今日は45歳でこの世を去った姉の命日。


お墓参りに行く予定が急用ができてしまい、私抜きで行ってもらう事に…悲しい


とは言ってもお墓はただのモニュメントですから、お墓参りという儀式には重要視してませんので、それより「亡き人に想いを馳せる」ということが何よりだと思ってますひらめき

(秋川さんの歌の通り口笛私の〜お墓の前で〜泣かないでください〜♪ここに私はいません〜眠ってなんかいません〜口笛ってやつですね)


姉の闘病と死をきっかけに多くの事を学び、

「死生観」

「生き方」

「より良く生きるには」

などなど、

たくさん本を読み、聞き、観てきましたが、先日友人に教えてもらい出会った本で、まさに私の思っていることと同じだーびっくりマーク

と、ドンピシャな内容があったので、ちょっと一部書きたたいと思います。


「生きがいの創造」著;飯田史彦より一部抜粋


【もしも、スピリチュアルな世界や、そのしくみの存在が事実であると「仮定」し、人生で生じるあらゆる現象に意味があると「仮定」すれば、

私たちの日常の小さな不満は無意味なものとなり、何の価値も持たないように見えた不幸や挫折が、逆に貴重な価値を帯びてくる可能性があります】


これこれー物申す

ってすごく共感!


私がずっと思ってるのはこれ!



なので、見える世界だけにヒューチャーして生きるより、スピリチュアルな世界やいろんなしくみがあることを知って生きた方が楽というか、全く違った世界になるってこと!


病気になったことも、

大切な人が死んでしまったことも、

不運なことに直面したときも、


それら全てを必然として受け止め、意味があることだと受け入れる事で生き方が変わるのです。


その出来事は私にどんな気づきを与えるために起きたのか


と、気づいた時に変容が始まるのです。


不安な気持ちや、

消せない空虚感、

行き場のない怒りも、


全て消えて無くなり、

「死」さえも受け入れることが容易になるのです。


信じることはタダです。


外側の神にすがる宗教を信じることはあらゆる意味で危険を伴うので要注意ですが、内なる自分の声に耳を傾け、スピリチュアルな世界やその存在を信じて生きることは人生を楽に生きられるってことだと私は信じています目がハート


日本ではスピリチュアルという言葉が違う意味合いを伴い、今ではあまり良い聞こえではないことが残念です。

霊感商法や新興宗教、啓発系と結びつくイメージなのでしょう。

まあそれだけ多くの人のスピリチュアルに対する知識が浅いのと、物理次元の世の中にどっぷりな人が多いということなのでしょうけど。


目に見えないものだから値段の相場が分かりにくいのも問題で、スピリチュアルを語った高額なセミナーや講座も要因の一つなのでしょうけど。


その辺に注意しながら、

スピリチュアルをうまく取り入れ、


楽に生きる=楽しく生きる


を実践していきましょうラブ