恋におちている。

 カードはそう言った。あの運命の日までの状況を読んでみる。もちろん、うつくしいひとから想い人への様子もだ。

 前回も呟いたが、私はこの件、いたってシンプルな切っ掛けから起こったものだと考えている。世間で言われているソレとは全く別物だが、ただの個人的な呟きなので読み流してほしい。今回も私の相棒、タロットカードとの共同作業である。
 
 出たカードは、愚者、運命の輪、死神、節制、正義、女教皇、悪魔。女教皇と悪魔以外は正位置である。
 うつくしいひとと想い人は、立場や年齢を気にしない関係だったようだ。ただ、二人のことで問題が起こった場合には、それを乗り越えることはできない相手ではある。
 運命の日。二人の関係が終わる衝撃的な事件が起こった。人間関係のトラブルのようなものかもしれない。と言っても、ただの人間関係ではない。恋愛が絡んでいる。…そして、うつくしいひとの意思に関係なく、終わりがやって来た…。
 うつくしいひとにとって想い人は、一緒にいると安心でき、自然体でいられる相手だった。相手は立場がある人だから、思うようにはいかない部分もあったろう。
 ただ、二人の関係はタブーである。どうも、(いつ頃かはわからないが)ふたりのことが周囲に知れてしまったようだ。ひとりか、複数人かは不明。知られてはいけない関係だったゆえに、恵まれた未来とはならなかった。
 最終的には、回復できないほどの損害を与えられる出来事が起こり…別れを迎えると出た(または、別れを迎えることにより、生じた損害か)。それはあの日の出来事だ。この運命の日がとんでもないことの始まりなのだ。ここからはシンプルとは言いがたいかもしれない。私はその後の事務所の冷たい対応が不思議でならないのと同時に、大変腹立たしい。何故そうなるのか。いくつかの要素があるのは確かだ。

 自己信念が揺らいでしまうほど、大好きだったのだろう。求めていたのは安らぎではないかと思う。思い切り抱擁されて、甘えたかったのではないか。欠けた愛情は愛情でしか埋められないのだから。うつくしいひとが時折、ふっと見せる、寂しそうな表情がそう思わせる。それを求めた対象が、たまたまその人だった。それだけなのだ。
 いけないことか?と問いかければ、いけないことだと言われるだろう。でも、どうしようもない。心は自分の物であるようで、決して自分の物じゃない。じゃなければ、もっと上手くやり過ごせるはずだ。事の始まりが、誰かを好きになることだなんて、切な過ぎる。
 
 だからこそ、真実は明らかにされるべきである。

 これは占いを元にした個人の見解であり、独り言である。当たるも八卦、当たらぬも…。
 しかしながら悔しい。その一言に尽きる。