とんちきヲタ徒然記。

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るかは本垢nameです。

主にジャニーズ関連多めなマイペースblog
堂本光一は殿堂入り、セクゾちゃん(特にふましょり)にはメロメロ通り越してめろんめろん( *。´p` )♡.゜
時々闇の住人←

yasuくんの音楽が今の心を支えています。

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父親の記憶

写真に残る父親と私
1歳頃だろう
どこか旅行なのか…
弟は母に横抱きにされていたから
恐らくまだ首が座っていない
私は父親に抱っこされていた

こんな記憶は無い
というより
これ以外に父親が私を抱き上げている写真はない


1番ある記憶

タクシー運転手として勤めていた父親を見送る時
私と弟は必ず
「あーくーしゅ、いってらっしゃい」
握手をして父親の頬にキスをして見送った

仕事へ行く時に見送りをする習慣はここからある

けれど父親から“いってきます”を聞いた記憶はない

その習慣は小学校低学年まで
観光バスの運転手として働き始めた父親は
留守がちになった

長くて1週間程空いていたと思う

幼い頃、小児喘息を患っていた私は
苦しくて泣くこともあった
眠れない夜は母におぶられ外の空気を吸った
父親は背中を向けて眠っていた

保育園に行きたく無くて仮病を使ったこともある
もちろんすぐ母にはバレてしまう
泣きじゃくる私は母に無理矢理制服を着せられる
それは小学2年の春くらいまで続いた

集団が嫌いで
お友達と仲良くが嫌いで
だってお友達なんていないもの

PTAで母同士が仲良くて仲良くしてくれる子はいた
嬉しくて母が帰った後も遊んでいたこともある

うちでは当たり前だったはんぶんこ
残ったおやつを「じゃあはんぶんこしようね」と分けたら
その子が泣き出した

母親が駆け寄って来て“私はんぶんこ嫌いなのにるかちゃんがはんぶんこにした”と泣き喚いた
そしてその子の母親は“可哀想に、それはるかちゃんが悪いね”と言って私を責めた
その後その子の家には行かなくなった

母も働かないと家計が苦しかったから
たまに弟の同級生のお宅に預けられた事もあった
そこには幼い弟がいて、3歳くらいだったろうか
突然積み木で殴られた事もある
さすがの私も泣いた
その母親は私への謝罪も母への報告も無かった

母に伝えたのは
淋しくて泣いたのだ、と

当時は母がいなくて淋しがることがあったから
母も疑いはしなかった
殴られたのは前頭部で
髪の毛で見えなかったから

それもあって
友達作りが苦手というより嫌いになって
この頃には分かっていた

期待しなければ裏切られない
信じなければ傷付かない

保育園に通っていた頃の父親の記憶
唐突に“テレビと電話買う”と買っていたこと
後に分かるけれど、家にテレビが2台あったのは
母がなんとかやりくりしていたからだ
電話なんて古いもので十分だったのに
父親の気まぐれでそうなった
なんでも決めてからの報告
そこは似なくていいのに弟が似てしまった
似て“しまった”んだ



小学校へ上がっても学校嫌いのままで
泣きながら学校へ行きたくないと喚けば
躊躇いのないビンタが痛くて
どうしても行きたくなくてしがみついても
家から放り出されて鍵をかけられる
見兼ねた班長が迎えに来て渋々登校していた

帰宅して「大丈夫だった?」と聞かれる瞬間が嫌いだった
大丈夫としか言えないじゃないか、と
その時の母は嫌いだった

けれど
そんな娘も見てみぬふりで寝ていた父親は
いるかいないか分からない人だった

小学2年生の時に転校してきた子と仲良くなれた
友達が出来たと思った
自分から初めて友達を作れたと

幻想だった
近所で仲良くしてくれていた子は
きっと私が鬱陶しかったんだろう
お揃いの髪留めを着けたとき
その子の母親は“この子はお揃い嫌いだからやめてくれる?”と言った

私は遊びに行く時電話を掛けてから走って数秒のその子の家に行っていた
裏から入るからチャイムは鳴らさない
奥の台所から“あいつもう来たー?”という面倒くさそうな母親の声に
姉が慌てて台所へ行って“もう来とるって!”と話しているのが聞こえた
分かりやすい愛想笑いで“早かったねぇ”なんて白々しく話しかけられた時に子供ながらに分かった

嫌われているんだ

それからその子とは疎遠になった

小学校3年生の頃だったか
遊び相手になってくれない父親なりの考えなのか
私達にファミコンを買ってくれた
もちろん母と買いに行ったけれど
弟はそこからゲームに嵌まり込んだけど
私はすぐ飽きた

