になりました


隣のおばちゃんが何を言っているのか

玄関をコンコンと叩いた人の用件

豆腐屋さんが団地の下に来たこと

灯油の配達のトラックが来て

雪やコンコンの音楽が鳴ってること

目覚まし時計が鳴り出したこと

夜中お湯がシュシュシューと

音を立てて沸騰したこと

水が出しっぱなしで

シャーっと音が鳴り続けていること

お風呂が沸きすぎて

ボコボコと音を立てていること…


それら全部を

私は言葉にして伝える役割でした


でも、私にとってそれは「特別」ではなく

我が家では当たり前の日常でした

苦しいとか、しんどいとか

当時はそんなふうに

思ったことはありませんでした


ただ…何度伝えても、うまく伝わらない時

お母さんの表情が少し曇った時

説明しているうちに

「何を、どう伝えなきゃいけないのか」

自分でも分からなくなってしまった時。

子供ながらに

お母さんを悲しませたくない気持ちで

いっぱいいっぱいになって兄と

泣きそうになったことも

実際に泣いてしまったことも

何度もありました

それでも

伝えなければいけなかった

伝えないと家の中で

困ることが起きてしまう


そしてお母さんが大変な思いをしてしまう

だから私も、兄も必死でした


何度も何度も説明しました

何度も何度もわかってくれるまで

色んな伝え方を変えました


そうやって必死にやってきた日々が、

今の私を作っているのだと思います


若い子たちに何かを伝える時

一度で伝わらなくても私は驚きません

理解してもらえなくても苛立ちません…


ただ…わかるまで伝えてあげたい


「それは当たり前」そう思える自分がいます


相手にちゃんと伝わるまで

何度でも、言葉を変えて、角度を変えて

最後まで伝えきる


その力はあの頃の“当たり前の日常”が

自然と私に教えてくれたものだと

思っています


だから両親に感謝しかありません

今不安の中にいる親御さんにも伝えたい

大丈夫。焦らなくていい。

一緒に、何度でもやり直せばいい。

そして、

少年A、少女Aと呼ばれてしまった

「君たち」にも

理解してくれる人は、必ずいる

すぐじゃなくてもいい

時間がかかってもいい


だから、元の場所に…

自分の居場所に、戻っておいで

そしてお母さん達は

子供達の帰って来れる場所を

いつも確保しててあげて下さい

そして心からの笑顔も忘れずにです

偉そうなことを言ってても

何歳になってても

子供はいつまでも子供ですょ