食事後すぐにする排便は果たして食事に意味を持たせることができているのだろうか。栄養が身体中に行き渡る前に出しているかもしれないという心配がある。排便という行為は、食事というインプットと、排便というアウトプットに分けられる。これら二つには大きな相関関係があると考える。つまり、良いインプットは良いアウトプットを生み出すということである。雑草から生まれる排便と、高級レストランのビュッフェによる排便、どちらが高貴なものであるかは明らかであろう。

 

 社会は様々な情報で溢れかえっている。私たちはその中から正しい情報を見極めてインプットすることが求められる。インプットの手段は多種多様である。会話、新聞、ネットニュース、それぞれのニーズにあった方法で日々情報を獲得している。中でも、最近ではスマホの発達が著しい。ニュースからメール、大学とのやりとり、恋愛事情でさえスマホで執り行われているらしい。若者が積極的にインプットに勤しんでいることはとても好ましいことである。しかし、私は最近スマホに疑問を感じたことがある。

 

 4月。新学期の季節である。学生は皆、不安と期待を胸に学校に足を運ぶ。席が隣り合った人に積極的に話しかけ、友人を作る。友人は素晴らしいものである。人生を共に助け合うパートナーにまでなるかもしれない。友人とは会話を通してコミュニケーションをとるのが定石である。しかし最近の若者は外食に友達と行って、食事が届くのを待つ間にするのは会話ではなく、スマホいじりである。目の前には、新学期にあれだけ頑張って作った友人がいるのにだ、お互いに目も合わせず無言でスマホをいじっている。故意ではないが、スマホの画面が見えたのだが、そこに写っていたのはInstagramだ。目の前の人間ではなく、その場に居合わせない人間のストーリーにしか興味がないのだろうか。私には分からない。おせっかいだ、余計なお世話だと言われればそこまでなのだが、仮にでも身近な人間がそのようなことをしていると考えると、頭を抱える。

 

 スマホは素晴らしい情報入手機器だと思う。それを共有することで新たな会話が生まれるきっかけになるとも思う。しかしインプットは合うトップとがあってこそだと考える。どれだけ良い食事をしても、出さなければ体に悪いのだ。私が見た若者は言うなれば、互いに良い食事をしているのに、会話もせずに、排便もしていない状態である。これが最近の若者のコミュニケーション方法なのだろうか。やはり流行りというものは難しい。

 

 会話とは楽しいものである。私は他人の話を聞くのが好きだ。だからこそ言葉のキャッチボールということを大事にしている。たまに、仲が良ければ無言でも大丈夫という考え方があるらしいが、会話が完全にない状態は仲がいいとは言えないと考える、会話が多少少なくても平気ならわからなくもないが。相手からもらったボールをインプットし、それを自分なりに解釈してアウトプットする。これがまた楽しい。インプットをもとにアウト風とすることで、知識を深めることができる。若者には下だけでなく、前にも立派な情報入手手段があることを是非知ってほしいと思う。