2年生の頃に仲良くなった子と遊ぶ方が楽しかった


疎遠になりながらも近所だったから稀に遊ぶ事があったその子と
仲良くなれた子と一緒に遊ぼうと誘っても
“私あの子嫌いだもん”と遊ぼうとはしなかった
その子は当時珍しい離婚家庭で
PTAの中でも浮いている家だった

うちは祖母がシングルマザーだったから特に偏見もなかった

けれど4年になってから
そのふたりはよく遊ぶようになっていた

嫌いじゃなかったの?の聞けば
“るかちゃんと遊ぶより楽しいもん”

つまりは親の言い付けで遊ばなかっただけで
素性が分かって大丈夫だとなればもう関係無い

むしろ鬱陶しい私の方が迷惑だったのだと

分かっていたのに
期待しなければ裏切られない、と

どこかで友達を求めてしまった自分にムカついた

その少し先
母が癇癪を起こすことが多くなった
私も家にいる事が多くなっていたから
突然泣きだしたり
ほんの些細な事で怒って
皿を床に叩きつけて割られる事もあった

季節は覚えていないけど
大きい物音で目が覚めた
父親が泣いてる母を宥めていた
右手には包丁を持っていて左手から血が流れていて
父親は母の左手にタオルを巻いて
…包丁はどうしたか記憶にない

その頃住んでいたアパートは2Kの狭い家
自室なんて無くて
布団を敷き詰めて家族で寝ていたから
泣きやまない母を横にして
父親はいつもの焼酎ではなく
ウイスキーの瓶を傾けていたのは覚えている

その後の事はほとんど覚えてない

その後から母はどんどんおかしくなった
急に泣き出したり
物を壁にぶつけたり
学校から帰ったらいなくて
近所で良くしてくれてた人が様子を見に来てくれて
炬燵の中で泣き疲れて寝ていたこともあった
子供心に母を心配したけれど
何ができるわけでも無かった

夜中目が覚めて両親の会話が聞こえていて
“3ヶ月だって”
なんの事か分からなかったけど
すぐに妊娠だと知らされる

大雨の日だった
なかなか寝付けなくて
それでも目は閉じてて
電話が鳴って何か言い合いをしてて
母が出て行った

少ししてから戻った母は
髪の長い女の人を連れて来た
“こんな雨の中外にいたら流産する”
父親の愛人だった
温かいものはこれしかないから、と
即席麺を食べさせていた

子供でも理解出来た
父親が母と愛人、同時期に孕ませてた

愛人の母親が来て言っていた
“あなたの旦那さんはこの子に子供を産んでくれと土下座したのよ”
父親は母には堕胎しろと言った

その後から愛人からの電話がよく鳴った
“あなたは子供を身篭っていても愛人で私は妻です”
母がいつかの電話で言っていた

結婚という契約を交しているのだと
毅然としていたけれど
子供達を見る余裕を無くしていたのだろうと思う

私達は近所の方にお世話になる事が増えていた

いつだっただろうか
母が入院していた時期があって
お母さんのお見舞い行くぞ
と父親が連れて行ってくれた事があった

ちょっと待ってろと車の中で待たされて
戻って来た父親は見たことの無い笑みだった
あんな顔は後にも先にもあれだけ
気持ち悪い顔をしていた
“父親”ではない気持ち悪い顔だった

きっとその愛人の所に行ってたと思う

産んでくれと土下座をされた若い女からの電話に出た事があった

この前夜に行ったお姉ちゃんなんだけど分かる?お父さんかお母さんいるかなぁ?

忘れもしない気味の悪い声
毅然と妻であろうとする母と
優位に立とうとする若い女

そこまで魅力のある男だろうか

車が好きで女が好きで
休みの日は子供達と遊ぶよりパチンコ
毎日焼酎を呑んで
こちらに目線を送ることすらない

顔もうろ覚え
それ程に顔を合わせた記憶がない
街で会ったとしてお互い分かるかも怪しい

離婚が決まって親権は母
おばあちゃんの名字にするか今のままか
あんた達が決めてと言われて
祖母の名字を書くのが苦手だったので
このままでいいと言った

引っ越してしばらくしたら母に恋人が出来た
そんなものだ

私達に好かれようとする人ばかりだった

“嫌ならお父さんとこ行けばいい”
母の口癖になった

時には私達が寝ている横でセックスして
不快なものだ
誰が好き好んで母親の性事情を知りたいものか


彼氏の実家で年越しもあった
夜中トイレに起きたら
炬燵の中は素っ裸だろうと見られる光景も見た
いい大人が子供が寝静まった後で
こそこそ何してんだと呆れた

もう“母親”ではなく“女”なんだと
突きつけられた現実は吐き気がした
その頃から母を“お母さん”と呼ばなくなった

私なりの小さな反抗だったと思う


妻子持ちもいた
高校生の頃
思春期もそれなりにあって
修学旅行があってお小遣いをくれた
素っ気ない態度の私に母は言う

“あんたに嫌われたかなぁって落ち込んでたんだよ、なのにお小遣いは貰っといて態度が悪過ぎる”

