去年あたりから肌が汚いのが気になってきた。
何が気になるのかというと・・・
①毛穴
②要らんとこに生えてるヒゲ
③ほうれい線
④目の下のクマ
と、自分できになっているのは四つ。
そこで、メンズエステの体験に行ってみることに。
某ダンディハ●スの初回半額っていうのにいってみた。
キムタクがCMしてるとこだ。
予約は6時からで15分前についたが、
カウンセラーが空かないとかで、6時半まで待たされた。
(すでにタバコを我慢していて、帰りそうだったけど初回半額を得るために我慢・・・)
カウンセリングとはなんじゃー?って思っていたんだけど、
いざ始まると、人のコンプレックスを商売にしたタチの悪い営業だった。
お見積もりしてもらったが美肌で24回といろいろついて117万。
脱毛はお客さんヒゲ濃いからぁってことで97万。
なんだか不愉快な気分に・・・
へー むっちゃ金かかるんですねぇ かえって考えます・・・
そんな営業を一時間ほどされ、最終的には入会金3万5千円くらいと、
脱毛一回でいいから契約してください!と迫られた。
どうも契約のノルマでもあるらしい。
エステティシャンも大変なんだなぁと社会の厳しさを感じつつ体験へ。
ホワイトなんとかコースって通常2万円くらいのを1万円でやってみることに。
うる覚えだけどやったことは、
洗顔、謎の化学薬品で汚れ?を落し、また謎の化学薬品を塗り
電気が流れる棒で顔をグリグリ、抹茶の匂いがするパックして、
次は化粧水染み込ませたコットンを顔にかぶせてしばらく放置して終了。
初めてパックして気持ちいいとかわからないけど、
なんか顔はすっきりした気がした。気分の問題か・・・・・
続けていかないと効果はわからないらしい。
最終的に思ったことは100万かけて人任せにするのも手だけど、
そんな金はないので、自分でできることをやったらいい。
体のトータルな健康も大事らしい。(当たり前か・・・)
コラーゲンはいいらしい。
青汁はいいらしい。
化粧水と乳液は効果があるらしい。ビタミンCかな・・・
紫外線はお肌の敵らしい。(常識かw)
ばか高いエステに通うより、薬局でサプリ買って
健康維持に努めたほうが、安上がりなので、
とりあえずサプリメントと化粧水(市販の男性用)を続けてみることに。
父親が突然に他界した。
突然の死に戸惑う自分の気持ちの整理のために
文章として表してみようと思う。
死因は膠原病(リウマチ)からの間質性肺炎という病気であった。
経過をまとめてみた。
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<臨終までの経過>
○木曜日
寒い日が続いたせいか、父は体調を崩したらしく、ケホケホと乾いた咳をしていた。
私は父と風邪が治ったら週末は船で釣りに行こうと話していた。
○木曜日、父は体調不良で会社を早退した。
○金曜日 6時頃、私はストーブの前で寒がっている父を見かけた。
私はゴルフへ出かけた。私は父は風邪なのかなぁと考えていた。
○金曜日 10時頃、父は母に付き添われて病院へ。
父はそのまま入院した。
○金曜日 20時頃、私は入院した旨と、命の危機が少しあることを聞かされた。
・もしかすると今夜あたり気管挿入するかもしれない。
・気管挿入すると鎮静剤もあわせて打つので意識がない状態になってしまう。
・もしものことを考えると話せるのは今夜が最後かもしれない。
そんなことはないと思うが、そのまま入院先の病院へ見舞いに。
○金曜日 20時半頃、私は病院へ到着した。
今日のゴルフで初バーディーとった自慢や今度の釣りの予定を父と話した。
私、「初バーディーとったよ。」
父、「バーディーか すげーなぁ おれも退院したらまたゴルフできるぞ。
なんだか調子がいいんだよ。」
私、「パー5でドライバー使わなかったからね。」
父、笑顔でうなずいた。
私、「ゴルフできるんだったら早く一緒に行こうぜ。」
父、嬉しそうに笑ってうなずいた。
私、「その様子じゃ明日は一緒に釣りは行けそうにないみたいだけど、いついけそうなの?」
父、「早ければ一週間くらいで退院できるからそれからだな。
明日はひろき(私の甥)つれて行けよ」
