![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190603/20/ruiruipapa/13/08/j/o1080108014422000276.jpg?caw=800)
病院に着いた安堵感や娘や孫が来てくれた安堵感謝感に抱かれたまま、手術室へ運ばれた。手術のアシスタントの様な人達が手術前の消毒等の段取りが手馴れた段取りで行わた。そして海老原先生が現れた。(後で分かったのだけれど)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190428/23/ruiruipapa/50/88/j/o1080108014399434356.jpg?caw=800)
右手首からカテーテルが挿入されました。胸が急に温かくなり、何だか死の淵から助けられている行為だと感じる…でも間もなく海老原先生が「困ったちゃんが居るな…」と言ってカテーテルを抜いた。そして右脚の付け根から再度カテーテルを挿入した。この時の状況を海老原先生はリアルタイムで「思ったより酷かった」だからカテーテルの挿入場所を変えたんだ❗カテーテル手術後、手首と太股では止血の処置がまるで違いました‼️とにかく痛い‼️術後もまるで違いました‼️止血する先生も大変です‼️止血の為に20分間、力強くで…先生も大変だけど患者側も悶絶するほどの痛みでした。先生を蹴飛ばしたかったけど、こんなに長時間、止血してくれている若い先生に感謝していた‼️でも痛かった‼️。止血が終わり集中治療室に運ばれた。ICUに運ばれて間もなく、執刀医からの説明があって其所に奥さんと長男が呼ばれ一緒に状況説明を聞かされた。
これから集中治療室で4日間過ごし、その後は一般病棟へ移動して退院と成りました。
しかし心筋梗塞の原因である冠動脈の狭窄がもう一ヶ所残っているので12月28日に入院して首相するとの事でした。
12月28日に入院し手術して12月30日に退院出来ました。2019年の元日は実家で過ごせました。
その後、3ヶ月検診で新たに狭窄が発症していました。そしてカテーテル手術で都合4個のステントが入りました。
先ずは、そんな感じで改めて今後の予後を考えて生きねばと考える様に成りました。
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桜が丘メルクリニック内で鎌田先生がドクターヘリを要請している‼️…でも、日没でドクターヘリが飛べない❗救急車の緊急手配している‼️救急車のピーポーピーポーが近づいてくる‼️駐車場に停車して救急隊員が入ってきて間もなくストレッチャーが入ってきて乗せられて、そのまま救急車の中に運ばれました。その後、早く運んで欲しかったけど、書類が手間取った様で結構な時間待たされた。やっと動き出したけど何処へ向かっているのか分からない❗鎌田先生が「千葉西」って言っていたけど場所が分からないから、どの道を通っているのかも分からない❗しかも、道路は渋滞の様で運転手さんと助手の様な人が困ったような話をしている‼️長いな~このまま救急車内で死ぬのかな?なんて考えたり、でも親父や母ちゃんが来ないしな…そんな事も考えたけど、とにかく早く病院に着いて欲しい思いだけでした。
助手の方から、「苦しくないですか?」「寒くないですか?」「もうすぐですから頑張って下さいね」そして病院に着いて救急車の扉が開いてホッとすると同時に救急車より先に着いていた長女の「お父さん大丈夫?」声が聞こえてドキッとした。隣には孫2号の気配も感じた。病院に着いて…助かったかなと思うとホッとした。その後、手術の同意書を書いてと言われたけど、さすがに辛くて、長女が来ていたのでお願いした。
その間、そんなに長く感じない程々のタイミングで手術室に運ばれた。
まだ、日も昇らない暗闇の布団の中で突然襲ってきた痛烈な胸の痛み。寝ていられず四つん這いに成って右手で拳を軽く作り心臓の鼓動に合わせるように胸を叩いていた。救急車を呼ぼうかと思ったけれど知らず知らず寝てしまった。日が昇り起きた時、たしか胸の痛みで苦しんだ記憶があるものの不確かな記憶でした。
前日の茨城県議会議員選挙の翌日で新聞は休刊日の影響で朝から不在着信が有りました。対応して先ずは鎌ヶ谷沙弥へ向かい駐車場からお店までの道中妙に「死」が頭から離れなかった。白崎さんにいつものようにツーブロックでカットしてもらい店を出て駐車場へ戻る道中もまた、「死」の事を考えてくる…自問自答して自分に言い聞かせた。「なにネガティブに成ってる‼️俺。」
鎌ヶ谷を出て、家について近所の先輩宅へ昨日の県会選の話をしにお邪魔して間もなく、その時がやって来た。可笑しい、どうした。あの時の痛みは夢じゃ無かったのか…先輩に異常な状況を察しられたけど無理して自力で家に戻ろうと先輩宅を出ました。家に戻る途中のいつも通りの風景に土手を散歩する女性の姿も気になったり助けも求めた。何とか家についてたどり着いてソファーに雪崩れ込んで倒れた。行き着く暇もなく鎌田さんに❗病院に電話しなくちゃと思ったけれど月曜日で休みかも知れないと思いながら携帯電話を捜しだしやっとの思いで電話してみた。すると電話の応対があり病院がやっていることを確認できてこれから10分後に行ける事を伝えて電話を切った。その後、予約をとったもののソファーから起きて車に乗り桜が丘の病院までたどり着けるか?
自信は無かった。そんな中でもソファーから立ち上がれるタイミングを狙っていた。何の根拠もなく、ただ10分後と言ってしまった責任感の様な思いが体を動かした。ソファーから立ち上がり車に乗りエンジンをかけ、門扉を開け車を動かした。大丈夫か?俺…先が見えてきた、何時もの農道から病院が見えてきた。この時の安堵感、ホッとしたのを今でも「事故もせずにたどり着ける」と、思い出す。
何とか、病院にたどり着いて受付を済ませても病院側はまだ、私の事の重体差を感じてくれていない。実際は早い時間帯で呼ばれたのだろうけれど、とても長く感じた。そして、やっと病院のベッドにたどり着けた。この感じを願っていたよ。楽になっよ。そんな私の状態を看護士さんが見て、間もなく医院長がきて院内の雰囲気が行きなりドラマ化した。体には心電図のための器具が取り付けられて医院長が心電図を見た時には病名が心筋梗塞と判断されたんだろう。医院長が私に「どうして…‼️」「家族に連絡して‼️
」言われて携帯電話で奥さんは無理だろうと思って何とか長女に電話することが出来た気取って連絡先取れず、次女も奥さんも連絡が取れない。それよりも早く楽にして欲しかった。苦しんでいるベッドの上でベロの裏側にニトロが挿入された。医院長の慌ただしい電話の対応している声が院内を飛び交う。「ドクターヘリ、千葉西」って言ってる。この段階で心筋梗塞とは分かりません。そして、救急車で千葉西へ行くんだと言うことは分かった。救急車が来て人生初の救急車に運ばれた。
次回にします。
あなたの平成ラストにやり残したことは?
一番厳しいのは、
まわりの目線ではなくて、
自分の目です。
自己否定でストレスが
たまっていくのです。
まわりからとやかく
言われることよりも、
自分が自分の裁判官に
なっていくことで
最も疲れる形になるのです。
まわりの目線ではなくて、
自分の目です。
自己否定でストレスが
たまっていくのです。
まわりからとやかく
言われることよりも、
自分が自分の裁判官に
なっていくことで
最も疲れる形になるのです。
中谷彰宏