妻子持ちのおっさんと付き合ってる奴が言うか
どの口が言うのかと呆れて何も言えなかった
じゃあ愛想よくしてやろう

母が満足する私を作ることを学んだ

その後奥さんにバレて少し揉めたけど
それから男が出入りする事はなくなった

不倫なんて何の特もない
気持ち悪い

友達が妻子持ちと付き合う時は

“最終傷付くのは相手より自分ってことは頭に置いといて、子供は作るな。そこは徹底した方がいい。反対はしないけど応援もしないよ”

大体の子が言う
“あんたにこの気持ち分かんないよ”
それについて何も言わない

知りたくもないよ、そんなバカげた視野の狭い恋なんて
だったら相手の人の子供の気持ち分かる?と聞きたくなるのも堪える

どうせ分からない
分かるわけがない

恋愛なんて自由だけど
わざわざ結婚っていう法律的契約をしている人を相手にするのは
時間と労力の無駄だ

誰かが傷付くのが分かっている
男はお金を取られて名声を失くす程度
女は妊娠堕胎なんかした日には二度と子供が産めなくなる可能性もある
不倫をしたというレッテルも貼られる
肩身が狭くなるのはどちらもだけど
結果の分かる恋愛をする意味が分からない

奥さんとの間にもう愛は無いから
子供も自分に懐いてないから

そう言って離婚する人もいるだろう
そういう人ともし結婚をして
自分も同じ目に遭わない自信はどこから来るのか

居るか知らない神に永遠の愛を誓って
子供を授かったとして
それでも数年後には愛が冷めたと捨てられる

自分がその二の舞いにならない保証がどこにあるのか

そういう人は同じ事繰り返すんじゃない?
結局いずれ冷める愛しか持ってないんだよ

信じたらその先には裏切りがあるんだよ

父親だと信じた人からは邪険にされて愛してもらえない
母親だと信じた人は結局母親である事より女である事を選んだ

血の繋がりですらそんなもん
無償に与えられる愛なんて夢だ

親だって他人
“自分ではない他の人”
好き勝手生きればいい

結婚はしたい
子供も欲しい
けど恋愛はしたくない

交際0婚は私の中の憧れでもある
付き合ってた頃はこんなじゃなかったのに…
なんていう比較なんていらないから
面倒くさいだけだし

問題としては
いつか傷付く
いつか裏切られる

その考えが拭えない事か

今日の夢見はとても悪かった
もう会いたくもない奴が出て来た

思い出されたこの記憶はあいつのせいだろう

一生独りでも問題はない
結局人間死ぬ時は独り

好きになってもらえない自分を惨めに思っていた時期もあったけれど
今は味方がいてくれるから大丈夫

好きになってもらおうと思わなくなった
側にいさせてくれる人達がいるから

私を理解してそれでも側にいてくれるから

それでも思い出すこの記憶は出来れば消してしまいたい

人間って不便だね

覚えていたいことは忘れてしまうのに
消してしまいたいことはいつまででも覚えてる

この経験があるから今があるのだろう

それでも親に感謝しろと言う人とは合わないよね
母は大切だけれどね
でもきっと別れが来るまで
もう“お母さん”とは呼ばないだろうな

何が言いたいのか?な久々ブログ

何かに発散しないと落ちていきそうだっただけ

もう二度と私の夢に出てくんなよ
マジで










怪しい…(笑)

昨日夜勤明け🌄



母の家庭菜園にて

そろそろ収穫

ということで着いていき





じゃがいもー


おっきいのから

ちっちゃいのまで沢山




手のひらサイズ



こいつが一番おっきい






弟が母の日に贈った紫陽花


元気だなー

私が贈ったものは
すべて
枯れてんだけど(笑)


桔梗も咲き始めました



母の趣味



うん、内職もあって

大変だけれど出来る限り

続けて行こうね。








母の日ーっ花束

我が母はフルーツは食べます
しかし酸味のあるものは苦手

ということで

いちご食べません


母の日ケーキはなんとも
いちごだらけ

分かってた←

ケーキやめて
どんぐり共和国行く?

なんて考えてたら



モロゾフ様ーっ💕




可愛らしいデコレーション🌸


なのに
チョコケーキ照れ

素晴らしいルンルン



今年は残るものではないが

枯らす花も残らないので
美味しく食べてもらえて良かった爆笑


長生きせぇよ
MOTHER