私、「わかった。はやく治して一緒に行くぞ。」
父、笑みを浮かべた。
これが私と父との最後の会話となった。
弱ってはいるがしっかり会話できるので少し安心してしまっていた
30分くらいいて帰宅した。
この時はステロイドパルス療法でリュウマチの痛みが緩和していたのだろう。
腕の力は布団を上げれないほどに弱っていた。
○金曜日 23時半、病院から血中の酸素濃度が上がらない。
気管挿管して人工呼吸にするので来て欲しいと連絡があった。
同時に父から母へ電話があった。
母が電話口で 「会いにいくからね。 がんばるんだよ。」
と言っているのが聞こえた。
これが母と父が話した最後の会話となった。
○土曜日 0時30分 家族4人で病院へ到着するが、気管挿入しているのでと待たされた。
最悪、酸素ボンベを持って歩くようになるかもしれないが、
まだ助かるんだろうと思っていた。
○土曜日 2時 主治医から説明を受けた。
・夕方に撮ったレントゲンと、今撮ったレントゲンを見比べて、肺の白い部分が広がっていた。
かなり進行が早いので人工呼吸にしないとまずい状態だったとのこと。
・できることの最大限をしている。
・人工呼吸器をつけたので鎮静剤を投与した。もう痛みを感じないはずで、意識はない。
・特定のステロイド薬しかこの病気へのエビデンスはない。
・考えうる最悪のケースである。この薬が効けば回復の見込みはある。
・ただ、そのステロイド薬が効く見込みは父のケースでは低い。
・顎が小さかったため鼻から挿管した。
出血した跡や、体へつなげた管が多いが、必要なことしているので
見ても驚かないように。鎮静剤で痛い記憶はない。
・今日明日とかすぐに心不全を起こす可能性は低い。
・覚悟しておいた方がよい。
→あとは神頼みなのだと理解した。
神頼みでもまだ助かる見込みはある。親父が死ぬはずがないと思う反面、
もう後は時間の問題なのかもしれないとも思う。
○土曜日 2時半 父の病室へ入室した。
意識のない父をみた。
父の細くなった体へたくさんの管がつながっていて、
痛々しく鼻から人工呼吸器がつながっていた。
痛いのか体がビクンと反応していた。
あとは望みの低いステロイド薬を投与するしか方法はないのだと理解した。
今日明日の話ではないと家族全員の体力面を考慮して帰宅した。
○土曜日 4時半 主治医から心不全を起こした旨の連絡があった。
家族全員であわてて病院へ。
○土曜日 5時半 病院へ到着
予想より早い心不全があったことを聞かされる。
心臓マッサージで蘇生させ、薬で心臓を動かしている状態だと説明があった。
まだ処置中なので待つように言われた。
○土曜日 7時 病室へ案内された。
人工呼吸器の音と、心拍のピッピッという電子音が響いていた。
喋りかけても反応しない父がいた。
母と姉は、一生懸命に足や腕をさすっていた。
私は呆然と立ちすくんだ。
○土曜日 7時半 徐々に心拍のピッピッという音が少なくなる。
無言のまま、瀕死の父を家族で見守る。
延命するかどうかの選択肢を問われるが、母が苦しまないようにさせて欲しいと伝える。
心拍数が0に近くなる。
母、姉が「おとうさーん」と父を呼ぶ。
私は呆然として何も言葉を発せなかった。
そのまま父は他界した。
私は理解できなかった。
○土曜日 8時 死んだ父の顔へ化粧を行った。
私は父の髭を剃った。
私はやっと「オヤジ、なに寝てんだよ!早く起きろよ!」と言葉を発した。
涙が止まらない。
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父は今日(2012/11/17 土)の朝、他界した。
まだ信じられない。
土曜日10時過ぎ 病院から葬儀場へ父を運ぶ車で、父の大切にしていた船まで行ってもらった。
私は父に話しかけていた。
小雨が降っていた。
風はなく海は凪だった。
涙が止まらない。
今の私が世の中で一番大好きで、一番尊敬している父が死んだ。
事実は頭で理解した。
ただ、心が理解するまでどれくらいかかるだろう。
父が「まだあと10年は生きなきゃいかん。」と言ってたことを思い出す。
親孝行をもっとしたかった。


